46人が本棚に入れています
本棚に追加
(6)運命の番は誰
義父の薬はそれからしばらくして完成し、ディランに与えられることになった。立ち会うつもりのなかったルビーは、いつも通り花屋の店先に立っている。
「ディランくん、今日は休みなの?」
「ええそうなんですよ。嗅覚を回復させるお薬がようやく完成したそうで、それを試飲しているんです」
今日のお客さまは、顔馴染みの老婦人。彼女は嬉しそうな、それでいてどことなく寂しそうな顔になる。若い女性客に追いかけられて塩対応をしていたディランも、いつの間にかすっかり慣れて立派に接客ができるようになっていたらしい。本気でディランを狙っている追っかけの女性客以外にも、ディランはなかなかのファンを獲得していた。
「あらまあ。じゃあお国に帰っちゃうのね。毎日ディランくんを見るのが楽しみだったのに、残念だわあ」
「そんなことおっしゃらないで、私の顔を見にこれからもお買い物に来てくださいよ」
「ルビーちゃんも可愛いけれど、ディランくんから取る栄養は格別なのよねえ。長生きの素だったのだけれど」
「うーん、若い男の子を雇った方がいいんでしょうか。私としても男手があると助かる部分はありますが」
「でも最初からディランくんと比べられちゃうのも、次の子に気の毒ね」
「確かに」
(ハイスペック過ぎるもん。あれと比べられちゃ、たまったもんじゃないだろうな)
なんやかんやで盛り上がっていると、突然店先にディランが現れた。まるで酔いつぶれたかのような千鳥足で、見ているルビーは血の気が引いた。まさか、薬の飲み合わせが悪かったのだろうか。獣人と人間では体質が異なるため、予想外の反応を起こす場合があることは、ディランが嗅覚を失った件でルビーもよく理解していた。
「なんでわざわざこっちに来たの。薬を飲んだ後に、具合が悪くなっちゃったの? お義父さんは? 試飲後、様子を見ることもなく、放置するなんてありえないんだけど」
つまずきそうになったディランを、ルビーが慌てて支える。するとディランは無言で彼女の首筋に顔を埋めた。
(なになに、一体なんなの?)
「俺以外の男を雇うのか。嫌だ、この場所は絶対に譲らない」
「ちょっと、ディラン!」
「まあまあまあ」
老婦人がなんとも恥ずかしそうに、乙女のように身をよじらせた。それもそのはずで、普段は肌を一切露出していないはずのディランが、なぜか服を着崩しているのだ。酔っ払いが暑いと勘違いして、すぐ服を脱ぐようなものだろうか。
ぐいぐいとディランを押し返そうとするが、なぜかルビーはますますディランにしがみつかれてしまった。
(なんだこれ、無駄に色気がすごい。鎖骨を見せるな。きっちり首までボタンを留めろ)
「ディランくん、どうしたのかしら?」
穏やかに老婦人が問いかけると、ディランがおもむろに顔をあげた。そのままうわ言のように繰り返す。
「俺の番、まさかこんなところにいたなんて」
「嘘でしょ、まさか?」
「あらあら、素敵じゃない!」
頬を染める老婦人に、やはり顔を赤くしたままのディラン。そして今後の修羅場を想像し若干顔を青ざめさせるルビー。頼みの綱になりそうな義父は、残念ながらこの場にはいない。この状態が薬の副作用やら失敗ではないということなら、薬湯が効いたことを喜び、大好きな母の元へ報告に行ってしまったのだろう。
(まさか、ディランの相手がマダムだったなんて!)
老婦人は数年前にご主人と死別している。子どもたちはみんな成人しているから、ディランが結婚を申し込んだとしても、お家騒動には発展せずに済むと思われた。若いツバメ扱いされる可能性はあるが、実際のところおそらく侯爵家のディランの方がお金持ちなわけで、金目当ての結婚ではないと説明すれば納得してもらえるのではないだろうか。
(そうは言っても……)
運命の番に年齢制限はないのか。とはいえ、一桁年齢の少女に愛を乞わなかっただけマシなのかもしれない。老婦人の可愛がっているお孫さんが相手だった場合、土下座するしかなかったはずだ。とりあえずまずはさておき老婦人の家族に連絡を取るために店の外に出ようとしたルビーだったが、ぎゅうぎゅうにしがみつくディランに阻まれてしまった。しかもずりずりと滑り落ち、すっかり座り込んでしまったディランはとても重い。ルビーは移動しようがない。
「……? え、なに」
「ルビーちゃん、ちょっと。わたしじゃないわよ。求婚の相手は、あなたよ、あなた。こんなおばあちゃんが相手じゃ、このひともかわいそうよ」
ころころと笑うご婦人と、同じくゴロゴロだかグルグルだかと喉を鳴らし足元にしがみつくイケメン。
とろんとした恍惚の表情は、熱に浮かされているようにも見える。
「どうか俺のことを、受け入れて欲しい」
熱のこもった熱い瞳で愛の告白を行う美貌の男。ルビーは顔をひきつらせ、ただ静かに唇をかむ。
(どれだけ努力したところで、結局は本能に勝てないのね)
気がつけば、大通りのひとが足を止めてふたりを見守っている。公衆の面前で始まった求婚劇を、彼女は他人事のように見つめていた。心が凍りついていく。
「無理だから。離れて」
「どうして」
「あなたが、『番だから』という理由で私を求めたからよ。ディラン、離れなさい。お義父さんのかけた誓約魔法は、私の嫌がることをすればペナルティが与えられたはずよ」
ぱちんという鋭い音とともに、ディランの拘束が一瞬だけ緩む。雷撃の魔法でも仕込まれていたのだろうか。
(公衆の面前で永遠の愛を誓うような美形は詐欺師だわ)
あたふたするご婦人に頭を下げると、ルビーは店から逃げ出した。
最初のコメントを投稿しよう!