(7)ルビーの告白

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(7)ルビーの告白

 逃げ出したルビーは、店の裏手にある小さな門をくぐり抜ける。向こう側には、花屋の外観からは信じられないほど広大な花畑が広がっていた。  こんな街中に花畑があるのには、ちょっとした理由がある。ルビーの母親であるメリッサのことを溺愛する義父が、花屋の裏庭と広大な花畑を特殊な空間魔法で繋げてしまっているのだ。一体どれだけの土地を買い上げたのか、この花畑の中には四季折々の花が存在している。義父の盲愛っぷりが、ルビーは時々怖くなってしまう。  それはさておきこの花畑は、義父の許しを得た者でなければ足を踏み入れることはできない。だからこそ、ルビーはここに逃げ込んだのだが……。 「え、ちょっと、なんでついてきてるの?」 「待ってくれ。俺を捨てないでくれ」 「ひいっ」  すごい形相のディランに追われ、ルビーも必死で逃げ回る。  いくら勝手知ったる農園とは言え、体力の差は明確。すぐにルビーは追い詰められてしまった。 「ルビー、どうして逃げるんだ。確かに第一印象は悪かったかもしれない。獣人としての常識を押しつけ、人間の女性に対して失礼な態度を取ってしまったことは反省している」 「わかっているわ。あなたはここ数週間ですっかり見違えるようになった。顔や財産目当ての女性客だけでなく、ご高齢のお客さまからの評判もすっかりあがったもの」  ルビーの言葉にディランがほんのりとはにかんでみせた。その嬉しそうな顔をどうしても真正面から見ることができなくて、彼女はそっと目をそらす。 「嗅覚がなくなって最初はひどく苛ついていた。だが、ここで人間と同じように生活してみて、たくさんのことを学んだつもりだ。異なる種族の者に求婚されて、困惑もあるだろう。だが、こちらの常識を押しつけることはしない。もちろん、こちらの親族があなたを傷つけることだって絶対にさせない」 「あなたが私たちのことについて学んでくれてとてもよかったと思っているわ」  ディランの言葉はルビーの心には響かない。それはディランにも伝わったらしい。苦しげな顔で必死にアピールされる。 「自分で言うのもなんだが、それなりに俺はお買い得だと思う。実家は侯爵家、爵位だけでなく財産もそれなりにある。顔だって悪くはない。あなたに不自由は決してさせない。社交が嫌だと言うのであれば、もちろんそれで構わない。隣国へ引っ越すのが受け入れられないと言うのなら、俺がこちらに越してこよう。なに、獣人の能力を使えば隣国との行き来だって問題はない」 「あなたは、きっと素敵な旦那さまになるわ。でも、その隣に立つのは私ではないのよ」  あくまでディランの求婚を拒み続けるルビーの態度に、ディランが声を震わせる。 「……もしや、すでに誰かと結婚の約束しているのか? 肉屋の息子か。それとも鍛冶屋の甥っ子か。あるいは」 「違う、違うから! 誰彼構わずに喧嘩をふっかけるのはやめてちょうだい」  ディランが仄暗い影を背負ったように見えて、ルビーは慌てて声を上げた。 「では、なぜ!」 「さっきも言った通りよ。あなたは私が好きなんじゃないの。『番』が私だったから、私を好きだと勘違いしただけ」 「何を言っているのか、意味がわからない」 「だって、番じゃなかったら私に結婚なんて申し込まなかったでしょう?」 「俺に取ってルビーは、番でなくとも友人として尊敬できる人間だった」 「それならば、私はずっとあなたの友人でいたいわ。愛情は永遠ではないけれど、友情は長く続くでしょう」  そこでようやく、ディランはルビーが結婚をするつもりはないと話していたことを思い出したらしい。 「あなたは、お父上のことを言っているんだな。だが、人間と違って俺たちは浮気なんてしない。番への愛は枯れることなんてないんだ」 「でも、番だと思った相手が番じゃないかもしれないでしょう」 「獣人は、自分の番を間違えたりなんかしない」 「番が番であることの証明なんて、当事者にしかわからないじゃないの」 「どうか、信じてくれ」 「無理よ。信じられないわ。だって私の父は獣人族だったのに、母と私を捨てたのよ」  ルビーの告白に、ディランが絶句する。 「『君は私の運命だ』、そう言ってさらったくせに、『この結婚は間違いだった』って捨てるなんて。バカにするものいい加減にしてほしいわ」 「だが、あなたからは獣人族の匂いはしない。少しでも獣人族の血を引いていれば、絶対にわかるはずなのに」  ディランが動揺しているのは、番を間違える愚かな獣人族がいたからか。それとも、ルビーが同じ獣人族の血を引いていることを知ったからなのか。 「お義父さんのお薬のおかげよ。獣人族の特性を抑えてくれているの」 「……そこまで、獣人を憎んでいるのか?」 「わからないわ」  ルビーは小さくかぶりを振った。獣人族の父親が自分を捨てたからと言って獣人族全員が嫌いということはない。男性全員が憎いわけでもない。ただ。 「薬を飲んでいる理由は別にあるのよ」 「理由を聞いても?」 「獣人は匂いでなんでもわかるでしょう。だから私も、小さい頃からひとの気持ちに敏感だったのよ。きっと無意識のうちに、感情を読み取ってしまっていたのね」  ルビーは小さくため息をついた。 「でも、人間って簡単に嘘をつくの。大好きって言いながら大嫌いって思っていたり、楽しいって言いながらつまらないって思っていたりするの。それに気がついたら、急に怖くなってしまって。もしも、お母さんが私のことを嫌いだと思っていたらどうしようって」  だからルビーは、獣人族としての嗅覚を捨てたのだ。再婚前から交流のあった義父に相談すれば、困った顔をしながらもルビーの望む薬を彼は調合してくれた。  最初は完全に嗅覚がなくなり驚いたものだが、調整を重ねた結果、今は普通の人間程度のちょうどいい塩梅になっている。 「それで、あの不味い薬湯の味を知っていたのか」 「ええ、懐かしいわね。匂いで混乱することが多かったから、獣人としての嗅覚が失われた世界は、とても静かだったことを覚えているわ」 「俺には少し静かすぎたな」 「そういうひともいるかもしれないわね」  ルビーは儚げに微笑んだ。 「ねえ、ディラン。私はあなたのことを好ましく思うわ。でも、それと番の話は別なの」 「俺のことを信じられないというのなら、薬を飲むのをやめて嗅覚を使えばいい。嘘をついていないことがわかるはずだ」 「私はそんなこと望まないわ」 「どうして」 「言葉と感情が違う人間の間で、また混乱するのは嫌なのよ」  ルビーの答えに、ディランは唇をゆがめる。 「どうすれば、あなたは俺を信じてくれるんだ」 「わからないの。どうすれば幸せになれるのか、ちっとも。私は人間でもないし、獣人でもない。中途半端な生き物なのよ。いっそのこと、私なんて生まれてこなければよかった」 「俺はそれでも、あなたに出会えて良かったと思っている」 「絶対に番にならないって宣言していても?」 「ああ。俺の番になれないというのなら、それでも構わない。でも、絶対に俺以外のものにならないでくれ」 「……すごいわがままね」 「これでも、さらってしまいたいのを必死で抑えているんだ」 「さらったりなんかしたら、また電撃魔法でのたうちまわることになるわよ」 「わかっている。でも死んでも離さない」  氷の騎士という二つ名とは程遠い情けない顔で、ディランはルビーに乞い願った。
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