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(8)騎士の指切り
「ルビー、俺はあなたの隣にいられるなら、他にはなにもいらない。獣人としての誇りだって、捨ててみせる」
「何を、言っているの?」
「あなたが嗅覚を封じているのに、俺がそれを使ってあなたの気持ちを知るのは不公平だろう。お義父上に頼んで、同じ薬を処方してもらうつもりだ」
ルビーさえいれば、他になにもいらない。それほどまでの言葉をくれることが嬉しくて、それなのにディランの愛を信じることができないことが悲しくて、ルビーはひとり瞳を潤ませる。ディランがルビーに手を差し出したが、指先が触れるとぱちりと弱々しい光が弾けて消えた。
ふたりが店に戻ると、義父がいつもの笑顔でのんびりと店番をしていた。老婦人には、義父がいい感じの説明をしてくれたらしい。薬学と同じくらい、実は義父は接客がとても得意なのだ。手を繋ぐでもなく、甘いとも言いがたい雰囲気のふたりを見て、義父がひとり頬をかいた。
「いやあ、お薬を飲ませたらいきなりディランくんの様子が変わったからびっくりしたよ。やっぱり猫系獣人だけに、猫をかぶっていたんだねえ」
「お義父さんったら、またしょうもないことを……」
若干の哀れみを含んだ娘の視線にたじろぐ義父。気まずさを誤魔化すように、本題に切り込んでくる。
「それで、ディランくんはちゃんとルビーちゃんとお話できたのかな。僕がマダムに聞いたところによると、突然公開告白をして、盛大に振られたらしいけど」
「完全に振られたわけではない。俺のものにはなってもらえないが、誰のものにもならないことを約束してもらった」
「なにそれ。ディランくんってもしかしてドMなの?」
義父は可愛らしい顔をして、ときどきとんでもない発言をぶち込んでくる。顔を赤くしながら、ルビーがすかさずたしなめた。
「ちょっと、お義父さん!」
「ルビーちゃんも可愛い顔をして、えげつないことをするんだね。でも、そういうルビーちゃんが僕は大好きだよ」
「なになになに。語弊のある言い方はやめてよね。別にそういう関係じゃないから! まずはお友だちからだから!」
「へえ、そうなんだ。すごいね。ディランくん、僕が思ったよりも頑張ったんだね」
「え?」
「いやいや、こっちの話。それなら今日はメリッサさんも呼んで、みんなで食事にしようよ」
義父には義父なりの算段があったということなのだろうか。ルビーの母親のことが大好きで、ルビーに甘い彼女の義父は時折底が見えないことがある。それでも彼がディランのことを反対しないということは、及第点に達したということなのだろう。
夕食は、義父の言った通り4人でとることになった。ルビーの母であるメリッサは、ディランのことを上から下までまじまじと見つめたあと、真剣な顔でルビーに尋ねてきた。
「まあ、まあ。ルビー、とっても素敵な方ね。でも、いい? いくら素敵な相手でも、こちらの都合も考えずに、公衆の面前で愛を乞うような男は絶対にダメよ。そういう男は、たいてい浮気をするんだから!」
「うん、大丈夫、わかってるって」
メリッサの言葉に、ルビーが苦笑する。一方のディランはと言えば、ひそかに冷や汗を流していた。ルビーが大負けに負けて、自分の公開告白をなかったことにしてくれているからいいものを、相当に危ない橋を渡っていたらしい。あの時点で切り捨てない程度には、ルビーと仲良くなれていたということだろうか。
「ねえ、ルビー。わたしたちは、本当にあなたに幸せになってほしいの。わたしみたいな失敗をしてほしくなくて、いろいろ言ってしまったけれど、そのせいであなたに辛い思いをさせてしまっていたみたいでごめんなさい」
義父かディランか、あるいはその両方から、ルビーの抱えていた悩みを聞いたのだろう。恥ずかしく思いつつも、メリッサの言葉は優しくルビーの心に染み込んでいく。
「最近ルビーがわたしに話しかけてくれないことは気づいていたけれど、遅く来た反抗期なのかと思っていて……」
そういえば、反抗期らしい反抗期はなかったかもしれない。ルビーは、捨てられることがずっと怖かったから、極力いい子でいた。親の言うことをきかない同年代の子どもたちのような行動は、ルビーには恐ろしくて理解できないものだった。
「ねえ、ルビー。あの男にひっかかったことは人生最大の失敗だけれど、あなたを産んだことは人生最大の喜びなのよ」
メリッサの言葉に、ルビーはほっと息をつく。ここにいてもいいのだと、ようやく認められたような気がした。
「えー、僕と結婚したことは人生最大の喜びじゃないの。ひどいや」
「あなたと結婚したことは、人生最大の幸せ……というか、あなたの存在はわたしの人生そのものよ」
メリッサの言葉に義父は心から嬉しそうに目を細めている。そんな義父の姿を普段なら、どこか胸が痛む思いで見つめていたはずが、今日はなぜか穏やかな気持ちで見守ることができた。
隣に座るディランの大きなてのひらに指を絡めてみる。目を丸くするディランに向かって、ルビーはぎこちなくウインクをしてみた。
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