親愛なるあなたへ。

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 忘れもしない。  あれは私が小学校を卒業したときのことだ。  仕事で忙しくて卒業式に参列できない父と母の代わりに、当時中学一年生だった兄が私の門出を小学校にまで赴いて祝ってくれた。  卒業式が終わったあと、桜の花びらが舞う校庭で兄は私の頭を優しく撫でてくれた。  兄はどうしようもないくらい穏やかな顔をしていて、頭部に添えられた彼の掌はまるで昼下がりの木漏れ日のみたいに温かった。 「卒業おめでとう」  兄はそう言って笑う兄の声色は耳がとろけてしまうほど柔らかくて、私の目から思わず涙が零れていた。  あのとき、私たちは確かに春の魔法の中にいた。  大好きな兄を見たのは、それが最後だった。  幾千もの人間を死に追いやってきたアーティストがいると知ったとき、私はそれが自分の兄だったとは微塵も思わなかった。 『RAI』。そんな名義で、そのアーティストはネット上で音楽活動を行っていた。けれども、それが兄の下の名前だとはすぐに気が付くはずもなかった。『らい』なんて名前はそのくらいどこにでもあるような名前だった。  彼の存在を知ったのは、中学三年生の冬だった。  酷く冷える朝だった。私はいつものように学校に登校するために駅で電車を待っていた。しんしんと降る雪の中で厚手のコートに身体を包みながら震えて過ごす朝は、それでもまだ安寧に包まれていた。  しかし、そんな世界は貨物列車の通過と共に甲高い音を立てながら壊れることになる。  駅を前にしてもスピードを緩めることがない貨物列車はその身を捧げてしまうには格好の相手だった。  私の隣に立っていたまだ高校生くらいの青年が、まるで青信号の横断歩道を渡るみたいに歩みを進め、駅のホームから線路内に飛び込んだ。  その瞬間、駅を通り過ぎようとした貨物列車が彼の身体を攫い、車体は先頭が真っ赤に染まり、駅のホームと着ていたコートには数個の赤い斑点ができた。  人が自殺する瞬間を見たのはそれが初めてだった。  その日、私は体調を崩して、学校を休んだ。家に帰ってすぐにコートを屑籠に捨て、薄暗い部屋に体育座りをしながら一日が終わるのを待った。脳裏に刻まれたよくない記憶がその日のうちに消えてしまうことを願った。しかし、そんな願いとは裏腹に、私は今朝の光景を幾度となく思い出し、そのたびにトイレで胃の中の物をぶちまけていた。  胃の中が空っぽになった頃、私は部屋にあるテレビをつけた。  画面の向こうではニュースが流れていて、早速今朝の自身事故が大きく報道されているようだった。  すぐにテレビを消そうかと思ったが、気が付けば私はそのニュースを見入ってしまった。  彼の自殺にはとあるアーティストの存在が関わっている、ニュースキャスターはそんな嘘みたいな話を至極真っ当な顔で話していた。  アーティストの名前は『RAI』。彼のネットにおけるファンの数は、二十万人をゆうに超えているようだった。  そして何より恐ろしいのは、その二十万人全員が、皆、『死』を待ち望んでいるということだった。 RAIは自身の楽曲で内に秘めた強烈な自殺願望を歌っていた。そして、それを聞きに来る者もまた強烈な自殺願望を抱えていた。  実際に、投稿された彼の楽曲にはこんなコメントが寄せられているらしい。 「あなたのおかげで、自分の選択に自信が持てました。明日、首を吊ろうと思います」 「この曲を聞いて、背中を押されているように思えました。明日、マンションの屋上から飛び降りようと思います」  その報道を見て、私は言い表せないような不快感に襲われたものの、わずかに好奇心が勝ってしまった。  私は自身の携帯端末からRAIと名乗るアーティストを検索し、彼の楽曲を再生した。  流れてきた歌声を聞いて、身体がぶるぶると震え始めた。あまりの恐怖に、私は巨大な毒虫でも触ってしまったみたいに、自分の携帯端末を部屋の隅に投げ捨てていた。  壁に激突し、床に落ちたそれからは、まだ兄の恐ろしい歌声が再生され続けていた。  その晩、私は家に帰ってきた兄を玄関で問い詰めていた。まだ靴すらも脱いでいない彼に聞いた。このアーティストはあなたなのか、と。  一般的な高校生をしているはずの兄が、まさかあんないかれたアーティストだとは信じたくはなかった。  けれども、彼は私の問いかけにすんなりと頷いた。 「よく気が付いたね」と兄は笑った。その反応を見る限り、どうやら彼はそれを隠していたわけでもないようだったが、わざわざ私にそれを教えるつもりもなかったようだった。 「どうして、こんな曲を書いているの?」と私が問いかけると、彼は首を捻った。 「どうして?」不思議なことを聞くね、と言いたげに彼は言った。「死んでしんでしまいそうだからに決まっているだろう。僕はこうやって、自分の自殺願望を音楽にすることで、何とか精神を保っているだけなんだよ」  そのとき、私はおかしくなってしまった人間は案外外側からではわからないのだということを知った。 「なんで、あなたはそんなに死にたがっているの?」  私が半ば怯えたまま聞いた。 「酷く単純な理由さ」と彼は答えた。それから彼は自分の中にある自殺願望を吐露し始めた。 「僕は道端に落ちているような不幸を踏みすぎたのさ」  彼が語ったのは、漠然とした『生』に対する諦めだった。 「十六年生きてわかったのは、世界が意外と残酷なんだってことだ。努力は報われないし、夢は叶わない。悪はそう簡単には裁かれないし、正義はそう簡単には称賛されない。神様は僕らの味方ではなかったのさ」  そこで彼は一度呼吸を整えた。 「そして、何よりも問題だったのは、僕がこの世界で生きるのがあまりにも下手くそだったってことだな。何の取柄も才能も持たないどころか、自分の短所が致命的な足枷になっているんだよ。そんな僕らのように弱い人間は、残酷な世界に淘汰されていくしかないのさ。そうなってしまうくらいなら、早めに自分の首を切っておいた方が自分のためだとは思わないか?」  彼の問いかけに私は何も答えることができなかった。時間だけがただ淡々と流れ、いよいよ痺れを切らしたらしい兄が口を開いた。 「夏樹」と最後に彼は私の名前を呼んだ。 「君は僕みたいになんてなるなよ」  そう言って彼は私の頭を優しく撫でると、そのまま彼は靴を脱いでリビングの中に入っていった。  言われなくてもそのつもりだ、と私は思った。  しかし、数か月後、私は彼が言っていたような道端に落ちている不幸に足元を救われ続けることになる。  始まりは、高校受験だった。  中学三年の夏が過ぎると、私はいよいよ本格的に勉強を始めるようになった。  当時親友だった女の子と同じ高校に通うためには、私の偏差値はそれなりに足りなかった。  人並み以上には勉強をしたはずだった。他のみんなが学校の授業が終わるとすぐに家に帰っている中、私だけが学校に残って毎日勉強をしていた。  先生も親友も、その高校なら間違なく受かると太鼓判を押してくれた。  けれども、いざ高校入試当日になると、頭が真っ白になった何もできなくなった。  きっと、極度の緊張のせいだったのだろう。冷静さを欠いて正常な判断ができなくなった私は、解ける問題も解けなくなり、その高校に落ちた。  滑り止めの私立高校に通うことになった私を、親友は慰めてくれた。 「別々の高校に行っても私たちは一生友達だから」  確か、そんなことを言っていた気がする。  だけど、中学を卒業して以降、彼女は私に連絡をくれることはなかった。どうも、彼女は自分の幸せを消費するのに忙しいらしい。  それに対して私は、毎日を生きるのに必死だった。  私の学校生活は、下駄箱から消えた自分の上履きを探すところから始まる。  空っぽの下駄箱を見て心底絶望したまま、靴下で廊下をとぼとぼと歩く。そして、いよいよ自分の教室の扉を開けると、頭上から黒板消しが降ってくることもあれば、一歩先に画鋲が巻かれていることもあった。  私はそれをできる限り回避して、屑籠に捨てられている自分の上履きを取り出して履く。教室中に嫌な視線と嫌な笑い声が響くまま自分の机に辿り着くと、そこには黒や赤の油性ペン醜い落書きが施されている。「死ね」「うざい」ありきたりな言葉だったけれど、いざ向けられてしまうと心を抉る力はあった。  席に着いた後も、当然油断はできなかった。  飛んでくるのは罵詈雑言だけではなかった。時折、こちらに飛来してくるのは刃が全て出されたカッターだとか、刃渡りが七十五ミリのはさみだった。今までは何とか腕でガードしてきているものの、顔に傷がつくのも時間の問題だった。  こういった嫌がらせが続くようになった理由は、笑ったしまうくらいくだらない理由だった。  主犯格の女性の挨拶を私が無視したと思われたから。実際に無視をしたつもりは私にはない。ただ聞こえなかっただけだ。でも、それを言って聞く耳を持っているような集団ではなかった。  嫌がらせがそれから半年以上続き、私はいよいよそれに耐えられなくなり始めた。  周囲に助けを求めようと思い立ってから、すぐに当てにしたのはやはりあの親友だった。  私は少し冷える秋の夜に、携帯端末を使って彼女に連絡を取った。  プルプルと携帯端末がコールを唱えている時間が、永遠のようにも感じられた。  ようやく電話が彼女の端末と繋がり、私は数ヶ月ぶりに親友と話すことになった。  だが、私は開口一番からその親友が私に敬語を使っているのを聞いて、とても嫌な予感がしていていた。  そして、私はいよいよ彼女に助けを求めようと口を開いたとき、彼女は言った。 「今さら、電話をかけてきても話すことなんて何もないですよ」  どうやらもうとっくに、彼女のとの友情は崩壊していたらしかった。  私は「ごめんなさい」と言って電話を切った。  夜の寒さが一層強くなったような気がした。  それからまた数ヶ月、私はクラスメイトから嫌がらせを受け続けた。  しかし、四月になってようやく転機が訪れた。  新学期に向けてクラス替えが行われたのだ。  私は晴れてあの忌々しいクラスから解放されて、新たな希望の芽吹きに心を躍らせるようになる。  幸い、このクラスには人を痛めつけてくるようなあくどい人間はいないようだった。  ここなら描いていた高校生活を送れるかもしれない。四月の私はそんな希望を抱いていた。  だが、一年間という長い年月を掃き溜めみたいな教室で過ごした私は、とっくに取り返しがつかないくらい人間として欠落していた。  友達を一人作ろうにも、かつてのクラスメイトからの悪意を思い出してしまい、人とまともに話すことができなくなったのだ。  その結果、一年生の頃よりはましとはいえ、二年生となった一年間を私は孤独に過ごした。 人生で一番空虚な日々が、途方もないほど長く続いた。 そこで私は兄が言っていたことを思い出した。どうやら私も彼のように、知らないうちに生きることが下手くそになっていたようだ。  そうやって、不幸を踏み続けていた私だったけれど、また兄のように自殺願望を抱えることはなかった。  何せ、死ぬのが怖かったから。  だけど、高校二年生が終わった頃、部屋で幸せそうに死んでいる兄を見て、私は死に対して強烈な願望を抱くようになった。 「夏樹、ちょっといいかな」  二月二十八日の晩、兄は私の部屋を三回ノックした。 「どうぞ」私が言うと、兄はゆっくりと扉を開けて部屋の中に入ってきた。 そのときの彼の表情はどこか恍惚としていて、私は思わず「お酒でも飲んだの?」と訊いていた。彼がまだ高校三年生だというのにも関わらず。 「いや、一滴も飲んでいないさ。だけど、ある意味では何かに酔っているという言い方もできるかもしれない」  彼は何か意味深なことを言いながら、部屋のフローリングにそのまま腰を下ろして胡坐をかいた。  今思えば、彼が酔っていたのは『死』という名の解放だったのかもしれない。 「最近、調子はどうだ?」  兄はわかりきっているくせにそう訊いてきた。 「いいように見えるの?」  吐き捨てるように私は言った。 「今のは意地悪な質問だったな」と兄は笑った。 「冷やかしに来たなら帰ってよ」  へらへらした態度の兄がどうしても気に入らなくて、私は語気を強めた。 「そんなつもりはない。これでも、君の痛みは僕が一番よくわかっているんだ」  彼特有の薄っぺらい同情かと思ったが、どうやらそうでもないらしかった。 「まったくなあ」と兄は言った。「僕らは別に不幸になりたかったわけじゃない。それなのに、気づいた時には取り返しのつかないことになっているんだ。本当にやってられないさ」  初めはニヤニヤしながら話していた兄だったけれど、徐々にその顔からはその笑みが消えていった。 「助けてやれなくて、すまなかったね」  彼は心底申し訳なさそうに顔を曇らせながらそう言った。  今さらそんなことを言われても、私は困ることしかできなかった。 「……言いたいことは、それだけ?」  困った末に私が聞くと、彼はすぐに首を振った。 「いや、今日はもっと大事なことを伝えに来たんだ」  そう言うと、彼はまたその顔に笑みを戻した。 「明日、僕は自殺をするつもりだ」  まるで晩御飯の献立を娘に発表する主婦みたいに、彼は高らかにそう宣言した。 「突然だね」  私はさほど驚かなかった。彼がRAIだと知ったあの日から、彼が死にたがっていたのは知ってから、もう今さらな話だった。 「そうでもないさ。いよいよ、音楽として吐き出せる自殺願望が無くなって、いい時期を探していたんだ。ほら、明日は僕の卒業式だろ? こんなにちょうどいい日はないよ」 「確かにそうだね」と言って私は笑った。彼の選択を私は無理に止めることはできなかった。『死』を選ぼうとしている人間を無責任にこの場に引き留めるのは、自分のエゴでしかないことをわかっていたからだ。 「それだけを伝えたかったんだ。それじゃ、僕はこれで」  兄はそう言って立ち上がり、部屋から出ていこうとした。 「お兄ちゃんが死ぬならさ」と私は彼を引き留めるように言った。「私のことも連れて行ってくれないかな?」  扉のドアノブに手をかけた兄は、そこでぴたりと動きを止めた。そして、そのまま彼はこちらを向くと、困ったように笑った。 「それはできないよ」  それだけ言って、彼は私の部屋を後にした。  次の日、彼は高校の卒業式が終了し自宅に帰ってくると、部屋の中で首を吊って亡くなっていた。  彼の遺体の傍らには、一枚の遺書があった。どうやら、その遺書は私宛に書かれているみたいだった。  封筒に入れられたそれを、私は後日丁寧に開けて中を覗いた。  そこにはこんなことが書かれていた。 『夏樹へ   もしあなたが来年の卒業式を迎えられることができたのなら、どうか僕が最後に作った曲を聞いて欲しい。  そしてその曲を聞いて、明日生きるかどうかを決めてほしい。                 羅衣より』  遺書を読み終えたとき、私は兄の言葉に強く頷いていた。  あと一年だ、と私は自分に言い聞かせた。  あと一年懸命に生きて幸せになれなかったのなら、そのときは死んでしまおう。  きっと、お兄ちゃんが最後の一曲で迎えに来てくれるはずだから、と。  幾千もの人間を自殺に追い込んできた彼のことだ。きっと、私のことも死地に誘ってくれるに違いない。  それから、一年という月日はあっという間に流れた。  最低な一年だった。高校の受験のリベンジとして大学受験に向けて勉強をしたけれど、滑り止めの大学にしか受からなかった。  人を好きになろうと思い、クラスメイトに話しかけたこともあったけれど、結局最後まで友達はできなかった。  どうやら私は二年間の長い不幸に慣れすぎて、幸せになる方法を忘れてしまったみたいだった。  何もできないまま一年が過ぎ、気が付けば私は卒業の日を迎えていた。  三月一日、私は汚れた制服を身に纏いながら高校に向かった。  卒業式をしている間、私の意識はずっと上の空だった。入退場の時に吹奏楽の綺麗な音楽を聴いて、少しも感動しなかった。まるで、他人の卒業式に代理として出席しているみたいだった。  卒業式が終わると、私をいじめていた生徒たちが幸せそうな顔をして、校舎の前で写真を取っていた。そんな彼らを羨ましくも、恨めしくも思いながら、私はすぐに学校を後にした。一緒に写真を撮る友達なんて、一人もいなかったからだ。  一人で歩く帰り道、私は携帯端末にイヤホン繋いでRAIが作った曲を繰り返し聞いていた。  彼の曲を聞いていると、これからしようとしている選択が、切なくて悲しいことのようには思えなくなった。  だからこそ、私は楽しみだった。彼が最後に作った曲が、どれくらい私の自殺願望を正当化してくれるのか。彼の曲を聞いた私が、どれくらい幸せな顔をして死ねるのか。それだけを、私は求めていた。  家に帰るころには、時刻は十四時を回っていた。  私はSNSサイトでRAIの名前を検索し、彼のアカウント探した。  彼のアカウントのホームに行ってみると、どうやら一本の動画が、この後十五時に予約投稿されようとしているようだった。  私はその長い一時間を、机に突っ伏しながらひたすらに待ち続けた。  何も考えなくても、時間は流れた。空が雲で覆われていたからか、カーテンを開けているはずなのに部屋の中は死体安置所のように薄暗かった。  十五時になってすぐ、彼が作った最後の曲は全世界に配信され、私はその曲を再生した。  曲名は『親愛なるあなたへ』。彼が作ったにしては、少しばかり長すぎる曲だった。  その曲を聞き終えたとき、私は自分の顔がぐちゃぐちゃになるくらい大量の涙を流していた。  液晶の向こうにいたのは、RAIではなかった。そこにいたのは、いつか見た魔法使いのような兄だった。  あれだけおぞましかったはずの兄の歌声は、そのときだけは六年前の柔らかな声色にそっくりだった。  兄は六分三十秒という一曲にしては長い時間の中で、馬鹿みたいに純粋に私の門出を祝っていた。  今まで自殺願望ばかりを歌っていたRAIは突然そんな曲を歌い始めらからか、その曲についたコメントには困惑や失望の声が多かった。  けれども、 『親愛なるあなたへ』 その言葉の行方を、世界でただ一人、私だけが知っていた。 「酷いなぁ」と私は誰もいない部屋の中で一人呟いた。「私は死のうと思ってこの曲を聞いたんだよ?」  それから私はたとえ日が落ちて月が上っても、一日が終わるまでずっとその曲に浸っていた。  真っ暗な部屋の中で聴覚だけに全ての神経を注ぐ。そうしていると、まるで大好きだったあのころの兄がすぐ近くにいるように思えた。  気が付くと、私は眠りに落ちてしまっていたらしかった。  カーテンを閉めていなかったおかげで、私は部屋に差し込んだ真っ白な朝日に優しく起こされた。  机から身体を起こし、軽く伸びをする。鉛のように固まっていた身体が、バキバキと痛快な音を立てながら動いた。  窓の外を眺めて雲の隙間から太陽が顔を出していることに気が付いたとき、私はようやく自分が迎えるはずのない明日に迎えていることに気が付いた。  奇妙な感覚だった。あれだけ私を取り巻いていた自殺願望はもうとっくに姿を消していて、代わりにこれからへかすかな希望と、抱えきれないほどの不安が私の身体にのしかかっていた。  兄が生きられなかったこの世界で、私はこれから先も生きていくことができるのだろうか。  庭に埋められた不安の種は大きく、少し目を離せば取り返しがつかないくらい巨大な根を張ってしまいそうだった。  だけど、私はきっと死ぬまで生きていくしかできないのだろう。兄が残していった曲には、そういう魔法がかけられていたから。  窓を開けるとさわやかな春風と共に、舞い散った桜の花びらがこちらに飛ばされてきた。  私が掌を差し伸べると、踊るように揺れる花びらがその上に乗った。 「卒業おめでとう」  花びらからそんな声が聞こえた気がした。  春の魔法は、まだ続いている。
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