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駐屯地決戦〜二百年前の戦争と闇の森の誕生〜
ラフリクスは拾い上げた短剣を慎重に手に持ち、鍔近くに嵌められた漆黒の魔力石を見つけてニヤッと笑う。
「これはこれは、面白いものを拾ってしまった。大公に見せれば大層お喜びになることだろう。この魔力石は誰の業だ? まさか師令官殿か?」
「師令官は関係ない」
「ほう。それなら黒猫姫が個人的に闇の源と知り合いということか? 猫の魔力ではこんなもの作れないだろうからな」
「お母さんの形見よ。誰が作ったかなんて知らない」
「形見ねぇ……」
納得したのかラフリクスは「まあいい」と柄を握りしめる。漆黒の刃が顕れるとパッ顔を輝かせ、剣先をあたしに向けて脅すようにヒュッと空を斬った。
闇属性の魔力に耐性があるとはいえ、あたしだって斬られたら怪我する。他の人より回復が早いだけだ。
「父親もこれと同じような魔法剣を使ってるようだな」
ラフリクスは師令官の魔力に気づいていたらしい。が、魔力石由来の魔力と勘違いしているのならわざわざ本当のことを教えてあげる必要はない。
あたしが無言のままでいると、「図星か」と彼は満足げな笑みを浮かべた。
「これで師令官が魔術師団を裏切ったという証拠が手に入った。駐屯地に向かうとしよう」
ラフリクスはあたしの背に剣を突きつけ、駐屯地を目指しながら時々魔獣の気配に向かって歩くよう指示をする。くだらない嫌がらせにうんざりしつつ密林を行くと、木々の合間に草原が見えてきた。
「もうじき駐屯地にたどり着く。爬虫類どもは今夜も優雅にテントで眠っているようだな」
あたしはラフリクスの言葉で異変に気づいた。
駐屯地の獣人たちが密林の入口ではなくテント内で待機しているのはおかしい。きっと、ラフリクスが予想以上に早く戻って来たことに気づいて計画を変更したのだ。
イヌエンジュとあたしを攻撃したラフリクスの魔術、突然走り出した小型種たち、あたしは魔法剣を抜き、その後ラフリクスの魔力波を浴びた。今、あたしの奴隷紋は闇属性の魔法剣とともに駐屯地に向かっている。
お父さんがこれらの魔力を感知できないはずはないし、自らの居場所を晒すようなラフリクスのやり方は明らかに挑発だ。
「師令官殿はあくまで気づいてないフリか。わたしを刺激するとおまえの命が危ないということは分かっているらしい。魔剣士とはいえ師令官なのだからそれくらい察して当たり前か」
そう言うラフリクスは師令官の気配を感知できていないようだった。
魔力抑制ローブを羽織っているから感知できなくて当たり前だけど、それでもあたしにはお父さんの居場所がわかる。
神経を研ぎ澄ませると感じられる、香りがふわっと立ち昇るようなかすかな何かの揺らぎ。その揺らぎ方は足音みたいに人それぞれで、お父さんのものは特徴的だった。例えるなら三人の魔術師は〝波〟。魔剣士のお父さんは〝流〟。獣人たちのものは水たまりにできる雨粒の波紋のように不規則で、どれが誰のものなのかハッキリしない。
あたしが感知しているこの〝揺らぎ〟は魔力とは別モノのような気がしている。
「密林から出ろ」
ラフリクスに言われてシダをかき分け草原に出ると、視界がひらけて遠くに点々とモンキーポッドが見えた。篝火に照らされたテント、漆黒の密林が駐屯地の端にかかり、頭上には星空が広がっている。
ふたつの月はあたしの背後にあるはずだった。もしかしたらひとつ目の青白い月はもう沈んでしまったかもしれない。
「娘が帰って来たというのに出迎えもなしか」
そんなことはない。お父さんがいるのは一番近くのモンキーポッドの上。
「あんなちっぽけな駐屯地、上級魔術師の手にかかれば簡単に吹き飛んでしまうというのに。まったく呑気なものだ」
背中から魔法剣の気配が消えた。
「姫、逃げようと思うなよ」
その直後、ラフリクスは二言ほどの短い詠唱でヒュッと火球を飛ばした。人の顔くらいの火の玉が密林近くのテントに命中し、鳥影が四方に羽ばたいていく。鳥人たちだ。他のテントからも獣人が出てきて駐屯地はにわかに騒がしくなった。
「あんなボヤならイヌエンジュでも簡単に消せるんだが、魔剣士ではどうしようもない。さて、次はどこを……」
喋っている途中でラフリクスは突然ククッと笑い声をあげた。モンキーポッドの下に降り立った人影が、ゆっくりとこっちに向かって歩いてくる。
「師令官殿のお出迎えだ。まだ殺すわけにいかないから近くに雷でも落としてやろう。黒猫姫、魔術師と魔剣士の違いをその目に刻むといい」
――雷属性の魔術は構築が難しいんだ、とイヌエンジュがずいぶん前に言っていた。ラフリクスが詠唱を始めると、頭上に紡がれた魔法陣の端がわずかに視界に入る。
「エリ!」
どこかでイヌエンジュの声がした。
蹄の音が近づいてきて、ラフリクスが後ろを振り返ったのか右手首の魔力縄が引っ張られる。あたしはバランスを崩して地面に膝をついた。
顔をあげると魔法陣はほぼ完成しかかっている。ラフリクスは標的を師令官からイヌエンジュに変更したらしく、馬の背から飛び降りたイヌエンジュが慌てて詠唱を始めた。
「やめて!」
ラフリクスのローブにしがみついたその時、墨を流したように視界が黒い靄に覆われズンッと空気が重くなった。構築途中だった魔法陣が頭上でバチバチと青い火花を散らして壊れていく。
「これは……、闇の森か?」
ラフリクスが耐え切れず地面に手をついた。
彼の言う通り黒い靄は闇の森と同じだけど、その源は闇の森ではなくお父さんだ。放出した闇属性の魔力は普通の魔力波にように広がらず、言うならばこれは魔力溜まり。
お父さんの魔力には慣れているはずなのに、あたしは初めて目まいをおぼえた。手に巻き付いていた魔力縄だけでなく、奴隷紋に付与された魔力も消えている。駐屯地にいる他の獣人たちの奴隷紋も効果を失ったようだった。
あたしはほんの数十秒で魔力酔いから回復し、膝をついたままのラフリクスから魔法剣を奪い返した。鞘から抜くといつもより大きな漆黒の刃が現れたのは、闇属性の魔力が周囲に満ちているせいだろう。
「無様ね」
ラフリクスは魔法剣を向けても顔をあげられない。
「エリ! 平気か」
薄らいでいく黒い靄の中にお父さんの姿が見えた。
「エリ!」
後ろからはイヌエンジュ。二人ともあたしのそばに来て状況を察すると、安心したように肩の力を抜いた。
「ラフリクス殿はわたしを見くびり過ぎたようだ」
師令官が冷ややかな顔で見下ろし、ラフリクスは地面に膝をついたままようやく青白い顔をあげる。
「魔剣士ごときが大公に逆らうなど許されることではない。おまえがどうやって闇の力を手に入れたのか、全部吐かせてからこの手で始末してやる」
お父さんは「下がってなさい」とあたしを脇にやる。ラフリクスに突きつけた剣はあたしの魔法剣の何倍も大きく、漆黒よりももっと昏い闇の炎を纏っていた。
「エリ、いい機会だから闇の源について教えてあげよう。闇の源は二百年前の戦争の犠牲者だ」
「二百年前の、……戦争?」
初めて聞く話だった。ラフリクスが「戯言を」と吐き捨てる。
「戯言などではない。二百年前に帝国が起こした侵略戦争の煽で狩られることになった少数民族、シス族が闇の源だ」
「シス族ですか?」
イヌエンジュは心あたりがあるようだった。
「たしか、今のバルヒェット辺境伯領が帝国に併合されたとき、死霊術を使うシス族が迫害にあったって」
「ああ」とお父さんがうなずく。
「もともとバンラード王国領だった現バルヒェット辺境伯領は、その当時独立運動と少数民族間の小競り合いで泥沼状態だった。帝国側が独立に近い自治を認めることで正式に帝国領となったが、グブリア帝国では死霊術は禁忌だ」
「シス族は帝国領となることに反対してたんですよね。帝国側はシス族を悪者に仕立てることで他部族をまとめようとした」
イヌエンジュの意外な一面にあたしは驚いていた。でも、お父さんは「さすがに博識だな」と知っていたふうな顔で言う。
「ハハッ」とラフリクスが馬鹿にするように笑った。
「いいとこの坊っちゃんは魔術公式ではなく無駄な知識ばかり頭に詰め込んだようだ。今さら学をひけらかしても大公の元には帰れんぞ」
「そんなこと望んでません。おれはアル兄さんに嫌われてますから」
「大公家を破門された出来損ないが、たかだか従弟というだけでバンラード大公を名前で呼ぶなど不敬だぞ」
イヌエンジュがバンラード大公の従弟?
あたしが言葉を失っていたら、イヌエンジュはバツが悪そうに目をそらした。お父さんは「くだらん」とラフリクスの言葉を一蹴して話を戻す。
「迫害されたシス族がどうなったかは歴史書にも載っていないはずだからイヌエンジュも知らないだろう。シス族は抗戦しつつ死んだ仲間を死霊術で影に生まれ変わらせ、数千人の影を引き連れて砂漠を越えた。そして、その影と共に密林の奥に隠れた。あまりに濃い闇属性の魔力の影響で、密林奥地の植物が変化して闇の森が生まれたんだ」
周辺の密林と違って闇の森の植物はくすんだ銀色や暗紫色、淡緑色など鮮やかな色がない。派手な色をした密林の魔獣たちは目立つのを嫌って闇の森に近寄らないようだった。
「なら」とラフリクスがあたしを指さした。
「小娘が持っているその剣の魔力石は自然にできたものか? それともシス族の子孫の業か? 先ほどの闇の靄も魔力石によるものだろう?」
相変わらず青ざめた顔をしているくせにラフリクスの口調は変わらない。師令官がフッと笑い声を漏らした。
「一般的に魔剣士は魔術師に劣る。ラフリクス殿は先ほどの魔力がわたしのものだということをどうしても認めたくないらしい。見ての通りわたしの剣に魔力石などないのだが、もう一度さっきの魔力を浴びてみるか?」
「あっ、それは待ってください。レニーが辛そうなので」
慌てて割って入ったイヌエンジュに、師令官は呆気にとられた顔をした。こんな時でもイヌエンジュは相変わらずだ。
「おれならもう平気っス」
少し離れた場所にいたレニーが手を振って立ち上がった。
「ラフリクス隊長はまだへばってるんスか? イヌエンジュ隊長はピンピンしてるってのに」
ラフリクスに睨まれてイヌエンジュが視線を泳がせる。
「おまえが平気なのはそのローブのせいか。魔術師団を裏切って闇についた証拠だな。必ず大公に報告してやる」
師令官があたしの手から魔法剣を奪い、「イヌエンジュ」と彼の目の前に持っていった。
「師令官、これは?」
「ゾボルザック魔術師団を裏切った第一探索隊長ラフリクスの処刑を第三探索隊長イヌエンジュに命じる。その剣で斬れば魔術が使えなくなるが、魔法具を手にすればまた何をするか分からない」
「なっ……、や、やめてくれ」
ようやく立場を理解したのか、ラフリクスは頭を地面に擦りつけて懇願した。イヌエンジュは師令官とラフリクスの間で視線をさまよわせている。
「イヌエンジュ、その甘さは命取りだ。エリを任せてほしければ覚悟を決めなさい」
師令官がラフリクスのローブを蹴り上げ、隠した手元で魔法陣が光っているのが見えた。
「クソッ! なぜ分かった」
ラフリクスが魔法陣を師令官に向けようとしたとき、その背中に漆黒の刃が走った。叫び声が草原に響き渡り、不発の魔法陣が火花を散らして消えていく。
「よくやった、イヌエンジュ」
斬られたのはラフリクスなのに、斬ったイヌエンジュの方が顔を蒼白にしていた。あたしはガチガチに強張った彼の指を柄から一本ずつ外し、鞘に収めて太もものホルスターにしまう。
「やっぱりイヌエンジュには治癒師の方が向いてるよ。でも、ラフリクスは治癒しなくていい」
「……わかってる」
イヌエンジュはポソッとつぶやく。
ラフリクスはゴロゴロと地面の上でもんどりうっていた。何度も詠唱して魔術を発動しようとするけれど、そのたびに背の傷で魔力が暴走して叫び声をあげる。
「魔力を使おうとすれば傷が酷くなるだけだ。ひと思いに殺してほしければそう請えばいい。情けをかけてやらんこともない」
「魔剣士に請うくらいなら死んだ方がマシだ」
「そうか」
お父さんは小さくため息をつくとラフリクスに背を向けて歩き出した。
「行こう。テントのボヤは鎮火したようだが全員無事か確認したい。わたしの魔力のせいでみんなの奴隷紋が消えてしまった」
イヌエンジュが去りづらそうにしていると、レニーがラフリクスの背中を思いっきり蹴った。
「グッ、ァアアァッ――、このっ、クソ駄馬がッ」
「うっわ、第一探索隊長殿、痛そうっスねー」
「ちょっと、レニー」
「さっさと帰りますよ、イヌエンジュ隊長殿」
レニーは強引にイヌエンジュと肩を組み、引きずるようにして師令官の後を追って行く。
「見直したっスよ、イヌエンジュ隊長。姫を害する者はズバッとザクッとやっちゃわないと。あんまり頼りないとおれが姫をもらっちゃいますからね」
「えっ、いや、それはちょっと」
二人があたしを振り返る。頼りなく眉を垂らしたイヌエンジュと、満面の笑みのレニー。思わずクスッと笑ったとき、あたしの背後で魔力が弾けた。
背中に感じた魔力波は髪をわずかに揺らす程度のそよ風。師令官も足を止めてラフリクスを振り返った。あたしたちの視線の先にあるのはすでに息絶えた死体だ。
「腐っても上級魔術師だな。まさかあの状態で魔力を錬成できるとは」
師令官が呆れたような感心したような声で言う。
密林から飛んできた巨大な鳥がラフリクスの体を鷲づかみにし、あっという間に空高く羽ばたいていった。ふと気づけば月はすでにふたつとも沈んで、無数の星だけが明るく輝いている。
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