闇の森制圧計画とゾボルザック駐屯地①

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闇の森制圧計画とゾボルザック駐屯地①

――闇の森に潜む〝闇の源〟を探せ。 探索員の獣人たちに下される命令はそれだけだった。 探索隊長の魔術師三人は闇について何も知らない。彼らが知ってるのは、『密林の奥地にある闇の森には闇が住む』というゾボルザック地区に昔からある言い伝え。 〝闇〟が何なのか説明できるはずもなく、〝闇の源〟の存在など信じていないくせに魔術師たちは獣人奴隷を密林へと追い立てる。密林の外の安全な場所から「行け」「探せ」と命じるだけ。 あたしはゾボルザック魔術師団に所属しているけど、魔術師でもなく、探索員ですらないただの雑務係。今はモンキーポッドの上にある監視小屋で、年下の獅子獣人グレンと見張り当番中。 監視小屋はゾボルザック駐屯地のほぼ中央にあり、大小合わせて十五のテントに囲まれていた。駐屯地の南には草地が広がり、東方向のずうっと遠くにほんのちょっとだけ砂漠が見えている。今朝から絶え間なく降り続く雨のせいで草木はしっとり濡れているけれど、砂漠のあたりは陽光が差していた。 ――キーッ、キキッ 猿みたいな鳴き声が聞こえて後ろを振り返った。あたしたちの背後、駐屯地の北側に迫るのが〝闇の森〟のある密林。 バサバサッと激しい羽音とともに原色の鳥が二羽、モンキーポッドの木の枝にとまった。 体と両翼は赤色、逆立った頭頂部の羽は黄色、青と緑の混じった長い尾羽を持つ大柄な鳥の名前はヒスタインコ。危険を察知すると刺激性のある魔力風を放ち、その風を浴びると目が痒くなってくしゃみと鼻水が止まらなくなる。 密林にはヒスタインコをはじめ数十種類の魔獣が生息している。一方、密林の最奥にある〝闇の森〟には魔獣が少なく、生えている植物も密林のものと違う。〝闇の森〟と密林の境目はあいまいで、月の満ち欠けに呼応するように広がったり縮まったりしている。三人の魔術師たちはそんなことも知らない。 ――キーッ、キキッ ヒスタインコはしつこく猿の鳴きマネをしていた。 「うるさいなぁ」 あたしがつぶやいたとき魔術の気配がしてヒスタインコが凍りつき、そのまま地面に落下していく。 「あ~ぁ、凍らせたら食べれないのに。もったいない」 「解かしたら食べれないの?」とグレン。 「前に解凍した肉を食べたらみんながお腹こわした」 そうなんだ、とグレンはお腹をさする。 「ネヴィル師令官」 監視小屋の下から声が聞こえた。ヒョイと囲いから身を乗り出してのぞき見ると、モンキーポッドの一番近くにある師令官テントに探索隊長三人が集まっている。氷魔法でヒスタインコを凍らせたのは第一探索隊長のラフリクス。彼の手元に魔力の残滓がまとわりついている。 ゾボルザック魔術師団の総責任者であるネヴィル師令官がテントから顔を出し、粉々に砕け散った羽根に無言で目をやった。赤茶けた長いくせ毛を高い位置でひとつに結って、黄棘熊(きおどろぐま)の牙を両耳にぶら下げている。 黄棘熊はゾボルザックの密林に生息する魔獣の中で最も厄介な相手だ。黄金色の硬い毛は針のよう。腕を一振りするだけで周りの木々を切り裂いてしまう巨大な熊。 ネヴィル師令官がむかし一人で仕留めた黃棘熊の尻尾は六本だった。魔力が強いほど魔獣の尻尾は増え、六本尾(シックステール)といえば王国東部にある魔獣生息域にいるレベルの魔獣。 ゾボルザック駐屯地は魔獣生息域から最も遠い位置にあるから、『六本尾の黃棘熊がいるなんてあり得ない』と、探索隊長たちは師令官の話を信じなかった。信じてもらう必要もないしその方が都合がいい――という師令官の言葉が理解できたのはつい最近になってからだ。 「師令官、さきほど補給隊の荷馬車が到着しました。第二十五次探索の食糧と携行品です」 第一探索隊長ラフリクス。言葉遣いは丁寧だけど、いつもながら横柄さが態度と口調に滲み出ている。 四人とも外にいるのに服も髪も濡れていないのは第三探索隊長イヌエンジュの結界。こういう雑務的な魔術はいつもイヌエンジュの仕事だ。 イヌエンジュは魔術師のくせに威厳がなく、年上の魔術師二人にヘコヘコしている。十四才でここに配属されて来てあと半年で二十歳。変わったのはせいぜい身長と髪の長さくらいで、魔術師ぶって腰まで伸ばした淡黄色の髪が風に揺れていた。手を伸ばしてじゃれつきたくなるのは猫獣人として生まれたあたしの(さが)。 「本部から通達があり、闇の森制圧計画は次回の探索で最後にすると」 「グブリア帝国侵攻はやはり別ルートになりそうだな」 第二探索隊長タカイラ。彼はいつも師令官を無視してラフリクスに話しかける。 「闇の森を押さえれば帝国側のアルヘンソ辺境伯とバルヒェット辺境伯の連携を妨害できると大公は考えたんだろうが、そもそも両者は連携しそうにない。国境の様子も対照的だ」 「ですよね。おれもここに来てからバルヒェット側の国境越えがいかに楽か実感しました。アルヘンソ側の国境はきっちり結界が張ってあるのに」 そう言うイヌエンジュはつい先日獣人を数人引き連れてアルヘンソ側の国境偵察に行ったばかり。 ゾボルザック駐屯地を出て、密林を迂回しながら西へと進むと有刺鉄線に突き当たる。国境線を示すためにグブリア帝国が張ったものだが、有刺鉄線の向こう側では密林近くの岩場に鉱泉が湧き出ているらしい。 湯気の立つ温かい鉱泉はアルヘンソ兵たちの入浴場所になっているらしく、イヌエンジュは岩陰に裸の女性兵士を見つけて危うく有刺鉄線を越えそうになったと冗談まじりに言っていた。(バカじゃないの?) 「国境線が確立されていないのは闇の森だけだが、実際のところ制圧なんて雲を掴むような話だ」 「いっそ密林ごと燃やしてしまえば闇の源が出てくるかもしれんぞ。闇の源も一緒に燃えてしまうかもしれんが」 「闇の源なんてただのおとぎ話さ。何はともあれ、これでやっとゾボルザック駐屯地から解放される」 魔術師たちの会話は師令官への報告ではなくすでに雑談。 ふと見ると師令官の左肩が雨に濡れていた。どうやらイヌエンジュの子どもっぽい嫌がらせのようだ。第一、第二探索隊長は所かまわず師令官の悪口を言うし、イヌエンジュは先輩魔術師に睨まれないよう必至であれこれやっている。 「次の探索が最後ならここにいる獣人奴隷を一斉に探索に向かわせればいいんじゃないか? 雑務係も」 「確かに駐屯地閉鎖となったら残った奴隷を連れて移動するのも面倒だ。闇の森に入れてしまえば帰還者ゼロ。色々と手間が省ける」 閉鎖した駐屯地の後片付けは自分たちがするつもりなのかな、とグレンが小声であたしに聞く。何も考えてないんじゃない? と、返した。 探索隊長はそれぞれ三十人ほどの獣人を束ね、各隊のうち探索員が約二十人、雑務係が約十人。 第一探索隊長ラフリクスは上級魔術師で、第二探索隊長タカイラと第三探索隊長イヌエンジュは中級魔術師。イヌエンジュの魔力はタカイラの半分くらいしかないけれど、それでも獣人に言うことを聞かせるには十分だった。 探索時は第一から第三探索隊の探索員が三日おきに闇の森に投入される。 探索開始から二日後に『第一探索隊帰還者ゼロ』と報告書に記載され、翌日第二探索隊出発、二日後に『帰還者ゼロ』を記載、同じことが第三探索隊でも繰り返され、一回の探索で約六十人が『消息確認不可能』として処理される。 『消息確認』は獣人奴隷の体に刻印された奴隷紋の魔力を感知することで行われ、その魔力感知は上級魔術師のラフリクスの役目だった。でも、闇の森に入るとそこに漂う高濃度のマナ(魔力の元)と特殊な魔力のせいで感知不能となる。 これまでの探索では密林で魔獣に殺された探索員が一割弱、九割が闇の森に入って消息確認不可能となった。 探索隊長たちがその状況を不審に思わないのは、闇の森が上級魔術師でさえ無事では済まない魔術師の禁足地だからだ。 ――闇の森に入った魔術師は闇に食われ、運良く戻って来た者も四肢のいずれかをなくし、魔術と言葉を失う。 そんないわくつきの森に入った獣人が戻らなくても誰も何も疑わない。獣人奴隷が足りなくなれば食糧と同じように補給隊によって補充されるだけ。 「獣人たちが闇の森を抜けて帝国側に逃げてるってことはないですよね?」 おずおずと口にしたイヌエンジュの本音は『逃げてたらいいのに』だ。 「獣人が帝国側に逃げてるだって? イヌエンジュ、おまえの頭の悪さは魔術師じゃなく魔剣士向きだな」 タカイラがニヤッと品のない笑みを口の端に浮かべた。 「第二十四次探索までで五百人近くの獣人が森に入った。闇の森を囲うのは我らがバンラード王国、帝国側はバルヒェット辺境伯領とアルヘンソ辺境伯領だ。バルヒェットには王国(こっち)の兵が潜入してるが逃げた獣人奴隷は確認されていない。残るはアルヘンソだが、獣人が五百人も密入国したら何か言ってくるだろ」 「獣化してたらバレずに逃げれそうじゃないですか? 小鳥やネズミの獣人もいるわけですから」 「何のためにわざわざ奴隷紋に魔力を込めると思ってんだ。奴隷が密林を脱出したことはこれまで一度もない。ああ、そういえば中級の二人は密林の向こうまでは魔力感知できないんだったな」 ラフリクスの得意げな声に、グレンが「偉そうに」と声を潜めて笑った。 「自分だって左遷されて来たくせに」 三人の探索隊長が本隊から左遷されて来たというのは有名な話だった。 王都に本拠地をおく魔術師団本隊では、ゾボルザック駐屯地を『魔術師の流刑地』と呼んでいるらしい。存在するのかも怪しい〝闇〟を探す任務。それに加えて、ゾボルザック駐屯地の総責任者ネヴィルは魔術師ではなく魔剣士だ。魔剣士の下につくことは魔術師にとってかなりの屈辱らしかった。 ――魔剣士は魔術師に劣る。近接戦闘しかできない魔剣士は、遠隔攻撃や治癒魔法を使える低級魔術師よりも下。他の駐屯地では師令官は上級魔術師、末端でこき使われるのが魔剣士だ。 ――獣人はいないの? ――獣人は団員ではなく消耗品と同じ扱いだよ。 これはあたしが師令官を「お父さん」と呼んでいた頃の会話。 師令官は元々この地に一人で住んでいて、砂漠を越えて逃げてきた獣人奴隷のお母さんとの間にあたしが生まれた。闇の森調査員と名乗る魔術師に出会って王国魔術師団に誘われたのはあたしが三才のとき。逃亡奴隷を匿った罪は見逃してもらえたけど、あたしにも奴隷紋が押されることになった。 魔術師団は獣人奴隷に焼き印を押す。お母さんは左腕に、あたしは左胸に。あたしの奴隷紋がお母さんのものに比べて大きく薄ぼんやりしているのは、奴隷紋が成長とともに大きくなったからだ。 お父さんは『ゾボルザック観測所』の所長として闇の森の監視と密林の魔獣討伐をし、あたしとお母さんはそれを手伝っていた。家族三人だけだったゾボルザック観測所が『ゾボルザック駐屯地』になったのは六年前。あたしが九歳のとき。 ――ネヴィル・ゾボルザックをゾボルザック魔術師団の師令官に任命する。 突然そんな通達があり、三人の魔術師が探索隊長という肩書と大勢の獣人とともに押しかけて来た。 ゾボルザックという地名が家名になり、あたしはエリアーナ・ゾボルザックになったけど、正直なところゾボルザックという名前は好きじゃない。 駐屯地に居候しているような中途半端な立場になったあたしを、皮肉まじりに「黒猫姫」と最初に呼んだのはタカイラだった。それを耳にした獣人たちが悪気なく「黒猫姫」と口にし、その呼び名が定着して今では「姫」と呼ばれることが多い。本当は「姫」と呼ばれるのも好きじゃない。 あたしを「エリアーナ」と呼ぶのは、グレンをはじめ比較的長く駐屯地にいる雑務係だ。 探索員は十五才以上と決められているけど、雑務係には年齢規定がない。年齢確認もまともに行われず連れて来られた獣人奴隷の中には十五才以下も混じっていて、雑務係になるのはだいたいそういう子たちだった。 探索員は駐屯地に来て一、ニヶ月でいなくなり、雑務係は長ければ二年くらい駐屯地にいる。グレンは一年近く前にここに来た第二探索隊所属の雑務係。あたしは第三探索隊所属だけど、新入りの雑務係に仕事を教えるのは一番古株のあたしの役目になっていた。 あたしが第三探索隊に入ったのは十一歳の誕生日を迎える直前。第六次探索でお母さんが殉死したすぐ後のことだ。
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