12人が本棚に入れています
本棚に追加
満月の逢瀬と闇属性の魔力
獣人奴隷たちの夜闇に紛れた逢瀬は日常茶飯事だった。
怠惰な魔術師たちが夜中に見回ったりすることはなく、夜の見張り番は同じ獣人だから融通を利かせてあたりまえ。
狩りもするけどある程度の食糧は補給隊が持って来るし、雨や夜露をしのげる寝床もある。連れて来られた獣人たちの話だと、ゾボルザック駐屯地での扱いはかなりいい方らしい。奴隷が脱走したりすれば厳しくせざるを得ないけど、ゾボルザックの獣人奴隷が自ら脱走を企てることはない。
駐屯地から一番近い町でも砂漠を歩いて丸三日。完全装備で挑まない限り途中で迷って力尽きるのが関の山だ。それに、脱走など企てなくても新入りの獣人奴隷には探索に乗じた脱出ルートが密かに伝えられる。獣人奴隷が駐屯地入りしてから探索決行までは三週間から長くても二ヶ月。そのあいだも不自由なく暮らせるのだから問題を起こす獣人などいない。
今夜あたしのテントからは二人の獣人が抜け出していった。残ったのはあたしを含めて五人。獅子が二人と虎とクロヒョウ、そしてあたし。みんな獣の姿で布団に伏している。小型種と違って猛獣たちは気軽に獣化するからテント内はいつも毛まみれだ。
あたしも黒猫に変身して敷布の上に丸くなっていたけれど、師令官の気配が密林に入ったのを感じてテントから抜け出した。
昼間の雨が嘘のように空はすっきりと晴れ、天頂に赤銅色の満月が輝いている。先に昇った青白い満月は密林に半分隠れていた。
獣人たちの逢瀬はだいたい倉庫用テントか草原に生えているモンキーポッドの上か下。漏れ聞こえてくる息遣いや喘ぎ声に顔を赤らめ逃げ帰ったのは最初の頃だけだ。同じテントの大人たちはあたしをからかって男女の行為を事細かに教えてくるし、知識だけならあたしも大人並み。
同じ年頃の女の子から夜の経験談をうち明けられたこともある。その相手は九割九分獣人だったけれど、中には魔術師のテントを訪ねる強者もいた。目的は行為そのものではなく、体を差し出す代わりに治癒魔法で怪我を直してもらったり、破れかかった服を魔術で強化してもらったりと色々だ。
第一探索隊長ラフリクスはそういう誘いを一切断っているようだった。彼にとって獣人と交わるのは汚らわしい行為。バンラード王国では一般的な感覚だ。
一方、第二探索隊長タカイラは外見が好みなら応じるようだった。タカイラに脅されてテントに連れ込まれたという話も聞くからたちが悪い。
そんなタカイラのテントよりも獣人女性の出入りが多いのは第三探索隊長イヌエンジュのテント。一晩で四人が訪れたとか、複数の女性が一緒に入っていったという話も聞く。外見も種族も年齢も問わないらしく、「来る者を拒まずとは若さだな」と、いつだったかタカイラがからかっているのを耳にした。
ゾボルザックに来た当初は手が触れただけで赤くなっていたくせに、今夜もイヌエンジュのテントには一人の獣人が入っていった。あたしより年下のリス獣人ルー。夕食の準備で火傷をしていたから治療を頼むのだろう。
あたしはその様子をテントの陰で盗み見ていた。黒猫だから夜闇に紛れるのは簡単だけど、魔術師のイヌエンジュはあたしの奴隷紋に気づいてるはず。それなのにチラともこっちを見ようとしない。
ふたつの満月に照らされたイヌエンジュの髪はうっすらと紫がかっていた。テント入口の布をめくりあげ、緊張した面持ちのルーを中に招き入れる。
あたしはイヌエンジュのテントから目をそらし、密林に向かって駆けた。テントに入った二人が何をしてるのか、その光景が脳裏をかすめて首を振る。
「ワンコのバカ」
ボソッとひとり言をつぶやいて密林に飛び込み、お父さんの気配を探ろうとしたその時、
「黒猫姫、夜遊びはダメだろう」
タカイラの声がした。驚いて飛び上がるとパシッと魔力縄が腹部に巻きつく。
木の陰から姿を現したタカイラは黒いローブに身を包み、グイッと魔力縄を引いてあたしを強引に足下まで引き寄せた。
「猫の姿もやはり母親に似て美しい。前回の満月の夜にも密林に入るのを見かけたが、もしかして闇の森に行くつもりか?」
タカイラのうねった長い髪は焚き火の燃えカスみたいな灰色。ローブは魔術師団支給のものではなく高度な魔力抑制魔術が付与された私物のようだった。
隠れて待ち伏せなんて嫌らしい。
ニャアと鳴いてやるのも癪で、あたしはニヤついた笑みを浮かべるタカイラの顔から目をそらした。すると、タカイラはあたしの首根っこを掴みあげてジロジロと体中を観察する。腹部に指を這わせ、毛の歪な場所で手を止めた。
「女性の乳房に奴隷紋とは、刻印したやつは変態だな」
タカイラは毛に埋もれた奴隷紋をなでる。あたしはひっかいてやりたいのをグッと我慢している。
獣化したあたしの爪には生まれつき闇の森と同じ属性の魔力が宿り、この爪でひっかけば傷が完治するまで魔術が使えなくなるはずだった。しかも傷の治りが遅い。
闇の森に生まれながら死霊術師になれず密林の外れに暮らしていたお父さん。獣人でありながら魔力感知能力が異常に高かったお母さん。その二人から生まれた黒猫獣人のあたしは、魔力量は普通の獣人同様にほんの少ししかないけど、お母さん譲りの魔力感知能力と、お父さん譲りの闇属性に偏った魔力をもって生まれた。
一般的に獣人の魔力が属性を帯びることはないし、魔獣のように攻撃に魔力を使うこともない。あたしの爪は特別なのだ。
特別だからこそむやみに使えないのがもどかしいところ。タカイラが魔術を使えなくなれば他の二人の魔術師は大騒ぎするだろうし、本隊へ報告しなければならなくなる。どうせタカイラはゾボルザックを去るのだから面倒ごとは起こしたくなかった。
とはいえ、されるがままでいるわけにいかない。タカイラを傷つけられなくても、爪の使い道はまだある。
あたしがお腹の魔力縄を爪でひっかくとパチっと静電気が走って魔力縄が消えた。闇の森に結界が張れないのと同じで、あたしの爪は結界魔術の応用である魔力縄を壊せるのだ。
首根っこはタカイラにつかまれたままだけど、無理やり人化すれば重さに耐えかねて手を離すはず――というあたしの思惑は裏切られた。
「おまえ、今何をした?」
逃れる間もなくタカイラはあたしを地面に押さえつけ、唾を吐きかけるようなぞんざいさで奴隷紋に魔力を注ぎ込んだ。人由来の魔力が体内に入ると獣化は解けてしまう。変態タカイラの魔力が自分の体を巡っていると思うと吐き気がした。
「その爪で結界を解いたな。結界が効かないなんて闇の森と同じ力じゃないか。闇について何か知っているだろう? それともおまえ自身が闇か?」
「あたしはっ、何もしてない!」
「侮るなよ、小娘が」
タカイラはあたしの両手首を再び魔力縄で縛ると、チュニックをめくりあげて露わになった左胸の奴隷紋をグッと掴んだ。
「痛ッ……」
「優しくしてほしいなら本当のことを言えばいい」
獣化させないためなのか、ただの変態か、乳房をなで回しながら魔力を注ぎ込んでくる。うねった灰色の髪が肌をなで、息のかかる距離にタカイラの顔があった。
「黒猫姫、ここに来たのは闇の森に行くためか? それとも誰かと逢い引きか?」
「ただの散歩です。テントを抜け出してるのはあたしだけじゃない」
「獣たちは毎晩お楽しみのようだからな。黒猫姫はまだ小娘のくせに、いやらしいやつだ」
タカイラの手がスカートの中に滑り込み、あたしは太腿に隠した魔法剣が見つからないよう身をよじった。
「いやらしいのは第二探索隊長です。いつもあたしの胸を舐めるように見てたくせに。小さい胸が好きな変態」
フン、とタカイラは鼻を鳴らす。
「気づいていたなら話が早い」
スカートをめくろうとしていた手が太ももを離れ、右の乳房を掴んだ。不快なことに変わりはないけど魔法剣が見つかるよりマシだ。
「ゾボルザックを去る前にこの体を味わっておきたかったんだ。密林なら盛りのついた獣人が来ることもない。ゆっくり楽しもうじゃないか」
「師令官に、報告するからっ」
「父親になんて報告するんだ? 初めての体験は想像以上に気持ち良かったって?」
成人男性の体重から逃れるのは難しい。タカイラはあたしが足掻くほどに愉悦の表情を浮かべた。唯一の希望は闇の森近くにあった師令官の気配がこっちに向かっていることだ。
――姫、大事なのは気持ちよ。好きな人が相手だったらどんなに拙くてもよくなるから。
ふと、いつかチーター獣人のお姉さんが言っていた言葉が頭を過ぎった。第二十次探索で駐屯地を離れた彼女はちゃんとアルヘンソ領に入れただろうか。今も元気に暮らしてるだろうか。
「慣れればよくなる」
タカイラの手が腹部を這い、ゾッと悪寒が走った。
「誰かッ……」
叫ぼうとして口を塞がれたそのとき、すぐ近くでガサッと音がした。目をやると密林の入口にグレンが立っている。月光のせいで紫がかった金色の髪はあたしが見ている前でたてがみに変わった。
「あれが逢引き相手か?」
タカイラは笑いを含んだ声で言うと、向かってくる獅子を風魔術で吹き飛ばした。木に叩き付けられたグレンは「グゥ」と唸り声を漏らし、のそりと立ち上がってタカイラを睨みつける。
「まさか逢い引き相手が子どもだったとはな。まったく、最近のガキどもは」
タカイラはあたしの奴隷紋を押さえつけたまま、短い詠唱でもう一度風魔術を放った。グレンは密林の外まで飛ばされる。
「おまえ、第二隊所属だったな。命令だ。おれの機嫌がいいうちにとっととテントに帰って指でもしゃぶっとけ。誰かに喋ったらこいつがどうなるか分かって」
「どうなるんだ」
突然の声にタカイラが頭上を仰ぎ見た。声の主はすでに枝から飛び降り、タカイラの喉元に剣を突きつけている。
漆黒の炎を纏った闇属性の魔力剣。あたしの魔法剣とは違い、師令官自身の魔力が剣に流れている。
「ね、……ネヴィル師令官」
タカイラは両手をあげ、あたしはようやく変態の体の下から抜け出した。
「エリ、手を出しなさい」
魔力縄で拘束された両手を出すと、師令官は剣先でそっと触れる。さっきと同じようにパチッと静電気が走って魔力縄が消え、それを見たタカイラは目を見開いて師令官を仰いだ。
「闇は、おまえ」
「エリアーナ!」
グレンの声がタカイラの言葉を遮り、金髪の少年が勢いよく抱きついてくる。師令官は無表情のままタカイラに剣を向けた。
「タカイラ隊長。わたしの娘に一体何を?」
「それは……、お嬢さんに密林で会いたいと呼び出されて、つい誘惑に負けてしまったというか、魔がさしたというか」
「あたしが呼び出すわけない。変態魔術師」
「そっ、そんなこと言ってもいいのか?」
タカイラは口元を強張らせながらも目は企むように笑っている。
「おれが中級魔術師だからって、その剣の魔力属性が分からないと思うのか?」
「タカイラ隊長はこの魔力を知ってるのか」
「闇属性だろう? 闇の森が発してる特殊な魔力だ。結界が壊せるってことはそういうことだろう? 闇の森には結界が張れない」
クッと師令官が笑い声を漏らした。
「闇属性のことは大公から聞いたのか?」
「そうさ。その特殊な魔力を魔剣士のあんたが発しているということは、おまえら親子が闇の源だ。違うか?」
師令官とあたしは顔を見合わせて苦笑し、グレンまで笑いはじめたものだからタカイラは困惑顔で目を泳がせる。
「タカイラ隊長、闇の森に入った魔術師がどうなるか知っているか?」
「魔術師がどうなるか、だと?」
タカイラはハッと目を見開き、次の瞬間には漆黒の剣が彼の右腕を斬り裂いていた。叫び声は確実にテントまで聞こえたはずだ。
「クソッ、こんなことッ……」
タカイラは左手をかざして詠唱をはじめる。が、ほんの一言か二言唱えて呻き声をあげ、その顔は絶望に染まった。
「なぜだ! なぜ魔術構築できない」
「知ってるだろう? 闇の森に入った魔術師は四肢のいずれかを失い、魔術は使えなくなると。タカイラ隊長のマナ経路は不能状態だ。闇属性の魔力は周囲のマナと魔力を引き付ける特性がある。今はマナが患部に集中し、体内はマナの不足状態に陥っている」
出血のせいか、ついにタカイラは地面に突っ伏した。
「なぜだ、大公はなぜこいつの正体を隠して……?」
「大公はわたしが闇属性持ちだということを知らない。闇の森近くでハンターをしていたから雇っただけだ」
「魔剣士として魔術師団に入ったなら属性を確認したはずだ」
師令官はフッと笑い、抜いたままにしていた剣をヒュッと振ってみせた。漆黒の炎は消え、剣は赤橙色の熱い炎を纏っている。火属性の魔力だ。
「バンラードの魔剣士は属性をひとつしか持たないのが普通なのか? 火事になると困るから密林ではあまり使わないが」
タカイラは醜悪に顔を歪めた。
「おまえ、大公を謀るなんてただじゃ済まされないぞ」
「タカイラ隊長が気にすることじゃない。わたしの末路など知ることなく今夜密林で果てるのだから」
師令官はヒョイとタカイラを肩に担ぎ上げた。意識が朦朧としているらしく抵抗する素振りはない。
「エリ、グレン。タカイラ隊長は散歩の途中に黃棘熊に襲われかけていたおまえたち二人を発見した。そして、自ら囮となって密林の奥に黄棘熊を連れて行った。わたしはタカイラ隊長の叫び声を聞いて捜索に向かった。いいな?」
「わかった」
「わかりました」
師令官はうなずいて背を向けたけど、ふと何か思い出したようにあたしを振り返った。
「エリ、今夜は森に入るな」
「……うん」
この状況であたしが闇の森に向かうわけにいかない。背後から足音が近づいて来て、師令官は葉音も立てず密林の奥へ姿を消した。
「エリアーナ、密林の外で待ってよう。早くここを離れなきゃ」
「そうだね」
グレンに手を引かれて密林を出る。最初に姿を見せたのはイヌエンジュだった。イヌエンジュからあたしを遠ざけるように、グレンがグイと手を引いて腕を絡ませる。
「姫、……とグレン。さっきタカイラ隊長の声が聞こえたけど何かあったの? それに、火属性の魔力の気配がしたような」
あたしとグレンが絡めた腕から目をそらし、イヌエンジュは密林の入り口をじっと見ていた。「ルーは?」と聞きたい気持ちを抑え、あたしは師令官の指示に従う。
「ここでグレンと会ってたら黄棘熊が現れて、タカイラ隊長が助けてくれたんです。怪我したのに囮になって密林の奥へ。師令官が後を追っていきました」
「姫はこんな危ない場所でグレンと待ち合わせしてたの? その、タ、……タカイラ隊長と会ってたわけじゃなくて?」
イヌエンジュはあたしの体内に残ったタカイラの魔力を感知したようだった。自分だってルーに魔力を注いだくせに。
「タカイラ隊長が黄棘熊をおびき寄せるために密林に入ったのは本当です。あそこに隊長の血が」
あたしが指差すと、イヌエンジュは「確認してくる」と一人で密林に入っていった。
そのうち獣人たちがぞくぞくと集まって来て、第一探索隊長のラフリクスが欠伸混じりで顔を出したのはイヌエンジュが呼びに行った後。
魔力の気配に気づかず寝ていたということは、遮音結界に加えて魔術結界も張って熟睡していたのだろう。そのくせ、すべて見透かしたような目をあたしに向ける。イヌエンジュ同様、タカイラの魔力をあたしの体内に感じたに違いない。
「奴隷どもはテントに戻って寝ろ。わたしと第三探索隊長がここで待機する。黒猫姫も師令官が戻り次第知らせるからテントに戻りなさい」
ラフリクスの指示に「偉そうに」とグレンがつぶやいた。密林から師令官が一人で戻って来たのはそれから一時間くらい後のことだ。
最初のコメントを投稿しよう!