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第三探索隊長テントでの密会②
「期待させて悪いんだけど、スカートめくったのはこれ」
あたしは太もものホルスターから短剣を抜き、ベッドに座ったままのイヌエンジュに剣先を向けた。闇属性の魔力石がはめ込まれた魔法剣は漆黒。魔力で形作られた刃は短剣の状態よりも二倍ほど刀身が長くなっている。
「……魔法剣? なんで姫がそんなもの」
「密林で生きていくには武器が必要でしょ? 六歳の誕生日にお父さんからもらったの。イヌエンジュはこの魔力の属性、わかる?」
「……闇の森と似てる」
「正解。これは闇属性の魔力。この魔力の特性は?」
「闇の森と同じなら結界が張れない? ってことは、魔術が使えなくなる……とか?」
意外なことにタカイラよりもちゃんとわかっている。
「姫、誰がその魔力石に闇属性の魔力を込めたの? 姫は闇の源を知ってるの?」
「あまり知り過ぎると本隊に戻れなくなるよ。タカイラみたいに腕を斬られて魔術が使えなくなるのが嫌なら話して。どうしてあたしがタカイラを殺したいほど恨むの?」
「もしかして姫がタカイラ隊長を?」
「タカイラを斬ったのは師令官。あたしがタカイラに襲われて、……それで、師令官が気配を感知して駆けつけてくれたの」
イヌエンジュはこぶしを握りしめ、「母親だけじゃなく姫まで」と声を震わせた。その言葉にドクンと心臓が跳ねる。
「お母さんが?」
あたしのつぶやきにイヌエンジュが顔を強ばらせた。
「姫、師令官から聞いてない? お母さんの死因」
「密林で四本テールのキツネモドキにやられたって聞いてるけど違うの?」
「違わないけど」
「じゃあ何?」
あたしは苛立って剣を振るった。漆黒の刃がサイドテーブルのマナ石ランプをなぎ倒し、地面に転がり落ちた魔法具は点滅して明かりを失う。
「そのランプもう使えない。闇の魔力で付与魔術を破壊したから。この黒い刃ならテント内に張った結界も破壊できる。防音結界を壊して叫び声あげてみる?」
じりじりと距離を詰めると、イヌエンジュは観念した顔で「言うよ」と両手をあげた。あたしは柄を握る手を緩めて漆黒の刃を消し、イヌエンジュのそばにあった夜着を借りて肩にかける。
「で?」
「第七次探索まではおれらも密林に入ってたの覚えてる?」
「うん」
そういえばそうだった。最初の頃は魔術師が闇の森近くまで獣人を引き連れ、密林の中で帰還を待っていた。それがいつの間にか密林の外で「行け」と命令するだけになっていた。
いつからそうなったか記憶はあいまいだったけど、イヌエンジュが言う通り第七次までだったならお母さんが死んで数カ月後に変更になったということ。
「第六次の時に、タカイラ隊長が探索に入った密林で姫のお母さんを拘束して、その……イタズラしようとしたみたいなんだ。そこに魔獣が現れて、タカイラ隊長はその場を離れたけど、お母さんは魔術で拘束されたままだったから……」
頭の中にパッとお母さんの姿が現れた。生きていた頃の姿ではなく、密林の奥で銀色のシダに囲まれ佇む輪郭のあいまいな影。
「タカイラ隊長は」
話を続けようとしたイヌエンジュが突然ベッドから立ち上がり、あたしは剣を握ろうとしたけどグラリと視界が揺れて彼の腕に支えられた。
「やっぱり言わなきゃよかった。ごめん、姫……」
ヒョイとあたしを抱き上げてベッドに寝かせ、胸を隠すように夜着をかける。
「……ねえ、イヌエンジュ。どうして師令官はタカイラを罰しなかったの?」
「おれが知ったのは師令官の命令で密林内への同行が禁じられた後なんだ。ラフリクス隊長とタカイラ隊長が話してるのをたまたま聞いちゃって。どうして師令官にバレたのか訝ってるみたいだった。たぶん、師令官も第七次探索が終わるくらいまで知らなかったんだと思う。その頃には証拠なんて残ってなかったし、処罰できなかったんじゃないかな」
お母さんが死んだ夜に密林に入ったお父さんが真相に気づけなかったのなら、おそらく――、
「お父さんは、お母さんから聞いたんだ」
「どういうこと?」
イヌエンジュはあたしの顔をのぞきこんだけど、寝返りをうって背を向けるとそれ以上追及してこなかった。
お母さんの遺体を闇の森に運んだのはお父さんだ。お母さんの魔力が死後放散により周囲と同化してしまわないようにわざわざ闇属性の剣で死体を傷つけ、お母さんの魔力がそこに留まる時間を伸ばし、闇の森に住む気まぐれな死霊術師がお母さんの〝影〟を生み出すことを期待した。
死霊術師が死体を見つけてやることといえば、残存魔力を闇属性の魔力で集めて影を作るか、骸に適当な獣の影を入れて動かすか、それとも放っておくか。お母さんは闇の森で影になった。
影にはハッキリした記憶がない。影になってしばらくは会話らしい会話が成立するけれど、半年もすれば支離滅裂な言葉だけしか出てこなくなる。死霊術によって集められたお母さんの魔力に、闇の森に元々あった魔力や、森で死んだ魔獣の魔力が混じっていくからだ。前回の満月の夜は「エリ」とあたしの名前を呼んでくれたけど、たぶん「エリ」が自分の娘だとはわかってない。
「姫、大丈夫?」
イヌエンジュが腰かけ、ギシッとベッドが軋んだ。
昔は猫の姿でこのベッドに丸くなっていたけど今は人間の姿で、しかも夜着をめくれば半裸。「長くなったね」と、大きな手があたしの黒髪をなでた。
「タカイラ隊長はそれまでも女性の探索員にちょっかいかけてたみたい。そんな感じのことを自慢げに話してたし」
「タカイラにバカにされたくないからイヌエンジュも見境なく女性を抱いたの?」
あたしは寝返りをうってイヌエンジュの手をつかまえた。夜着を払いのけてその手を強引に奴隷紋に押し付ける。
「ちょっ……、姫」
「あたしより年下の子もこのテントに来てたじゃない」
「誤解だよ。魔法で怪我を治してあげたりしてるけど、それだけ。無償で魔法を使ったなんて知られたらまたバカにされるから、だからここに来た女の人たちにはしたってことにしてくれって頼んだんだ。だから、……こんなふうにされると困る」
「イヌエンジュ、もしかして童貞?」
「なんで姫がそんな言葉を……」
「ねえ、あたしタカイラに奴隷紋を触られた。満月の夜にあたしが密林に入るのを知ってて待ち伏せして、こんなふうに胸を触って魔力を注いだの。タカイラの魔力がまだ残ってる気がして気持ち悪い。イヌエンジュの魔力で消してよ」
イヌエンジュは困惑しているようだった。なぜ満月の夜に密林に入るのか、どうしてそれをタカイラが知っているのか、色んな疑問が彼の頭の中を駆け巡ったはずなのに、口からこぼれ出たのは「ダメだよ」。
「おれが魔力を注いだら姫と会ったことがラフリクス隊長にバレる。あの人、密林に火をかけるつもりでいるんだ。駐屯地に奇襲をかけるって」
「一人で?」
イヌエンジュは苦笑を浮かべ、人差し指で自分を指さした。つまり、さっきの密談はそういうことだったわけだ。
「自分は駐屯地近くに隠れてるから、おれがラフリクス隊長の部隊も一緒に連れてアルヘンソ側の国境を目指せって。獣人たちは適当なところで密林に入れて、夜明け前にアルヘンソ国境近くで密林に火をかけろってさ。密林が燃えれば闇が炙り出されるはずだから」
以前のラフリクスは闇の存在なんて微塵も信じていなかったのに、やっぱり師令官の魔力に気づいたと考えるべきだろうか。それにしては闇の魔力に対して無防備だ。不意打ちで斬りつけられたら即魔術が使えなくなるというのに。
「ラフリクスは駐屯地に残ってどうするの?」
「師令官を殺して駐屯地側から火をかけるって。そういえば、魔獣の火属性魔力波による火災に見せかけたいから火球を使えって言われた」
「タカイラの仕業にみせかけるんじゃなくて?」
「ラフリクス隊長の考えがおれに分かると思う? 本隊への報告は自分が適当にするから言う通りにしろってさ。やるなんて一言も言ってないのに」
それより、とイヌエンジュはチラッと自分の手に目をやった。あたしが両手で押し付けているから彼の手はずっと奴隷紋の上で硬直している。
「イヌエンジュ、あたしを避けてたのはお母さんのことがあったから?」
「避けてるつもりなんてなかったよ。でも、姫はテントに来なくなったし、おれに愛想尽かしたんだと思ってた。最近はいつもグレンと一緒にいるだろ? 監視小屋でも……」
「グレンにキスされた」
自分から話を持ち出したくせに、イヌエンジュは想像もしてなかったという顔であたしを見た。
あたしはベッドに寝ころんだままグイッと彼の髪を引っ張って、間抜けに半開きになった唇にキスをする。それまで頑なにあたしから離れようとしていたイヌエンジュが、切なげに眉を寄せてあたしの上に覆いかぶさってきた。
「エリ」
昔の呼び方だ。
「ワンコ」
あたしも昔のように呼ぶと、イヌエンジュは「おれはイヌエンジュでいい」と言う。
「長いよ」
「じゃあ好きに呼んだらいい」
「イヌ? イヌエ? イヌエンジュ?」
「エリ」
イヌエンジュの手があたしの黒髪を梳いた。
――エリアーナ見なかった?
遠くからグレンの声がする。あたしを探す足音があっちに行ったりこっちに行ったりしている。
イヌエンジュの指が唇をなぞり、奴隷紋に口づけ、太ももに付けた短剣のホルスターを見つけると「物騒だなぁ」と苦笑した。長い淡黄色の髪が肌をくすぐり、いつの間にかグレンの声は聞こえなくなっている。
イヌエンジュの息遣いを耳元に感じながら、あたしはいつか聞いたチーター獣人のお姉さんの言葉を思い出していた。
――姫、大事なのは気持ちよ。好きな人が相手だったらどんなに拙くてもよくなるから。
「イヌエンジュ、あたし探索に行くから」
テントの入り口に放っていたチュニックを頭からかぶり、太ももにホルスターを巻き付けて魔法剣を収めた。梁に引っかけたローブを取ろうとしていたイヌエンジュが、あたしの方を振り返って「えっ?」と顔をしかめる。
「大人しく師令官のそばにいた方がいい。闇の森に入ったら戻って来れないよ。あっ、でも、駐屯地にいたらラフリクス隊長が……」
「イヌエンジュはラフリクスの言う通りにするの? 騙されて罪を着せられるか、口封じで殺されるだけだよ。イヌエンジュに魔術師団は向いてない。いっそ帝国に行って治癒師でもしたら?」
「エリが行くなら行く」
予想外の返事にあたしは言葉を失った。集合を知らせる角笛が鳴り響き、急に外が騒がしくなる。
「行かなきゃ」
あたしが黒猫に変身すると、イヌエンジュは外の気配をうかがいながらテントの裾をわずかにめくり上げた。抜け出す間際、彼の手があたしの背をなでる。懐かしい感触だった。
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