ネヴィル師令官の役目と消えた影

1/1
前へ
/12ページ
次へ

ネヴィル師令官の役目と消えた影

「密林を? 闇の森じゃなく?」 師令官の表情は驚いてるというよりむしろ呆れているようにも見えた。あたしは「わかんない」と首を振る。 「闇の森も燃やすつもりかもしれない。イヌエンジュには密林を燃やして闇を炙り出すって言ったみたいだから」 「闇を炙り出す、か。どうやらわたしの魔力属性にはまだ気づいていないようだな。タカイラを斬ったとき感知されるかと覚悟したんだが、たとえ気づいているとしてもわたしの剣で魔術が使えなくなるとは微塵も思っていないようだ」 師令官の魔力属性を察し、その性質を理解していたら平然と隣に立つことはできない。でも広場でのラフリクスは普段通りだった。 「ラフリクスが油断してるなら好都合だよ。あの男、駐屯地に奇襲をかけて師令官を殺すつもりなんだって。それで密林に火を放つみたい。イヌエンジュには国境近くで魔獣の仕業に見せかけて密林を燃やせって言ったらしいよ」 そうか、と師令官は顎に手をやって思案する。 「獣人たちが密林に入ってラフリクスが一人になったところを始末するつもりだったんだが、そういうわけにはいかなそうだな」 「お父さん、国境に行くつもりだったの?」 「最初はな。鳥人をここに残すのを彼が渋ったから、駐屯地に何か仕掛けてくるかもしれないと考えていたところだ。わたしを狙うだけならまだしも、密林にまで手をかけるとは」 「いっそ今夜殺しちゃったら?」 「物騒だなぁ」 師令官はあたしの太ももに短剣を見つけた時のイヌエンジュと同じ反応をした。二人は目尻の際あたりがほんのちょっとだけ似ている。 「エリ、ラフリクスのテントの結界は感知できるだろう?」 「種類までは分からないけど、六つくらい重ねがけしてあるのは分かる」 「数まで分かるのはすごいな。わたしにはそこまでは分からないが、強力な結界だということは分かる。耐火魔術も付与されてるだろうから火を放っても燃えないぞ」 「風が吹いても飛ばなそうだし、黄棘熊が襲撃しても弾きそうだよね。でもお父さんの剣なら結界を壊せるでしょ」 「それはそうだが、下手すれば駐屯地にいる全員を巻き込むことになる。仕掛けるなら人数が減った探索時の方がいい。ところで、イヌエンジュはどうするつもりなんだ? 火炎魔法を魔獣の仕業に見せかけるなんて本隊の魔術師が相手では無理な話だ。イヌエンジュも分かってるはずだが」 「騙されるか殺されるだけだからラフリクスの言う通りにはしちゃダメって言っといた。それに、獣人や魔獣がいる密林に火をかけるなんてイヌエンジュにはできないよ」 探索終了時、「帰還者ゼロ」という師令官の言葉を聞いて落ち込むのはイヌエンジュくらいだ。あたしと師令官は探索員が逃げたことを知っているし、ラフリクスとタカイラは獣人の安否なんて気にしない。 「だからエリを利用するんだ。言う通りにすればエリは殺さない――上級魔術師のラフリクスがそう脅すだけで効果があると思うぞ」 「そうかなぁ」 口にしながらそうかもしれないと思う。イヌエンジュはあたしの剣の腕を知らないし、昨夜タカイラに襲われたばかりだ。 「第一探索隊長も第二探索隊長も厄介なやつらだな」 「大人しく待ってればゾボルザックから解放されたのにね」 「タカイラは本隊でも女癖の悪さで問題を起こしていたらしい。ラフリクスは理知的なフリをしてるが実際のところ短慮だ。ここに来る前は師令官をしていたがヤツの判断ミスで統括していた魔術師団員の八割を失ったと聞いた。師令官に返り咲くために派手な成果が欲しいのかもな」 師令官はテントの方に目をやった。いつも魔力を撒き散らしてるラフリクスの気配は感じられない。自分のテントに引きこもっているようだ。 「エリ。ラフリクスはわたしを殺して『こいつが闇の源でした』って本隊に報告するつもりかもしれないぞ。多少でもわたしの魔力属性に気づいていたらの話だが」 師令官は余裕の表情でククッと笑った。あたしはそこまで楽観的になれない。 「お父さん、ラフリクスは腐っても上級魔術師だよ」 「わたしは上級魔剣士だ。それに、闇属性の魔力と言うのはエリが思ってるよりずっと面倒な力なんだよ。エリくらいの魔力量がちょうどいい」 「あたしの魔力なんてないも同然なのに」 せいぜいお父さんの百万分の一くらいだ。 「エリが爪で引っかけば魔術師は魔術を使えなくなる。それだけですごいことだ。帝国に行っても属性は隠しておいた方がいい」 「帝国?」 心臓がドクンと鳴った。 探索に参加すると決めたとき一度は決心したにも関わらず、お父さんを一人残してここを去ることに躊躇いがあった。まだゾボルザックを離れると決めたわけじゃない。 「エリ、イヌエンジュと一緒に帝国に行きなさい。エリのことはアルヘンソ辺境伯に頼んである。もしかしたら魔術師も一緒にいくかもしれない、とな」 言葉を失って呆然と見返したら、お父さんはちょっと困った顔であたしを抱き寄せた。 「本当の裏切り者はタカイラでもラフリクスでもなくわたしなんだよ。闇の森の住人を通じてアルヘンソ辺境伯に情報を流している。闇の森はとっくにアルヘンソ辺境伯と通じてるんだ」 「帝国は死霊術師が闇の森にいることを知ってるってこと?」 「いや、知っているのはアルヘンソ辺境伯だけだ。帝国では死霊術が禁じられているし、死霊術師の存在を隠すことを条件に闇の森の人々はアルヘンソ辺境伯に協力している。わたしはそれをバンラード王国側に悟られないよう対処する役目だ」 お父さんは密林の方へと目をやった。そう言えば、「追い出された」と言うわりに闇の森を見つめるお父さんはいつも穏やかな顔をしていた。 「死霊術師になれないから闇の森を追い出されたんじゃなかったんだね」 「追い出されてはいないが、死霊術師になれなかったというのは間違ってない。自分の膨大な魔力を制御できなくて魔術が発動する前に術式を破壊してしまうんだ。だから剣に魔力を流すだけの魔剣士になり、闇の森を守ってきた」 「お母さんの影はお父さんが死霊術師に頼んだの? 気まぐれな死霊術師が運よく影にしてくれたんじゃなくて」 お父さんはうなずき、「ごめんな」と口にしてあたしの肩に顔を埋めた。 「エリ、お母さんの影はもういないんだ」 「えっ」 「タカイラを闇の森に連れて行ったときお母さんの影を斬った。タカイラの魔力がお母さんの影と混じるくらいなら、もう解放してあげたいと思ったんだ」 ストンと足元が抜け落ちた気分だった。闇の底に落ちていくのをお父さんが繋ぎ止めている。 「お母さんは? お母さんはどうなったの?」 「お母さんの影が形を保てないくらいわたしの魔力を注いだ。輪郭がぼやけて、そのあと闇の森の魔力と区別がつかなくなった」 胸にぽっかりと穴が開いてしまったような感覚と同時に、どこかホッとしていた。 お母さんの影を見ていると生きていた頃のお母さんを忘れてしまいそうで、あの影がお母さんだと信じられなくなっていく自分が嫌だった。 「お父さんはゾボルザックに残るの? 一緒にアルヘンソに行かないの?」 「わたしはここにいる。バンラード王国を監視することはアルヘンソ辺境伯との約束でもあるんだ」 「ずっと一人でここにいるの?」 「一人じゃないよ。闇の森の仲間がいるし、それに、ここに残りたいって言う奇特な鳥人が一人いるから」 お父さんが空を見上げ、あたしもつられて顔をあげると一羽の鳥がテントの方へと飛んでいった。あれはたぶんイヌワシのヒルダ。年はイヌエンジュと同じくらいだから、お父さんとはかなり年が離れているはずだけど。 「お父さん、もしかして手を出したの?」 「まさか」と苦笑する。 「タカイラに絡まれてたのを助けたら懐かれてしまっただけだよ。でも彼女の存在はありがたい。視力がいいし空から状況を把握できる」 「だから鳥人全員を雑務係にしたんだ。ヒルダだけだとラフリクスに怪しまれるから」 「それもある。それに鳥人なら駐屯地に残っても逃がしやすい。問題はここに残る爬虫類種だ。ラフリクスが国境に向かったように見せかけて一度駐屯地を離れるなら、彼が戻ってくる前にどうにかしないといけないな」 「爬虫類種でも人化した状態なら身体能力が高いんだから、ラフリクスがいなくなってすぐ密林に入れてあげたらいいんじゃない?」 「そうしたいところだが問題は奴隷紋だ。ラフリクスが中間地点あたりまで移動したら獣人たちを密林に入れようと思っていたが、ラフリクスが駐屯地近くに留まるなら……」 「どうするの?」 どうするかなぁとボヤいてお父さんは草原に寝っ転がった。あたしもその隣に寝そべって夜空を見上げる。空を埋め尽くす星とふたつの月。まるで空に浮かんでいるみたいだ。 「お父さん、アルヘンソ辺境伯と闇の森の住人が味方なら、帝国に行ってもお父さんに会いに来れるよね?」 そうだな、とお父さんは言ったけど、あたしを安心させるための嘘のような気がした。 「エリ。駐屯地を出て夜が明けたら、無理やりにでもイヌエンジュを連れて闇の森を抜けなさい。闇の森の住人は害意のない者を傷つけたりしないから」 「わかった」 お父さんを安心させるための嘘だった。残ると言ってもどうせ足手まといだと言われる。それならこっそり戻ってくればいい。 「お父さん、餞別にそのローブちょうだい」 「これか?」 お父さんは寝ころんだままローブの裾を持ち上げた。ローブの内側から魔力がわずかに流れ出たけど、剣を通さないお父さんの魔力には属性を感じない。 「そうだな。このローブはエリが持っていた方がいいかもしれん。普通の魔力抑制ローブだと闇の森の魔力で付与魔術が壊れてしまうが、このローブは死霊術師が魔術付与したものだからそんなことはない。闇の森の魔力の影響を加味して、通常使われる魔術公式とは違う術式になってるんだ」 「死霊術師は魔術が使えるの?」 「闇属性の魔力を使って死体や死霊を扱う魔術が死霊術。だから広い意味では死霊術師は魔術師なんだよ。知識さえあれば魔術師は死霊術師になれるし、別に闇の森の住人が特別ってわけじゃない。ただ闇属性の魔力に慣れていて死霊術の知識があるってだけだ。外部から闇の森に来た魔術師は魔力に酔ってしまうけど慣れればなんてことない」 そういえば三人の魔術師がここに派遣された当初、闇の森近くに行くたびにげっそりと青ざめた顔で帰って来ていた。どうやらあれは魔力酔いだったようだ。 「イヌエンジュも多少は慣れてるだろうが、闇の森に入ると魔力濃度が全然違う。エリでもめまいくらいはあるかもしれないが、このローブはイヌエンジュに貸してあげなさい。元々魔力の強い者の方が闇属性の魔力の影響を強く受けるから」 「わかった」 本当はラフリクスにイヌエンジュの居場所を知られないためにローブを使おうと思っていたけど、魔力酔いも回避できるなら一石二鳥だ。あとはどんな理由をつけてイヌエンジュにローブを着させるか。 「そろそろ戻ろうか。イヌエンジュも退屈だろうし」 姿は見えないけど、イヌエンジュはモンキーポッドの枝に腰かけているようだった。 「エリ、今夜は彼と接触しない方がいいよ。ラフリクスを警戒させるだけだから」 「わかってる。ラフリクスは計画がわたしたちに漏れたと思ったかな?」 「だとしても計画は変えないだろう。わたしを殺しさえすればどうにでもなると思ってるだろうし、彼はわたしを見くびってるから」 「ゾボルザック魔術師団の師令官の座を狙ってるのかもしれないよ」 あたしが言うと、お父さんはクッと笑う。 「ラフリクスが派手なことをしようとしてるのは大公の目に留まりたいからだ。その大公がゾボルザックに見切りをつけたことは明らかだし、第一あの男がこんな辺鄙な土地に住みたいわけがない」 「あたしはこの場所けっこう好きだよ。自分の名前にゾボルザックってつけられたのは嫌だけど」 「帝国に行ったらゾボルザックを名乗るのは危険だ。国境を越えた先の鉱泉付近はエリスティカという地名らしいから、エリアーナ・ゾボルザックをやめてエリアーナ・エリスティカにするか?」 「エリばっかりで変」 お父さんは笑いながらあたしの手をとって歩きはじめる。父娘の密談が終わったと判断したのか、ようやくイヌエンジュの気配が遠ざかっていった。 「お父さん。あたし帝国がどんなとこなのか見てみたい。ゾボルザックを出て行った獣人たちにも会いたいし、本当に獣人と人間が同じ扱いをされてるのか知りたい」 そうか、とお父さんはあたしの肩を抱く。 手をつないで草原を歩くなんて、お父さんが師令官になってから一度もなかった。それまではあたしを真ん中に親子三人で散歩していた。 「エリ、帝国法では獣人と人間は同等とされているらしいが、実際のところそう甘くはない。バンラード王国ほどひどくはないが、獣人であることを隠して生活するのが普通だ。だが、アルヘンソ辺境伯はそれを変えようとしている。希望を捨てず、その上で慎重に動きなさい」 「あたし、ずいぶん慎重になったと思わない?」 「そうだな。お転婆ばかりしてお母さんに怒られてたことを思えばマシになった。でも、まだまだ子どもだ」 「あたしはずっとお父さんとお母さんの子ども」  小さい頃みたいに黒猫になって飛びつくと、お父さんは「おっと」と慌ててあたしを抱きとめる。ラフリクスやタカイラに皮肉られるのが嫌で甘えないようにしてたけど、どうせ明日でゾボルザック魔術師団は実質的に解散なのだから何を言われても構わない。 ――ァアアーウゥ……アァーウゥ…… 密林からキツネモドキの遠吠えが聞こえる。 キツネみたいな鳴き声と毛色、比較的小柄な体躯のキツネモドキはキツネではなく狼だ。お母さんを殺したあの魔獣の鳴き声があたしは嫌いだった。ギュッと身を固くしたあたしの背をお父さんが優しくなでる。 「大丈夫だよ、エリ。キツネモドキは縄張りを荒らさない限り襲って来ない。それに、お母さんを殺したのはタカイラだ。無知なあの男がお母さんをキツネモドキの縄張りに引っ張り込んだ」 そうなの? と問いかけたつもりが「ニャァ」と鳴き声になった。お父さんは「そうだよ」と当たり前のように返してくる。 「エリも知ってるだろう? この密林の魔獣たちは人間を恐れているからむやみに襲ってきたりしない。お母さんが襲われた場所の近くには巣穴があった。生まれたばかりの子どものキツネモドキがいて、子育て中で気が立ってたんだ。お母さんを殺した魔獣は子どもを守ろうとしたんだよ」 お父さんはキツネモドキと自分を重ねているようだった。 お父さんがタカイラを斬ったのも、ラフリクスを殺そうとしてるのもあたしのため。でも、あたしはキツネモドキの子どもみたいに巣穴に引っ込んでいるつもりはない。
/12ページ

最初のコメントを投稿しよう!

12人が本棚に入れています
本棚に追加