美女と変態

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学生時代バイトをしていた喫茶店は信じられないほどお客さんは少なかったが、その分仕事仲間との仲は良く、口にはしないが私はこのバイトが大好きだった。 誰かが勝手に休憩室に持ち込んだ麻雀で、客が来ないのを良いことに営業中に店長混みで賭博をしていたぐらいだ。 今、やろうものなら炎上ものだが、そのおかげで私たちの絆が深まったと言ってもいい。 マイルールの名の下ルールを改変しまくった無法麻雀は、力を合わせながら時に裏切り合い我々に感動をもたらした。 そんな四年間続けたバイトの記憶のほとんどは麻雀であるが、二人だけ忘れられないお客さんがいる。 そんな彼らはいつも暇な喫茶店が、史上最低記録の売り上げを叩き出した時に現れた。 バイト仲間で集まるといつも話題に上がる彼らを、私たちは‟美女と変態”と呼んでいる。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー----------- 「店長~、今日はもうお店たたみませんか?いくら待ったってお客さん来ませんって。」 出来る場所の掃除はやり尽くしてしまい、拭く必要もなさそうな壁を拭きながら尋ねる。 「そうしたいのはやまやまなんだけど、一応ここ系列店だから本社の許可無く営業時間変更できないんだよね、ごめんごめん。」 ごめんなんてかけらも思ってもいないような声のトーンで、くわえたばこをしながら椅子にふんぞり返っているのはこの店の店長だ。 売り上げが悪い理由の7割は、この人のせいと断言しても良いほどの悪人面をしている。 しかし中身はただの面倒見の良いおじさんで、学生バイトである私たちとネズミーランドに遊びに行ってくれるぐらいに乗りも良い。 また業務用生クリームを一気飲みするぐらいに甘いものが大好きという、気持ち悪いギャップをも兼ね備えている。 「大丈夫きっと少し営業時間チョロめかしてもばれませんよ、こんな営業成績底辺の店なんて。」 そして、プラスチックなのを良いことに、コップを使ってトランプタワーを作っているのは後輩の宮野だ。 いかにも大学デビューしましたといわんばかりの雰囲気イケメン野郎だが、先輩である私に膝かっくんをかましてくる生意気野郎でもある。 それにしても、どこまで高く積むつもりなのだろうか。 段数はとっくに6を超え、そろそろコップが無くなりそうだが本人はいたって真面目な顔でタワーを作り続けている。 「そうですよ、この人数じゃ麻雀も出来ませんし、暇にもほどがあります。」 この信じられないぐらい美人な女の子は、真白ちゃんで私と同い年の三年生。 先ほどから招き猫の置物をずっと拭き続けておりそのおかげか、はたまた彼女の美しさからか猫が光り輝いて見えるほどである。 そんな彼女は顔だけで無く心まで美しい完璧美少女で、私は会うたびに彼女にプロポーズを申し込みそのたびに断られ続けているが諦めるつもりは毛頭無い。 「だよなー、閉店まで二時間どうしようか。って、何か良い匂いしないか?」 「あっ、川越さんがまたパンケーキ焼いてますよ。」 「頼む!糖分がっ、糖分が足りないんだ。勘弁してくれぇえええ。」 この血走った目でパンケーキを焼いているのは四年の先輩の川越さん。 甘いものが大好きというかもはや依存症の域に達しており、糖分をとらない状態が三時間を超えると発作を起こしてしまうためバイト中にもかかわらず今のようにいきなりクッキングを始めることが多々ある。 しかし糖分依存症という点を除けば、普段は寡黙でかっこいいのでこの店のお客さんの八割は彼のファンで成り立っているといっても過言では無い。 「まあ暇だし、せっかくだから人数分焼いてくれよ。コーヒーもまだ沢山残っているし、飲んで良いぞ-。」 「えー、夜にパンケーキとかやばすぎですけど絶対食べます。私生クリームマシマシで!」 あぁ、喜びで輝く瞳が美しいよ真白ちゃん。私も絶対食べる。何ならチョコソースもかけちゃう。天使のそばで食卓にありつけるだなんて、今日が最後の晩餐でもかまわない。 「静香さんまたキモいこと考えてたでしょ。残念ながら真白さんがあなたと一緒になる未来なんてこの世界線には存在しないんで、そろそろ諦めましょ?」 「うるさいわね、私は天使の翼の元にいられればそれでいいのよ。これ以上望むなんて罪深いわ。」 なんだか後輩が腐ったものを見る目で私を見つめているが、そんなの気にしない。 素早く真白ちゃんの隣の席を確保して、至福の顔をした川越先輩からパンケーキを受け取ったそのときだった。 カランカラーンと久しく聞いていなかった店の扉のベルが鳴り響き、一組のカップルが入店してきたのである。 「おっ、もしかしたら本日初めてのお客さんかもしれねぇ、いらぁっしゃいやせぇ-、こぉんばんわぁ!」 耳を疑うような台詞とともに、パンピーとは思えない挨拶の仕方でお客さんを迎えに行く店長。 を、恐ろしいスピードでパンケーキをむさぼり食った川越さんとともに見つめると、そこには驚いた顔をした私たちと同じぐらいのカップルがいた。 彼女さんは淡い水色のワンピースを着たTHE清楚美人のような人だったが、私たちが驚いたのは相手の彼氏の方である。 身長は180cmを超えているような高身長で、足は細くて長くて何を言っても顔がっ! 私の貧相な脳みそでは表現出来ないのがなんとも悩ましいのだが、それはそれは美しい顔をしていたのである。 きっと神様が試行錯誤を重ねて作り上げたに違いない、素晴らしい御尊顔をあがめたことにより、たまらず流れたよだれをそっと手の甲で拭う。 「先輩、あんたって相手が美形なら誰でも良いんでしょ。」 そんな私を哀れんだ目で見つめてくる後輩の足を、ばれないように笑顔で踏みつけてやった。 が、確かにそれは否定できない。 けれどもこれは全て私が幼い頃からジャニーズな方々を見せて英才教育を施した、母のせいである。 父以外の男性は皆山下智久のような美形に違いないと信じて育った私が、小学校に入学した時に味わった絶望と言ったら今思い出しても泣けてくる。 「それに俺がバイト始めたばっかの頃は、顔真っ赤にして何でもかんでも優しく教えてくれたじゃ無いですか。ねえ、本当は好きなんでしょ俺の顔。」 にやりと嫌らしい笑みを浮かべて私を見下げてくる生意気な後輩に、自慢のポニーテールでビンタをかますことで赤らんだ顔と興奮を納めることに成功した。 「うぇっ、もさってしたんですけど-。」 「ふっ、馬鹿ね。人間顔だけじゃ無いのよ。真白ちゃんみたいに美しい心も兼ね備えなきゃまだまだってこと。」 「えーっ、俺じゃだめなんすか?」 この期に及んでまだからかってくる青臭坊主に何らかの体裁を食らわそうか悩んだ私の目の前を、イケメン彼氏が通り過ぎ私はたまらずほっとため息を吐いた。 「あのレベルのイケメン見ちゃったら、あんたなんて水槽の藻と同じよ。」 「えっ?藻?先輩にとって俺は藻同然ってことっすか?」 なんだか落ち込んでしまった後輩を横目に、るんるんとオーダーを取りに行こうとした私から伝票が取り上げられた。 「お前はそのよだれをどうにかしろ。」 糖分狂いの川越先輩にさえ腐ったものを見る目で見つめられ少しショックを受けながら、私はカウンターの中から狩人のような目つきでカップルを見つめる。 「ご注文は何になさいますか?」 先ほどの狂乱ぶりからは想像もつかないほど落ち着いて接客をしているが、勢いよく食べたせいかまだ口元にパンケーキのくずが付いてますよ先輩。 「俺は、アイスコーヒーで。雫は?」 「私は、チョコケーキセットの紅茶でお願いします。」 「ぐふふ、チョコケーキ食べるの?可愛いーね。」 なんだかイケメンから気持ち悪い笑い声が聞こえた気がするが、大輪の花が咲いたように美しい笑顔に、店長さえも見とれている。 気づけばいつの間にか帰ってきていた先輩を捕まえて、私は真剣な顔で尋ねた。 「あのイケメン、どんな匂いがしましたか?」 それと同時に、力を失いカクリと崩れる私の膝。 ぐるりと勢いよく振り返ると、先ほどと変わり今度はゴミを見るかのような目で見つめてくる後輩をみて少し正気に戻る。 「静香ちゃん。警察に捕まる前にどうにかした方が良い。」 「ごめん、今すぐこんな性癖捨て去るから。お願い、そんな目で見つめないでぇ。」 愛しの天使にすら蔑まれ、慌てて私は頭の中の煩悩を消し去った。 「ねえ、あのイケメンに顔写真付きのサインもらったらお客さん増えるかな?」 そんな思わぬイケメンの到来によって、馬鹿な店長を軸に厨房は騒然となる。 「しーずーく?こっち向いて?」 「えーっ、秋くんてばまたなの?」 速報!イケメンの名前は秋だということが判明しました。 確かにイケメンの名前してるなー。 「チッ、俺と同じ名前かよ。」 と同時に我が後輩の名前も明らかになったが、そんなものに興味は無い。 「だってこの瞬間の雫はこの瞬間しか存在しないんだよ?そんな貴重な今を記録に残さないなんてどうかしてる!」 今イケメンから限界オタクのような発言が聞こえたのは気のせいだろうか。 私たち店員(モブ)の姿なんて目に入っていないのであろうイケメンは、とろけるような笑顔でスマホで彼女さんを連写している。 こんなにイケメンなのだから彼女さんの方が彼氏にぞっこんなのだと思っていたが、実はそうでは無いようだ。 なんだか飼い主になつく犬みたいで可愛いなと思っていたら、彼氏は大きめのをごそごそとあさり、それは立派な一眼レフを取り出した。 「ちょっと、お店の中なんだからカメラとかやめてよ。」 「んふふ、雫知ってる?実はスマホは広角レンズだから本当の顔とは少し違って写るんだ。けれども一眼レフなら限りなく本物に近い状態で撮れる。つまり、完璧な雫を写真に残すことが出来るんだよ!」 まるでこの世界の悪しきものをその微笑み一つで滅ぼせそうなほど美しい笑顔だが、なんだか雲行きが怪しくなってきた。 スマホで彼女の写真を撮るぐらいならまだ理解できるが、実物に近い彼女を撮るために一眼を用意するのは少しやり過ぎでは無いだろうか。 「なんかあの彼氏、キモくね?」 「ねー、それな。」 厳つい顔でそれなとつぶやく店長に少し引きながらも、真白ちゃんのつぶやきに私もうなずき返す。 「気持ち悪いこと言わないで、あっ、可愛い顔しても許さないから。今日の今日こそはっきりさせましょ。」 まるで今にもクゥーンと泣き出しそうなつぶらな瞳で見つめているが、彼女はもうこの手には慣れっこなのだろう。 少し流されそうになりながらも、キリッとした表情で彼氏を見つめ返す。 それと同時に店の中になんだか不穏な空気が流れ出すのを感じた。 「せっかくデートしてても秋くんはいつも私の写真を撮ってばっかり。正直私なんかより断然美人の秋くんを前にして言うのは恥ずかしいんだけど、秋くんが好きなのは私の顔だけってこと?」 「何言ってるんだ!そんなわけ無いだろ?雫は俺なんかと比べようも無いほど美人だよ!」 「今話してるのはそこじゃ無いってば!」 え、このイケメン彼氏いつも彼女の写真撮ってるの?それはちょっと、ていうかかなり引くわ。 今も怒っている彼女を見て、そんな雫も素敵だと写真を撮り始め怒られる始末。 「何かあのイケメンやばくないですか?ずっと彼女の写真撮り続けてるとか引くー。」 奇しくも生意気野郎と心の声がかぶってしまったが、その点においては私も同意するほか無い。 「ねえ、紅茶入れ終わっちゃったんだけど誰持ってく?」 「静香ちゃんさっき匂い嗅ぎたがってたじゃん、ほらついでに嗅いできなよ。」 「えー、さすがにあの変な修羅場に突撃していくのはちょっと嫌なんだが。」 イケメンの登場に浮かれまくっていた数分前とは打って変わり、料理の提供を譲り合う私たちをよそに彼女の不満は止まらない。 「それにさ、いっつも変だと思ってたの。私が使ったティッシュとかゴミとか回収してくれるけどあれ、本当に捨ててる?」 『えっ?』 あまりの衝撃に、彼女以外全員の“え?”が重なってしまったがそんなことはどうでも良い。 おい彼氏どういうことだ。 青ざめて動揺しているのは、事実じゃ無いからだといってくれないか。 「なんかいつもゴミ渡すと、雫の使用済みティッシュ、ふふっ。とか言ってジッパーに入れているけど、あれ捨ててるってことで良いんだよね。」 彼女の背中から熱く燃えさかる劫火が見える気がするが、幻か? 「あっ、当たり前だろ?雫の聖遺物を、じゃないゴミを持たせたらかわいそうだっていう俺なりの優しさじゃないか。」 おいおい待て待て。完璧イケメンかと思ったら、ただのイケメンの皮を被った変態じゃんか! さすがにコレクションはやばいって。彼女さん!今すぐ逃げて!! 「じゃあゴミ、今ここでちょうだい。今日は私が捨てるから、ね?」 「だめだよ!今日は激レア雫の使用済みストローが入ってるんだから。」 まるで宝物を奪われるような悲惨な顔で、ジッパーを抱きしめるイケメンもとい変態を、道ばたのゲロを見つめる目で見下ろす彼女と私たち。 「えっ、通報?これ通報した方がよくない?」 確かにそれは私も同意見である。これ以上変態を野放しにしてなるものか。 「とにかく紅茶冷めちゃうし、俺持ってくわ。」 さすが糖分が体内を巡っていればクールな川越先輩。頼りになる!と思ったが、トレーを持っていない右手と右足同時に出てますよ。 店長に至っては自分の娘が付き合っている彼氏が心配になったのか、イケメンか?彼氏はイケメンなのかぁ?と娘さんにラインを送っている始末である。 「使用済みストローって。マジでやめて本当キモい。」 「あぁ、もっとけなして。そんな雫も美しい。」 「注文の品をお届けに参りました。」 二人の甘いというかドロドロとした空気を割るように、川越先輩が割って入ったがここは意外と素知らぬ顔で受け取る二人。 外面は良いのだろう。輝かんばかりの笑顔を向けてくれたが、私たちにはもう犯罪者にしか見えない。 紅茶を飲んで心を落ち着かそうとしている彼女を前に、必死に写真を撮りたい左手を押さえているのが机の下から丸見えだ。 「まぁ、そんなことは置いておいて。ケーキ食べなよ。おいしそうだよ。」 「そんなことじゃないでしょ?私の彼氏が犯罪者予備軍手前っていうか片足突っ込んでるんだから。」 とにかく今日で片をつけるつもりなのだろう。 彼女は断固とした姿勢を崩さない。 「うぅぅっ、可愛い彼女の写真を撮って何が悪いのさ!」 「さすがに限度ってものがあるでしょ!?」 彼女が机をたたきつける音が、静かな店内に鳴り響く。 「やめて、雫の綺麗な手が傷ついちゃう!」 「だからキモい!!!」 とうとう本格的な痴話げんかに突入してしまった。 しかし、これはどう考えても変態が一方的に気持ち悪すぎるのが悪い。 神はどこで制作工程を間違えてしまったのだろう。 顔に力を入れすぎて後半は疲れて粗が出たのか、性格面に難がありすぎである。 「とにかく、写真を撮るのも私のゴミをコレクションするのもやめて!じゃないと、わ、別れるよ!」 彼女が一瞬どもりながらもそう言い放った瞬間、彼氏の顔から全ての感情が抜け落ちた。 まるで彫刻のように綺麗だが、触れるもの全てを傷つけるような危うさも感じる。 さすがに彼女も動揺し、必死に呼びかけるが彼氏はびくともしない。 「なあ、あいつやばくね。最近の若い子って皆そうなの?おじさん付いてけないよ。」 そんなことを言いながら、今日で賞味期限切れのチーズケーキを食べている店長。 こいつ絶対つまみにしてやがる。 それにしても相当別れる発言が堪えたのであろう、愛しの彼女に顔中をベタベタ触られてもびくともしない。 「でもさすがに愛が重すぎよね、イケメンでも普通に無理だわ。」 チョコケーキを食べながらあきれたようにつぶやく真白ちゃん。 その隣の先輩はホールでショートケーキを食べているが糖尿病にはならないのだろうか。本気で心配になってきた。 「静香さん、チーズケーキとチョコケーキどっちが良いっすか?」 「私チョコで。」 しかし、この状況も中々面白くなってきたな。これは最後まで見届けさせてもらおう。 二人の席から死角になっていることを良いことに、五人でカウンターに座り優雅にティータイムを楽しむ私たち。 とは対照的に、稼働停止した彼氏を心配し涙目になる彼女。 カフェはカオスに満ちていた。 「秋くん!しっかりしてっ。」 彼女の悲惨な叫びを聞いてようやく正気にもどったのだろう。 涙目の彼女を見て彼氏の瞳も美しくうるうると潤んでいる。 二人して涙を流す姿はまるで恋愛ドラマのワンシーンのようだが、だまされてはいけない。 これは変態とそれに捕まってしまった哀れな少女の物語である。 「ごめん秋くん、別れるとか言い過ぎた。少し抑えて欲しかっただけで、嫌いになったわけじゃ無いから泣かないで。」 震える彼氏の手をそっと優しく包み込む彼女。 ほっとしたようにはかなげに微笑む彼氏を見て、彼女は優しく笑顔を浮かべているが、厨房からは苦情の嵐だった。 「えっ、流されてね?」 「絶対この手何回も使ってますよ!ほらあいつの顔!!ニヤけてるー。」 「あの顔を使って今まで生きてきたんだよ。あぁ、あんなのにつかまって女の子かわいそうに。」 「ふ*ひゃ$#あへ~~に+?」 「先輩、口の中のもの飲み込んでから話しましょうね。」 店員にそんなことを言われているとはつゆ知らず、彼らは二人の世界にどっぷりだった。 「確かに俺もやり過ぎた。だけどこんなに人を好きになったのは雫が初めてで、抑えられなかったんだ。雫が嫌がるなら全部やめる!だから別れないで。」 『うっ』 いくら変態でもイケメンの泣き顔はさすがに強い。 不覚にも女である私たちの口からうめき声が出てしまったが仕方ない。 これは本能により引き起こされる反応で、逃れられないのだ。 「やっぱり顔なんじゃん。」 隣の後輩のあきれるようなつぶやきが聞こえたが、チョコケーキを突っ込んで黙らしてやる。 「別れないよ、秋くんのこと大好きだもん。」 彼女の目には明らかにハートが浮かび、頭の中からは彼の変態的な行為はすっかり消え去ってしまっているようだった。 「俺も雫が大好きだよ。ずっと一緒にいようね。」 逆に彼氏の目からは、絶対に離れないという強い意志を感じたが、二人ともすごく幸せそうに見える。 先ほどの殺伐とした雰囲気とは一変して、甘い空気に咳き込みそうなほどラブラブだ。 「あーぁ、私も彼氏欲しいな。バイトの帰り道に浮所くん転がってないかな-。」 「同じ子犬系男子なら俺とかどうですか?年下だし道で転がって待ってあげますよ。」 何故かうれしそうな顔をする後輩に、華麗なる足技を決め言い放つ。 「お前はお呼びじゃねーよ。家帰って光合成でもしてな。」 「やっぱり、先輩にとって俺は藻みたいな価値なんだ。」 ひどく傷付いた顔で、とぼとぼと歩く後ろ姿は犬に見えなくも無い。 何故落ち込んでるかは知らないが、そんなことになるならわざわざちょっかいをかけてこなければ良いのに。 「静香なんか相手にして、宮野も大変だな。」 今糖分先輩に馬鹿にされたような気がしたが気のせいだろうか。 気がつくとあのカップルの二人はもう席を立っており、仲良く会計を済ませていた。 「ごちそうさまでしたー。」 『ありがとうございました。またのお越しを。』 激務をこなしたわけでは無いが、間接的に二人の痴話げんかに巻き込まれ疲れたのだろう。 店員である我々の声に覇気は無いが、そんなことには見向きもせず二人は仲良く腕を組んで帰って行った。 カランカラーンとまた鈴を鳴らしながら、閉まるドアをみて皆がほっとため息をついたのを肌で感じる。 「あーっ、なんだか疲れましたね。もう45分ですし閉めましょ。今日は良いですよ。」 「確かにそうだな、もう上がるか。俺も娘が心配だし。」 ぐーっとのびをしていきおいに任せてかぶっていた帽子を取り払うと、またカラーンとドアが開く音がした。 「ごめん、忘れものしちゃった。外で待ってて。」 またもやイケメンの再来に一瞬構えかける。 慌てたように駆け込んできた彼氏は、そのまま席の方に向かうのかと思ったらレジの近くにいた私に声をかけてきた。 「急にすみません。お店で使ってた食器買い取らせていただけませんか?」 想像もしていなかった急な申し込みに、動揺する。 はて、うちの店で使っている食器は全て大量購入した安物ばかりで別に特別な柄も無いのだが。 「今日使った食器が良いんです。だめですか?」 あーっ、いくら変態でも上目遣いで頼まれたら断れない。 あんなものどうせ沢山あるんだし1ペアぐらい無くなったって、誰も気づかないに決まってる。 「もちろん!いいです 「だめです!」 肯定しようとした私にかぶせて、真白ちゃんが珍しく大声で言い放った。 「一応店の備品なのでそのようなことは出来ませんし、全部安物なんで他でもっと良い食器を買った方が良いと思います!」 少し青ざめているようにも思えるが、すごく真剣な顔をしている。 「そっかー残念。でもまあ仕方ないですよね。急に難しいお願いしちゃってごめんなさい。コーヒーおいしかったです。では、」 爽やかな笑顔を浮かべ、今度こそ颯爽とイケメンは去って行った。 「あーぁ、変態イケメン行っちゃった。」 「行っちゃったじゃ無いわよ、ねえ静香ちゃん分かってる?」 「え、何が?」 あの真白ちゃんが鬼のような形相で私の肩を揺さぶるが、何か問題でもあったのだろうか。 「あの変態!彼女さんの使用済み食器を買い取ってコレクションに加えようとしてたんだよ。」 「あっ」 確かに今思えば、カフェの食器を買い取ろうとするなんて変な話だ。 しかも今日使った食器がいいだなんて、そんなお願い普通はあるわけが無い。 「顔にだまされた。でも至近距離から見つめられたら断れないって!」 さっきまで変態だと心から軽蔑していたのに、見つめられた瞬間全てが吹き飛んだ。 しかし今思えばかなり慣れていたような気がする。 突発的な思いつきで食器を買い取るだなんて思いつく訳がない。 もしかして今回以外にも前科があるのでは。 一人暗い部屋で、食器を見つめながらぐふふと笑う変態を想像して私は体中の毛が逆立つのを感じた。 ああ願わくば、あの彼女さんが変態の魔の手から逃れることが出来ますように。 あの執着心の塊から逃げることはどうやったって無理そうであるが。 そんな暇すぎるカフェの波乱の日は、売り上げ3420円という最低点を叩き出し幕を閉じたのだった。
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