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腰に下げた清掃バッグの中に、この手の汚れが取れる強めの洗剤はない。
仕事だから仕方がないが、事務所に戻ってからまたここに来るまでには時間がかかる。
まだ別のフロアのゴミ集めが残っているので、今日は残業だなと思いながら、佐倉は息を吐いて立ち上がった。
都心の一等地に建つ、地上四十八階、地下五階の超高層ビル。
ここは日本でも有数の大企業、梶グループの自社ビルで、梶エンターテイメントの本社だ。
佐倉未春は、ビルメンテナンス会社ヤマノクリーンに所属するビルの清掃員で、この仕事を始めてもう四年を過ぎた。
ヤマノクリーンは梶グループの傘下に入っていて、グループが所有するビルの清掃を一手に任されている。
学も資格もないワケありの男を、何も聞かずに採用してくれた山野社長には感謝しかない。
社長の息子である泰成は大学時代の先輩で、まともな暮らしを送っていなかった佐倉を拾ってくれた。
遅番に入ることが多い佐倉は、いつものように清掃を終えてエレベーターに乗り込んだ。
朝や日中は混雑しているか、もうこの時間は一人で乗ることが多い。
掃除が終わる時間になると残っている社員はほとんどいなかった。
エレベーターの窓から見える夜景は、まるでファインダーから覗いた世界だ。
毎日高層ビルから夜景を眺めているが、いつ見てもこの絵になる美しい光景を切り取ることができたらどんなにいいだろうと考えてしまう。
いまだに切り捨てることができない自分自身に嫌気がさして、佐倉はそっと目を閉じた。
「お疲れー佐倉。明日は休みだっけ?」
ビル内の地下にある事務所に戻ると、泰成が用具の点検をしながら顔を上げて話しかけてきた。
「はい、すみません」
「何謝ってんだよ。病院だろう、有休残ってるんだから、消化してほしいくらいだ」
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