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本編・〈冷凍保存装置の男〉
その男は失望の表情とともに、その冷たい白色の棺桶を自ら開くと、もくもくと煙の立ち込めるそのなかに、自分の身体を落とした。
モニターには『救助艦隊到着まであと98年』の文字。
この時代の平均寿命からすれば、息ながられられないほどの年月ではないものの、それでも、ゲームやコミックスなんかの娯楽や、美味しい料理や飲み物、酒、そしてなにより、同じ種族の人間のひとりもいないここ――〈闢星〉での〈98年〉は、男にとって永遠を意味するものだった。
男は内側からレバーを倒して、棺桶のフタを閉じる。
そうして、内側の操作パネルに〈98年〉と入力し、隣の〈夢〉の欄は〈SFアクション〉を選択した。そして、その隣にある真っ赤な〈冷凍ボタン〉に親指を乗せた。
男はしばし、逡巡した。
棺桶――冷凍保存装置は、改良に改良が重ねられている優れものである。それでも、〈98年〉のあいだに、死んでしまう確率は少なくない。現に、地球からここまでやってくる際の冷凍保存では、二名のクルーがすでに死んでしまっていた。
心臓を抑える。
自分が死んでしまわないとも限らない。
男は、こうなってしまった不運を呪い、拳をきつく握った。
〈闢星〉着陸後、男はスペースデブリによって損傷してしまった箇所の修繕作業に取り掛かっていた。
長い作業のすえにようやく修理が完了したのだが、直後、〈闢星〉特有の嵐である〈スペース・クエイク〉が発生し、機体は出発を余儀なくされた。そのとき、ちょうど機体と基地とを結ぶ洗浄部(宇宙服ごと、塵や灰を洗い落とすための場所だ)にいたのが、この男だった。
男は機体のジェット噴射によって洗浄部ごと吹き飛ばされ、8メートル飛んだ後に岩に叩きつけられた。
かくして、男は〈闢星〉に取り残されたのである。
〈ホーム・アローン〉、あるいは〈オデッセイ〉のように。
「……最悪だ」
男はしぶしぶと言った感じで、肩をすくめてそれから――観念したように、赤色のボタンを、拳で叩きつけるようにして押した。
途端、男の視界を白いもやが覆い始める。
男は目を固く閉じた。
これから、長い戦いが始まる。
1
「……はっ!」
男が目を覚ましたのは、騒音が原因だった。
「ここは、どこだ……?」
男は周囲を見渡した。男は何やら、布のようなところに寝かされているようだった。周りにある棚や机には煌びやかな装飾が施されており、目覚めたばかりの男の瞳を鋭く刺激した。
騒音――銃声は、男のいるドーム状の建物のすぐ近くで鳴っているようだった。
「いったいなんなんだ、この音……」
明らかにただ事ではなかった。男の出身国では銃刀法違反が法律で決められているから、男の出身国ではないことは明らかだったが、トリリンガルである男でも、さすがにこの銃声のなかを出て行って、自分が今どういう状況なのかを把握することはできなかった。
男はひとまず、ドアから外の様子を覗き見てみることにした。足音をたてないよう、ドアの前まで近づいて、外の様子を眺めてみる――瞬間、弾丸が頬をかすめた。
男は思わず尻餅をつく。途端、部屋の外から見える曲がり角から、黒服のエージェントたちがなだれ込んできた。彼らは男の姿を確認すると、見たこともない銃器の銃口を男に向け、躊躇なく発砲する。
「なんてこった!」
男はそのまま、逆方向に走り出した。
弾丸は見事に男の足元をかすめながら廊下に着弾していく。男は飛び込むように、目の前の曲がり角を左に曲がった。敵はいない。このまま走って行けばいい……と考えていた男の胸倉を、壁からぬうっと生えた腕が掴み上げた。
「なっ!」
壁に馴染んでいた黒服の男が、まるでカメレオンが高度な迷彩を解くように出現する。男はそのまま、窓枠のほうに叩きつけられた。
「なんだよそれ、はんそ」
く、と言いかけたところで、男が押さえつけられていた壁が思いっきりぶっ壊れた。
「はあ⁉」
黒服の男はそのまま男を引きずるように壁を破壊していく。もはや、男というより壁を破壊することを目的としている、と言っても過言ではない。
「いててて! 痛い痛い!」
男がそう叫ぶと、黒服の男は男を思いっきり窓の外に放り投げた。
「ああああああ! えええ⁉」
真っ逆さまに落ちながら男は、自らの死を覚悟した。が、男の身体を空中でキャッチする者がいた。
「大丈夫ですか、長!」
「長⁉ 誰だおまっ……肌青っ!」
男をキャッチした男は肌が青かった。
髪の毛は長く、手首にはその人生を表している数珠がはめられている。見覚えがある龍みたいな動物に乗っているが、男は知らないふりをした。
「長、はやく玉座にお戻りください」
「戻るったって、あそこは謎の黒服男でいっぱいだ。あんなところに飛び込むなんて自殺行為だぞ」
「私がぶん投げます」
「ええ……」
「いきますよ!」
男は観念して口を堅く結んだ。両手で膝を抱え、なるべくボールに似た姿勢をとる。
「では、御無事で!」
青い肌の男は、振りかぶって男を投げた。
「うわあああ!」
視界がぐるぐると回転しながら、男の身体は壁を突き破る。
衝撃で転がる男の身体は、ちょうどはじめの部屋に入った。
ふらふらと立ち上がって、部屋のなかにあった金の燭台で入り口を封鎖する。そのうえからさらに金の本棚を運ぶ。部屋の外からエージェントたちが「開けろ!」と大声で叫びながら、部屋の扉を乱暴に殴った。
男は後ろ歩きでゆっくりと扉から離れる。
そしてゆっくりと背後、冷凍保存装置を振り返る。
(ここがもし、98年後の未来なら……俺は今頃、救助艦隊を前にしているはずだ。)
つまり、これは――〈夢〉だ。
そういえば、〈SFアクション〉を選んでいた――てっきり、映画館のように、眺めるだけだとばかり思っていたが、どうやら没入型らしい。これもきっと、〈SFアクション〉のひとつなのだろう。
黒服の男たちに追いかけられる。
〈マトリックス〉、あるいは、〈アバター〉のように。
「しかしこれじゃあ、安心して眠れやしない……。そうだ、ジャンルを変えよう」
男は冷凍保存装置のなかに戻ると、〈SFアクション〉からスクロールして、〈コメディ〉に変更した。
やっぱり、楽しい世界にいるほうが良い。
男は目を閉じて、時がはやく経つのを待った。
爆発音。銃撃音。――人々の絶叫に、包まれながら。
2
男が目を覚ますと、世界は以前よりも暗くなっていた。目をこすりながら立ち上がる。男は花粉症だった。推測するに、今は春なのだろう。鼻水がめちゃくちゃ出る。とりあえず、ティッシュを探さなくてはいけない……と、そこで、男は自分の立場に気付いた。
そうだ。
ここは〈闢星〉だ。
今は、あのときからちょうど98年後……2498年のはずだ。ということは、〈闢星〉に救助艦隊が到着しているはずである。けれど、さきほどから漂っている、鼻の奥をくすぐるような感覚はなんだろう。
〈闢星〉にも花粉があるのか?
「よっこらせっ……と」
男は立ち上がると、冷凍保存装置の周りを見渡して、もう一度冷凍保存装置のなかに潜った。そしてもう一度立ち上がり、そしてもう一度冷凍保存装置のなかに座り込んだ。
男は考えた。
(……ゾンビ?)
男はもう一度立ち上がって周りを見渡す。身体中が腐った人間が、前へ倣えの姿勢で遊歩していた。よだれが滴っていて、床がとても汚い。
(どうしてゾンビなんだ?)
男はとりあえず、この世界がまだ冷凍保存装置の〈夢〉のなかであろう、と仮定した。では今、僕が見ている〈夢〉は〈コメディ〉のはずだけれど、どうしてゾンビなんだろう……?
これじゃあ、ホラー映画だ――〈ゾンビ〉や〈死霊のはらわた〉、〈ドーン・オブ・ザ・デッド〉。
けれど、冷凍保存装置をもう一度見てみると、確かに〈コメディ〉となっている。
「どういうことだ……?」
男は逡巡のすえに、冷凍保存装置から出てみることにした。ここがコメディの世界であれば、きっとあのゾンビも、偽物に違いないだろう。
「すいませーん」
男はゾンビに話しかける――瞬間、思いっきり噛まれた。
「痛え!」
男が叫んだ瞬間、周りにいたゾンビは一斉にこちらを振り向いた。そして前へ倣えの姿勢のまま、じりじりと男のほうに詰め寄り始める。
男は思い出した。
「〈ショーン・オブ・ザ・デッド〉……〈ゾンビーランドへようこそ〉、〈アナと世界の終わり〉……!」
そうだった。
昔でこそ、ゾンビはホラー映画の代名詞だった。〈バイオハザード〉〈REC〉、〈新感染〉、〈ワールド・ウォーZ〉。
しかしながら、ゾンビホラー映画の台頭とともに流行し始めたものがある――コメディホラー映画だ。
〈カメラを止めるな〉、〈ゾンビランド〉、〈ロンドンゾンビ紀行〉……。
(つまり、ゾンビは……コメディでも、ある。)
途端、ゾンビが走り出した。男は猛ダッシュで冷凍保存装置の中に飛び込むと、すぐさまフタを閉じる。ゾンビたちは冷凍保存装置のフタをめちゃくちゃに叩き始めた。男は急いで〈夢〉の項目を〈コメディ〉から別のものへと変更した。
はやく、はやく……!
例え冷凍保存装置のフタにヒビが入ったとしても、それは〈夢〉のなかの出来事だから、問題はないだろう。けれど、それはなんというか、個人的に嫌だった。
男は現実から目を逸らすように、硬く瞳を閉じる。
願わくば、新しくてより良い世界を。
3
この選択が正しかったかどうか、男は甚だ疑問だった。
上体を起こしたとき、男は違和感を察した――いつも以上に静かなのである。物音がしない。
男は念のために、そっと冷凍保存装置から外の光景を覗き見た。どうやらゾンビはいないらしい。黒服の男も、青い肌の生物も、龍もいない。
「よし……ゾンビはいないな」
静かだ――〈ラブロマンス〉にでも変更したのかもしれない。男はようやく安心しながら、〈夢〉の選択画面を見直した。そして、冷凍保存装置の酸素がなくならんばかりの深い深い溜息をついた。
〈夢〉の選択画面には、〈ミステリ・サスペンス〉とあった。
男は冷凍保存装置から出ると、改めてもう一度辺りを見直した。
首無し死体が――男の周りを円形に囲むようにして並んでいた。
途端、外が急に騒がしくなった。そしてあっという間に、入ってきた制服の警官によって、立ち尽くしていただけの男は囲まれてしまった。
男はゆっくりと手を挙げる。
「1時12分、現行犯逮捕!」
「……最悪だ。」
男はこうして、人生で初めてパトカーに乗せられ、署まで連行された。初めての逮捕、初めての拘置所、初めての事情聴取に初めての事情聴取中のカツ丼と来て、男の初めてがどんどん奪われていく。
(それにしても、ミステリっぽくもサスペンスっぽくもないな)
男はぼうっと、警察官と一緒にカツ丼を食べながら考える。
(〈罪の声〉〈犬神家の一族〉〈九人の翻訳家〉〈ダ・ヴィンチコード〉〈ユージュアルサスぺクツ〉……〈羊たちの沈黙〉)
そのどれも似ていない。
いったいこの〈夢〉はどの映画を参考にしたんだろう、と考えながらカツ丼を食べていると、不意に――拘置所のドアが開いた。
「やあ。中野警部。ご苦労様です」
「明智くん……!」
明智。
男は咄嗟に顔を上げた。
ゾンビはいないから〈屍人荘の殺人〉ではないだろうが、それなら……。
明智と呼ばれた女性は、警察官の男を外に出すと、男の前に座った。
「ぼくの名前は明智洋子。高校二年生の女の子でもあり、私立探偵事務所の所長でもある……安心して。きみが犯人じゃないことはもう知ってる」
明智は淡々と、この事件の推理を述べた。
被害者は高校のクラスメート8人。
犯人は、被害者と同じ高校の男子生徒。
犯人は、もうすぐ目覚める冷凍保存装置の近くに死体を遺棄することによって、自分の罪を男に擦り付けようとしたのである。
事件当時――被害者たちが死亡した時刻を事件当時と考えて、事件当時。犯人には鉄壁のアリバイがあったものの、それは被害者の死体8人分を冷凍保存装置のなかに詰めることによって冷凍し、死亡推定時刻を誤魔化したというものだった。
首を切断したのは単純に、8人分の遺体が首を切断しなければ入りきらなかったというものだった。また、冷凍保存装置を開けるために必要な顔認証システムの開錠のために必要だった。
首は犯人宅にて見つかった。
「と、今回の事件についてはここまでなんだけれど……きみは事件現場で、『ゾンビはいないな』と言っているね。ゾンビ……その話、詳しく聞かせて欲しいな。世界の存続に関わる問題なんだ。」
ということで。
男はこれまでのことをすべて話した。〈闢星〉のこと。黒服のエージェント、青い肌の狩人、龍、それからゾンビと首無し死体。
「なるほど……きみが『冷凍保存装置の男』だって? はは……」
対して、明智は健やかに微笑んだ。
「うん……今回はきみの妄想に寄り添った推理をしてあげようかな。例えば、きみはそう……『まだ、家のベッドのなか、冷凍保存装置のなかにいる』。」
「え?」
男は思わず尋ね返した。
「なんだって?」
「なに、初歩的な推理だよ」
明智は微笑んで続ける。
「きみは、まず〈闢星〉の話をしているね。そしてそのとき、こう考えている……『〈ホーム・アローン〉、あるいは〈オデッセイ〉のように』と。そして次の〈夢〉では『〈マトリックス〉、あるいは、〈アバター〉のように』と。ゾンビの〈夢〉の場合でも同様だ。」
……確かに、その通りだ。
男は認めざるを得なかった。
なるほど、最初から……〈夢〉のなかだったのか。
明智によると、どうやら冷凍保存装置は市場で簡単に購入できるらしい。だとすれば、男だって……買うことは可能なのだ。
「そんな……馬鹿な」
「そうかな? これまでの話を聴くに、十分あり得ると思うよ。なにより、〈闢星〉なんて星にきみがいただなんて……まるで映画みたいじゃないか。」
男は沈黙した。何も言い返すことができなかった。
解放され、帰路についても、男は無言のままだった。とはいえ、男は自分がこの世界のどこに住んでいるのかも、まったく思い出せなかった。
男はもう一度、冷凍保存装置のところに戻る。
そしてなかに入り、〈夢〉の欄を切り替える。
〈なし〉に。
そして男は固く目を閉じた。
もう、いい。
目覚めよう。
現実に帰ろう。
深呼吸を繰り返す。
男の視界を、白いもやが覆っていく……。
0
目が覚めると、やたら近未来的な場所だった。
男は起き上がって、辺りを見渡す――どう考えても、自分の家とはおもえなかった。なにかの宮殿と言ったほうが相応しい。
男はゆっくりと足を踏み出した。こんなところは、映画でも見たことがない。白くて、城のようでありながら、同時に都心の駅のようなハイテク感もある。
男がしばらく歩くと、壁からマニピュレーターが飛び出した。隣のデスクトップに、「質問はありますか?」と表示される。
男はしばらく歩いて、デスクトップの前までやってきた。マニピュレーターに手渡されたマイクに向かって、「僕の名前は?」と言ってみる。
「明智春馬」
デスクトップには正確に男の名前が映しだされる。
と、いうことは。
男は再び、マイクに向かって言った。
「2400年からの年表を表示してくれ」
しばらくして、デスクトップに年表が表示される。
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