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9.彼女の理想論
走り去る聖奈と、使い魔らしきぬいぐるみをウェインはただただ見送る。それから、広間をぐるりと見渡した。
居合わせる魔族たちは、どよめきざわついていた。
その理由は〈勇者〉が最前線にやってきたからではなく、聖奈が〈魔王〉と呼ばれていたから。たったそれだけで、広間はまたしてもざわざわと騒がしくなったのだ。
そんな魔族たちを、ウェインは静かに眺める。
「…………」
本当にあの娘が〈魔王〉ならば、〈勇者〉に勝てるんじゃないか。自分たちは死ななくていいのではないか。あの娘が人間と神族どもを追い返してくれるんじゃないか。
そんな声があちこちから上がる。
それを、ウェインは決して悪いとは思わない。
何故なら彼らにとって〈魔王〉とは、最後の心の拠り所といえる存在なのだから。けれど。
「……ただの女の子にしか見えなかったじゃねえか」
ぼそりとつぶやいた声は、誰にも届くことはなかったらしい。
それが酷く滑稽に思えて、けれどもありがたくもあって、ウェインは失笑する。
それからはあ、と息を深く吐き出して、ぎっと眉をつり上げるのだ。
「おい、オッサン」
「あ?」
「これ、ほどいてくれ」
「はあ!? お前、何言い出してやがんだ!?」
正気を疑うような顔と言葉を見ても、ウェインはひるむことはない。
「どうもこうもねえよ、あの子を追いかけるんだ」
「は?」
「俺はあんたらみたいにあの子を見殺しにするような趣味はねえんだよ」
「み、見殺しなんて……! あのお嬢ちゃんは〈魔王〉様なんだろう? なら――」
「だとしても、セナはただの女の子だろう。あの子自身も言ってたじゃねえか、何の力もねえって、弱いって――それでも行ってくるって」
そんな人間を放っておこうとしていて、何が見殺しにするつもりはない、だ。
「それなのに此処でじっとなんかしていられるかよ! つべこべ言わずにさっさと解け!」
* * *
なぜ聖奈が〈魔王〉であると目の前の男性が知っているのか、疑問は一切抱かなかった。
聖奈にはわかったのだ。直感的に、本能的にこの男性が〈勇者〉であると。
見た目が、とかではない。纏う雰囲気が他と異なるからというわけでもない。ただ、不思議なことにすんなりと理解していたのだ。
おそらくそれは〈勇者〉にとってもそうだったのだろう、理屈なんてないけれど。だからといって自分が《魔王》であるとは断じて認めたわけでもないのだが。
「はじめまして、〈勇者〉さま。ですが、訂正させてください。私は〈魔王〉なんかじゃない、ただの人間です」
兵士たちも、魔族たちでさえもざわつき始めたことに眉を寄せながら、聖奈は告げた。
――魔王? あんな子供が? そもそも本当に人間じゃないか、人間がなぜ?
耳をすまさずとも聞こえてくる声は、ひどく居心地が悪い。元々目立つのはそんなに得意じゃないというのに、向けられる幾つもの半信半疑の視線に逃げ出したいくらいだ。
ちら、と頼るようにルキフェルを見遣る。小さな羽を羽ばたかせて滞空するルキフェルは、視線に気付いて聖奈を見ると、心配はいらん、と小さく囁いた。
それだけで安心感を抱けたのは、この状況では仕方ないだろう。おそらく孤立無援ではこうして立っていることさえ出来なかった。
「それは失礼した。私も〈勇者〉と呼ばれるのに慣れてもいなければ、自分がそう呼ばれるに値する人間とも思っていない。クロード=ブレッグ――、よければこの名で呼んで欲しい」
「クロード様!?」
聖奈の言葉に表情を緩めた男性――〈勇者〉クロード=フレッグが名を名乗ったことを誰より驚いていたのは、傍らに立つライトブラウンの眼と髪を持った男性だった。
無理もない、とは思う。こちらに敵意がないことを理解してくれての言葉ならば、それは素直にありがたい。だがそうだとしても、仮に聖奈が子供であるからと判断してのものだとしても、それは軽率であると感じるし、あまりに楽観的過ぎる。それに、いくらなんでもこれはフランク過ぎるだろう。
しかしクロードは、その男性を咎めるように見た。
「ユーシス。私はいま彼女と話をしているんだ」
「しかし、相手は〈魔王〉だと……!」
「彼女に敵意はない。それはお前も気付いているだろう? にも関わらず対話さえもしないなど、あまりにも失礼だ」
やんわりと、だが強くたしなめたクロードは口を閉ざした男性――ユーシスから視線を外し、聖奈を見ると眉を下げた。
「気を悪くしたのならすまない」
「いえ。現状を踏まえればその人の反応がおかしくないことくらい私にもわかりますから、気にしないでください」
「そうか……いや、だが本当にすまない」
答えてもなおすまなそうな表情のクロードに、聖奈はもう一度だけ気にしないでくれ、と告げて口を開いた。
「私は南雲聖奈。セナ=ナグモの方がわかりやすいんでしょうか? こっちのぬいぐるみは、私の使い魔とかじゃないんですけど……ルキフェルです」
「当たり前だ。貴様の使い魔であった日には恥ずかしくて生きていけぬわ」
「ははっ、セナ殿とルキフェル殿だな。それでセナ殿、貴殿は私にどんな用があったのかな?」
軽やかに笑っていたクロードの双眸に、僅かに険しさが帯びる。ぴりりと僅かに張り詰めた空気を感じながらも、聖奈は彼から目を逸らすことはなかった。
「今すぐ争いをやめて、兵を引きここから去ってほしいんです」
口から零れた声は少しだけかすれていた。どうやら自分でも分からなかったが緊張をしていたらしい。それでもはっきりと響いた言葉に周囲がざわつき始めたが、撤回するつもりはない。それが 聖奈の本心であることに間違いはないのだから。
クロードの目が少しだけ細められる。
「……何故、と聞いても?」
そこに馬鹿にしたような色も、軽んじたような色もなかった。あるのは純粋な問いのみ。ただただその言葉の理由を、彼は聖奈に問っていた。
ああ、この人は聖奈を子供と侮っているわけでもなく、本当に対話をしたいと思っているのか。可能であるなら相手が如何なる種族であっても、如何なる立場や身分の相手であろうと言葉を交わしたいと思っているのか。
聖奈は逸らされない目を見詰め返した。
「此処にいるのは、年の重ねた魔族ばかりです。もしかしたら、かつては名を馳せた兵だった者がいるかもしれない。でも今は、貴方がたを退ける力などありはしません」
「だから見逃せ、というのであればそれは出来ない。例え老いてはいても魔族は魔族、我々も多くの犠牲を出しながら此処まで来ているのだ。止まるわけにはいかない」
「けど、これじゃあんまりじゃないですか!」
顔を横に振り、否定の意を示しながら言葉を続ける。
「これじゃ一方的じゃないですか! ただの虐殺じゃないですか!」
「……」
「魔族は争いを好まない種族だと聞きました。それがどうしてこんな目に遭わなければならいんですか?」
「おかしなことを言うなよ、ガキが……!」
と、口を閉ざしたクロードに代わるように別の声が聖奈を咎めた。
声の主はユーシスと呼ばれていた男だ。彼は聖奈をこれでもかというほど怒気の込められた目で睨んでいた。それこそ目だけで人を殺せるのではないかというほどの迫力に、聖奈は小さく息を飲む。
「魔族は争いを好まないだと……? ふざけるな! 魔族によってこれまでどれだけの人間や神族を殺されたと思ってる!?」
「それは、貴様らが魔族の領域を侵し、あまつさえ手を出したからではないか?」
怒りをあらわにして怒鳴るように吐き捨てたユーシスに対して、ルキフェルは冷静だった。
聖奈とクロードの会話には一切口を挟まずにいたルキフェルだが、ユーシスの主張には口を挟まずにはいられなかったのかもしれない。ユーシスの視線が聖奈からルキフェルへ移される。
「対話の要請を断り、先に攻撃を仕掛けて来たのは純血の魔族だった……理由すら語られず、突然の襲撃に対応できた者たちは少なく、次々と仲間達が殺された……! その惨劇を目の前で目の当たりにして、魔族を危険視しないわけねえだろ!!」
ユーシスの叫びに、ルキフェルの表情が微かに動いた。
意外だったのか、はたまた彼の言葉に思うことがあったのかは聖奈にはわからないが、それを尋ねるより先にユーシスに訊きたいことがあった。
「それが、貴方たちが魔族の国へ侵攻を始めたきっかけですか?」
「違う! それは過程での出来事に過ぎない」
「ならきっかけは何? 魔族は貴方たちに何をしたの? かつては手を取り合っていた、そうなんでしょう!?」
「――全ては我らが王の意志だ」
クロードの静かな声音が耳に届いた。
そこにそれまであった親しみはない。全てを排したかのように、仮面のようなもので覆われて色が抜け落ちていた。
その変化に驚いたのは聖奈だけではなく、ユーシスもだった。弾かれたようにクロードを見たユーシスは、目を丸くしていたのだ。
クロードはその視線に気付いていないかのように聖奈を見る。
「魔族が人間を脅かし、神族に仇なす存在であることは事実だ。純血の魔族を相手取り、多くの兵が成す術なく死んだことを踏まえればそれはわかることであろう。きっかけなどなくとも、その事実は民を恐れさせるに充分。そして我らが人の王は、魔族を滅ぼすことを決めた。ならば、兵は、〈勇者〉たる私は、危地に赴き剣を振るうのみ」
「答えになってない! 確かに魔族は人間よりずっと強いって……でもそれは神族だって同じなんでしょう!? 神族だって、人間を容易く殺せるんでしょう?! ならどうして魔族だけなのよ!?」
「少なくとも今、神族は人間に味方してくれている。魔族を滅ぼした後、どうなるかはわからないがな」
「なら魔族だって同じよ! 本当に話したいと思えばできたはずよ? だって、命乞いをした者がいなかったわけではないでしょう? 全ての魔族が襲いかかってきたわけではないでしょう!? それならきっと話し合える機会だってあったはずなのに!」
「では、セナ殿。貴殿はこれから人間に、魔族に怯えて暮らし続けろとでも言うのか? 火蓋が切って落とされた状況で、いつ訪れるかもわからぬ和平の日が訪れるまで、魔族たちより受けるであろう報復にたえろと? ここまで来て、明日、死ぬかもしれない……そんな日々を送れと?」
「なら魔族はその思いをしていいと? 魔族であれば、いつ死ぬかという恐怖に怯え続けていて構わないと? 滅んだっていいとでも言うの?!」
理不尽だ。誰かのために誰かが不幸になってもいいなど。
しかもそこに理由もなく、きっかけさえもわからず。ただ一方的に居場所を奪われるなど。
「どうしてどちらかひとつしか選べないのよ……? どうして天秤にかけなきゃならないのよ? 同じ命でしょう? そこに優劣なんてないはずじゃない」
「貴殿の考えは甘すぎる。そのような机上の理想論では誰も救えはしない。全てを選ぶなど、到底出来はしないのだ……かつて結ばれたはずの和平でさえ、いとも容易く壊れて失われてしまうのだからな。子供じみた夢は、抱くものではない」
「……子供でいいわよ。大人とやらが犠牲を出す選択しか選べないと言うのなら、私は甘ったれな子供でいい」
クロードの言い分がわからないわけではない。
もし命の危険があって、その原因が排除できるのならば必ず排除するべきだ。その原因が本来なら太刀打ちできないような恐怖の対象であっても、それは変わらない。
人間にとって魔族は危険な存在であることは間違いない。
ならば、如何なる理由があれども多くの命を奪い去った事実がある以上、魔族は排除すべきであると判断されてもおかしくはない。そしてそれは、こんな形でこの世界に来ていなければ聖奈だって思っていただろう。そもそもとして悪魔は人を弄ぶ存在だと思っていたから。
けれど、聖奈は知ってしまった。この世界の魔族はそんなことを考えるような存在ではなく、自分達の行く末を憂い涙を流せるような存在であると。
だが此処でクロードがこれ以上の争いを避けることにより、追い詰められたひとにぎりの魔族達を救ったとして、果たして魔族たちは報復という道を選ばないと言い切れるだろうか。強大な力を持つという魔族が、人間を恨み憎まずひっそりと生きていける保証はあるだろうか。
現に魔族たちは遺跡に侵入したウェインを、即座に殺しはせずともその言葉を嘘と断じて糾弾し続けていたというのに。
でも、そうだとしてもだ。
「誰にだって、幸せになる権利がある。それを誰かが奪うだなんて、許されちゃいけない……それが道理の通らない理由でだというのなら、なおさら」
こんな理不尽な世界の現状を許してはいけない。見過ごしてはいけない。でなければ繰り返されてしまう。あの子のように、アリシアのように涙を流す子が、いずれまた現れてしまう。
次に涙を流すのは魔族ではない。人間か、神族か。けれどもいずれは再び魔族が凄惨な現実に泣き腫らすのだろう。
そんなの、悲しいだけだ。辛いだけだ。誰も何も、幸せになんてなれやしない。
「魔族は滅ぼさせない。人間も神族も、滅ぼさない。ちゃんと、平和にならなければならない。そうじゃなければおかしい。子供じみた理想論でも、できないことはないはずです。だって確かに、種族の垣根なく手を取り合い平和であった時代があるんだから!」
「…………それが、貴殿の信念か?」
「そこまで大層なものではありません。成り行きでも、望んでいなかったとしても、私は後継者みたいだから」
相変わらず色のない仮面で顔が覆われたクロードと、僅かに口を開けて呆然としているユーシスから聖奈は視線を外し、傍らで羽をせわしなく動かすルキフェルを見た。
彼は呆れたようにながらも微笑んでいて、聖奈もまた小さな笑みを浮かべながら向き直る。
「これは――〈魔王〉としての聖奈が目指す、単なる夢です」
この肩書きがこの理想を叶えるための武器になるのなら、もはや名乗ることに迷いも躊躇いもありはしなかった。
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