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11.めげぬ青年と旅の兆し
魔族たちに続くように遺跡の中に戻った聖奈を迎えたのは、残っていた魔族の女性たちによる抱擁だった。
一目散に駆け寄ってきて、抱き締められる。突然の出来事に目を白黒させた聖奈の耳に届いたのは、涙声にも似た感極まったような声だった。
「ありがとうね」
そう囁くように言われて、聖奈は驚き、申し訳なさでいっぱいになった。
違う、自分は何も出来ていない。ウェインやアリシアと魔族たちが駆け付けてくれなければあっさりと死んでいただろうから。感謝すべきは聖奈の方なのだ。
それに、自分は〈魔王〉などでないかもしれない。その自覚が未だに足りていない。
その全てを正直に伝えると、女たちはそんなことはどうだっていいのだとあっけらかんと笑いながら答えた。
聖奈が〈魔王〉だろうがそうじゃなかろうが、諦めてしまいかけた自分達に光をくれたのは事実で、そんな恩人を守れたのならばそれ以上のことはないのだから、と。そして、そのきっかけをくれた人間――ウェインにも感謝をしているのだと。
「いつだったか、小さな頃に聞いたことがあったことを思い出したわ」
懐かしむように彼女たちは父母や祖父母より聞かされた日々を少しだけ語ってくれた、まだこんな事になるだなんて思いもしない、先代魔王の時代に訪れた平和な世を誰もが享受していた頃。
あの頃は人間は確かに隣人で、神族とも決して争うことはなかったのだと。必ず取り戻したいなどと勝手なことを言うつもりはないけれど、そうした大切な事を思い出させてもくれたから、と。
ウェインが魔族の男たちにルキフェル共々もみくちゃにされているのにはそうした理由もあるのだろう。
聖奈が何者であるか、改めて魔族たちにアリシアから話されたのはその後のことだ。
ルキフェルがルーベルと聞いてすぐに巫女の一族と言い当てたように、魔族たちの間でもそれは共通認識であり、その上でアリシアが召喚の儀式をずっと試みていたことも知っていた彼らは聖奈が〈魔王〉であると疑いもしなかった。
しかしながらそうであるのなら失礼があってはならないか、と態度を改めようとし始めた魔族たちには、聖奈も慌てて待ったをかけた。例え自分達の子や孫くらいの年頃の娘でも〈魔王〉とは魔族たちにとって別格の存在、敬うのは当然とのこと、とのことだったが聖奈にはそれはいたたまれないような気持ちになったからだ。
聖奈はごくごく普通の生活を送ってきた人間だ。おまけに大層な称号を与えられはしていても、所詮いまは力もなければ何一つとして出来たことなどない、言葉だけの理想論者。
せめてそう呼ばれるに相応しくなるまでは普通に、と。
それならばと魔族たちは戸惑いながらも聖奈を、〈魔王〉ではあるしその尊さを決して忘れはしないが、いまは新米、ないしは見習いであるとして、普通の娘のように接するようにしようと言ってくれた。ただひとりアリシアだけは頑なにそれを受け入れられないと困り果てていたが、最後はせめて呼び方だけでもという点で妥協をしてもらった。
その後は宴会騒ぎだったはずだ。
酒なんてものはないし、食事だって豪勢ではなかったが、治癒の魔法や包帯などでの処置で元気になっただけの者たちまで騒いでは叱られるような、楽しい時間を魔族たちは過ごしていたと思う。
聖奈は大騒ぎする男たちにバレないように女たちにこっそりと逃がしてもらって、ルキフェルと共にすぐに床についてしまったけれど。決して寝心地が良いわけでもないのに寝付けてしまったのだから、自分で思うよりずっと疲れていたのだろうと思う。
そうして翌朝。
毛布がわりの布を膝に上体を起こした体勢のまま寝起きの頭で出来事を整理していると、すぐそばで倒れるように眠っていたルキフェルがもぞもぞと動いた。
「む……、朝か?」
「おはよう、ルキフェル」
「ああ、おはようセナ」
どうやらこのぬいぐるみは、寝起きがいいらしい。
むくりと起き上がると短くも愛らしい手で目をこすり、聖奈を見上げるルキフェルはとても可愛らしかった。中身は可愛さとはかけ離れたものなのだが。
聖奈はしばらく動くぬいぐるみの姿に癒されていたが、ふとあることを思い出して口を開いた。
「ねえ、ルキフェル。聞いてもいい?」
「なんだ? 我に分かることであれば答えてやろう」
相変わらず偉そうであるが、これがルキフェルの性格であることはわかっている。いちいち腹を立てる理由もない。
小さな羽を動かす彼に、言葉を続けようとしたその時、ぱたぱたと足音が寝所に近づいてきた。
「〈魔王〉様、ルキちゃん、起きてますか?」
駆け込んできたのはツインテールにされた淡く美しい緑の髪を揺らすアリシアだった。
彼女は扉もない入口からひょっこりと顔を覗かせると、小さく首を傾げる。元の世界でならモデルでもしていそうなくらい整った顔立ちで、同性の聖奈から見ても可愛らしいと思える彼女に、にっこりと笑って頷く。
「うん。おはよう、アリシアちゃん」
「おはよう、アリシア」
「はいっ! おはようございます、〈魔王〉様、ルキちゃん」
ぱあ、っと表情を華やがせながら近づいてくるアリシアにはたいへん癒される。癒されるのだが、一つ指摘しないわけにはいかない間違いに、心を鬼にして聖奈は眉をつりあげるのだ。
「アリシアちゃん?」
「え? あ……」
名を呼ぶと、アリシアはきょとんと目を丸くした。何故聖奈が怒っているのかわからないといった様子だ。
しかしすぐに気付いたようで、罰の悪そうにしゅんとし、かと思えば迷った様子で目を泳がせ、慌て、ぱたぱたと腕を動かしたりを始めた。
それでもじっと見つめたまま待つと、ようやく観念したのか、口を開いた。
「う……、うー……、せ、セナ様」
小さく唸りながらも改められた呼び名に、聖奈は満足して大きく頷く。
対してアリシアはうー、と唸りながらしおしおとしおれていたが、そもそもこれは彼女と聖奈の間で交わされたお互いの妥協点である。
〈魔王〉という特別扱いを嫌がる聖奈と、〈魔王〉に対して気安い態度をとることは出来ないというアリシアの意見は対極にあった。
彼女の主張が理解出来なかったわけではない。けれども聖奈にとってはこれは譲れないもので、どうにか説得して行き着いた妥協点が敬称はつけても良いが〈魔王〉とは呼ばない、というところだったのである。
正直にいえば元々大層な身分だったわけでもないのに様付けで呼ばれる事自体恥ずかしいのだけれど、これ以上アリシアに無理を言うわけにはいかない。もっとも、聖奈とアリシアの主張を聞いていたルキフェルに言わせればどうでもいいようなレベルらしいが、聖奈にとってはどうでもよくはない。断じて。
もっとも、それはルキフェルが〈先代魔王〉と何度名乗れど信じてもらえない事への苛立ちの矛先を聖奈に向けていたのかもしれないけれど。
聖奈にはルキフェルの言葉の真偽はわからないが、〈先代魔王〉ルキフェルは歴代の〈魔王〉の中でも特に偉大なる功績を残した敬われるべき存在として認識が色濃くなされているらしい。
憎み合い争い合う三種族の平定の架け橋となった者の一人としてはもちろん、強大な力を持ちながらも決して誇示することなく、けれども優れた手腕と人を惹きつけてやまない不思議な魅力によって気難しい純血種とも呼ばれる高位魔族さえも正しく従わせていたという、圧倒的な存在として君臨した人格者。
世を治めていたのは気の遠くなるほど昔とのことだが、それでもそうまで敬愛されているのだから、語り継がれる事柄は誇張されたものばかりなどという事はないのだろう。
それ故にそんな存在の名を持つぬいぐるみは、魔族たちに名をそのまま呼ばれる事はなかった。
その姿がどこからどうみても猫のぬいぐるみで、だとするならば聖奈と契約をして魔力の供給を受けて活動をする存在――使い魔なのだろう、と思われたからではない。ルキフェルが使い魔などというものではなく独立した存在なのだと受け入れ納得をしてくれても、偉大なる先代魔王陛下の御名を気安く口にするなど恐れ多い、と言って魔族たちはアリシアを倣うようにそれぞれが愛称にも似た呼び方をするようになったのである。
「それで、どうかしたの? 何かあった?」
改めて問い掛けるとアリシアはぱっと顔を上げると、はい、と元気よく返事をしてその表情を柔らかく綻ばせた。
「朝食の準備が整いましたので、是非温かい内にお召し上がりいただければと」
「そっか、ありがとう。すぐに食べに向かうね」
「そうしていただけるとわたしも嬉しいですし、おば様達も喜びます」
にこにこと嬉しそうに笑うアリシアにつられるように聖奈も笑う。
ただ〈魔王〉という称号を得てしまったらしいだけの小娘にこれ以上ない程に良くしてくれて、ほんの少しの心苦しさとすまなさはあれども気遣いが嬉しいと思うのも感謝を抱くのもまた事実だ。
そうと決まれば早速、と立ち上がったところで聖奈はあることを思い出した。
「そういえば、ウェインはどうしたの? もう起きてる?」
昨晩、聖奈らと共に遺跡の内部に戻り男性たちにもみくちゃにされていたウェインは、そのまま宴会を過ごしていたはずだ。
途中で抜け出した聖奈とルキフェルとは異なり、抜け出すことのできなかった彼はどうなったのだろうか。まだ寝ているのだろうか。
そうした純粋な疑問を抱いての問いだったのだが、アリシアは聖奈の言葉を耳にした瞬間、何故だかげんなりしたような表情を浮かべた。まるで残念なものを目撃したかのような顔である。
「あ、アリシアちゃん?」
「まさか、あの人間に何か無礼を働かれたか?」
「いえ、そういうわけでもないのですが……あの方はいまですね――」
不安と疑問に駆られながらアリシアを見詰めていた聖奈とルキフェルだったが、彼女が口にした言葉には思わず絶句し、それから深く深くため息を吐いたのだった。
「何してるの、ウェイン」
聖奈は呆れたようにじとりとした視線を向ける。その先にいるのは、パンにかじりつくウェイン。
彼はもぐもぐと咀嚼をしながら聖奈を見て、それからごくりと口の中のものを飲み込むと首を傾げた。
「何が?」
「何がじゃなくて――どうしてまた武器庫に忍び込んだのかって聞いてるの」
ウェインは再度武器庫に忍び込み、丁度巡回していた魔族の男によって発見されて拘束された。
アリシアからそう告げられた時、驚きと共に抱いたのは心の底からの呆れだった。
何故だとかどうしてだとか、理由については考えるまでもなく、ただただまだ諦めていなかったのかという懲りない行動への呆れ。
だからこそ聖奈はアリシアから被害もなかったので見張っているだけだから大丈夫だと聞かされた事もあって、朝食を急がずも無駄に時間を長引かせることなく済ませてからウェインの元にやってきたのであった。
遺跡内は土埃による汚れがひどくすぐには使えない場所があるにしても広く、聖奈とルキフェルが寝所として使った部屋やアリシアや他の女性魔族が使っているいくつかの部屋、広間を挟んで男性魔族たちが使ういくつかの部屋以外にもまだ未使用の部屋があるほどだ。
そもそもこの遺跡が何だったのかを知る者はおらず、ルキフェルもまたはっきりとはわからないがと前置きをしつつも、おそらくかつては純血種が使っていた屋敷だったのではないかと言っていたが、あながち間違っていないのだろう。
アリシアの言葉通り、ウェインは数人の魔族の男性に見張られる――というよりも話しながら小さめの部屋の中にいた。
聖奈とルキフェル、それとアリシアと共に向かうと気付いた男性らは後はすぐに各々に任せられた仕事に出ていき、残された聖奈たちはウェインに持ってきた朝食用のパンを手渡し、事の次第を尋ねたのだが、
「どうしてって……そこに武器庫があるからだな」
「意味がわからないんだけど」
「俺はトレジャーハンターだぜ? お宝の気配があればこの目で確認しなくちゃ気が済むわけないだろ?」
「……それで、何かお宝でもあったの?」
「何にもない! その辺で売ってるような安物の武器と防具が手入れもされず劣化してぶちこんであるだけだった!」
どこか誇らしげにも見える顔で言い切らないで欲しい。
とはいえその言葉に他意はないのだろうから、と聖奈はそっかあ、と答えるだけに留めた。一度拘束されながらも繰り返す懲りない性分なのだから、きっと聖奈が言ってどうにかなるような問題ではない。
だがルキフェルとアリシアにとっては受け流せるようなものではないようで、
「貴様のその頭は飾りか? 自分がどうしてただの人間でありながらも此処で普通に過ごせているのか、まさか分からぬとは言わぬだろうな?」
「あん? 何だこのぬいぐるみ、クソ生意気なんだけど?」
「〈魔王〉様や皆さんを助けてくださった恩人とはいえ、勝手な行動は謹んでいただかないと此方としても大変困ります」
「美少女に蔑まれて喜ぶような性癖はないんだよなー!」
対してウェインはマジメに聞いているのか聞いていないのか。どちらなのか判断しかねる反応に聖奈は小さくを息を吐き、
「ウェイン」
名を呼ぶとそれでも彼はしっかりとこちらを見てくれる。要は話を聞いてはくれているのだろう、と困ったように眉を下げてウェインを見詰めたまま、聖奈は言葉を掛けた。
「あまり、おいたはダメだよ? 貴方が根っからの悪い人じゃないんだって皆さんもルキフェルもアリシアちゃんも私もわかってるけれど、それでも度が過ぎれば魔族たちはウェインを恐れてしまうかもしれないもの」
するとウェインは目を背け、僅かに伏せて嘆息すると、
「……わかってるよ。俺だって魔族を怒らせて生きて帰れるとは思ってねえし」
「うん。……それと、きっと素直にお話したほうが良かったんじゃないかって私は思うよ? 此処から離れたいとしても、ね?」
途端に顔を上げてウェインは僅かに目を丸くしたが、にっこりと笑ってみせると今度は深く深く息を吐いてから口を開いた。
「…………わかってたのかよ」
「わかってたわけじゃないけど、なんとなくそうかなって思ったの。私だってウェインと同じ立場だったら怖いと思うもの……皆さんも心のどこかで同じように思っているのかもしれないけれど」
もしかしたら、彼らは聖奈に対しても極々僅かだとしてもそうした感情があるかもしれないし――とは思いはしても言わなかった。
口にすればアリシアが傷付く事はわかっていたからだ。もしかしたらルキフェルのことも怒らせてしまうかもしれない。
アリシアはきっと心から、ともすれば盲目的に〈魔王〉である聖奈を慕ってくれている。それは彼女が〈魔王〉を喚ぶ術を行使した張本人であり、まさに聖奈がその術によって目の前に現れた事を目撃したことも関係しているだろうけれど。それでも聖奈が何者であっても〈魔王〉であるからと、願いに応じてくれたからと純粋過ぎる程の好意を向けてくれているのは疑いようがないと感じていた。
けれども他の魔族たちにとっては少し違う。
アリシアが聖奈を喚び寄せたことは疑うようがなくとも、聖奈が〈勇者〉と彼が率いていた軍団に啖呵を切った瞬間を見聞きしていても、そうした聖奈とウェインの姿を見て思い出した事はあっても、一片の曇りもないとは言い切ることができないだろう。
例え表立ってそうした素振りを見せなかったとしても、だ。
だからウェインが武器庫に侵入したと聞かされたとき、困惑はしてもやがてもしかしたら、と考え始めたのだ。
彼は誰にも言わずに此処を立ち去ることも考えていたのではないか、と。
もっともトレジャーハンターとしての性としてか何か宝を持ち帰ろうとしていて見付かったのなら、うっかりが過ぎるとも思うのだけれど。
「……魔族は、恩を仇で返したりは致しませんよ?」
と、複雑そうな顔でアリシアがウェインに言葉を掛けたが、言葉や彼女自身が攻撃的な態度を迷わず取るかはさておきとしても、その表情からも懸念があながち間違いではないとわかる。
アリシアはウェインのことを変わらず警戒している。聖奈やルキフェルのことのように手放しでは信頼してはいない。
そしてそれをウェインも薄々感じているだろうからこそ、曖昧な微笑を浮かべた。
「それはわかってるよ。つーか、まともな奴らなら大体そうだろうよ。……けどそれでも、心理的なものは拭えない」
「それは……」
ウェインの言葉に口篭るアリシアとは異なり、怒りとも嘆きとも言い難い表情ながらもルキフェルは彼の言葉を肯定した。
「まあ、そう思うのも無理はなかろう。一人を相手取るのも厳しいであろう魔族に囲まれているとなれば、恐怖が勝るというのも至極当然だ。……まして、小僧は人間にしては神族の匂いを漂わせすぎている」
「神族の匂い?」
ルキフェルの言葉にある気になる表現に気付いて首を傾げると、ルキフェルは意外そうに眉を動かし、
「む? 貴様にも、いや、貴様ならば擬態の可能性も含め仔細にわかるはずだが?」
「いや、全然わからないけど……例えばどういう匂いなの? というか、どういう風にわかるの?」
〈勇者〉と共にいた兵士たちは、人間と神族の連合軍だったらしい。
神族といっても人間よりも少し強いくらいの下位の天使だったそうだけれど、聖奈には人間にしか見えず、神族の匂いなるものも全く感じることはなかった。
それをルキフェルもアリシアも仕方ないと言っていた。そうでなければ本来なら屈辱的であろう人間への擬態を神族がしている価値などないのだからと。聖奈にはその言葉の意味がいまひとつ理解できなかったけれど。
ただそうであっても注視すれば正体を暴くことくらい容易いとのことで、ルキフェルもそのことを言っているのだろうが、聖奈にはウェインがただの人間にしか見えない。
神族であれば隠しているという頭の上の光輪も、背負っているという羽も見当たらないのだから、彼は人間でしかないのだろう――と思う。
ルキフェルはしばし聖奈を見つめていたが、ややあって口元に手をやり、
「ふむ……〈勇者〉と対峙した時のような感覚もないか?」
「全然。あの時はひと目見て〈勇者〉なんだってわかったけど、そういうのはないかな。といってもアリシアちゃんや他の皆さんを見ても魔族だーって感覚もないけど」
「それはそれで正常だ、〈魔王〉にとって魔族は守り導くべき存在であり、敵では決してないのだからな。〈勇者〉や〈神族〉……その中でも上位の存在のようにひと目見ての理解し警戒するべき存在とは違う。だが……アリシア、貴様はどうだ?」
「わたしにも感じます。近付きがたいまでの混じりけのない神聖な気配が……これで本当に普通の人間なのですか? 神族の血が混ざっているとも思えないほどですけれど……」
アリシアが不思議でならないといった顔でウェインを見て、それからルキフェルと聖奈を見て首を傾げる。
どうやら彼女はルキフェルと同様、神族の匂いとやらを察知しているらしい。けれども聖奈にはちっともそういうものは感じられない。
改めてじっとウェインを見ても近付きがたいとは思わないし、その姿に違和感もない。もやもやとするような、むずむずとするような感覚には苛まれるけれど、それは多分ルキフェルとアリシアのいう匂いとは違うのだろう。
視線の先で、ウェインが怪訝そうに首を傾げる。
「つい昨日、水浴びしたばかりだから異臭は漂ってねえと思うけど」
「飾りの頭をつけているだけの小僧には理解できぬ話だったか、それは悪い事をした」
「燃やすぞ、ぬいぐるみ」
「喧嘩はしないでほしいんだけど」
明らかに煽るようなルキフェルと苛立ったように睨むウェインを半目で睨みながら仲裁すると、彼らはぐ、と言葉を飲み込み、ウェインが先に口を開いた。
「さっきから話している神族の匂いだの神聖な気配だのがどれほどなのかはわからないが、多分それは俺が聖都出身なのと、知人に天使がいるからってのもあるかもしれない」
「聖都?」
「聖都は聖都ブランシール――人間の国の首都です。確かこの世界を創ったとされる創世の神を奉っていて、神殿が置かれていたはずですが……」
「フンッ! 人間どもの考え方が昔より神族に近くなってきているようなのはそのせいもあったか」
聖奈の疑問に対してアリシアが返してくれた丁寧な答えに、ルキフェルが不愉快そうに鼻を鳴らす。それから不機嫌そうなままウェインを見て、更に言葉を続けた。
「だが納得は出来た。神族の文化の根付きとはぐれの天使との交友が重なれば、そこに在るだけでも匂いは染み付く。それに、そもそも神族であったならこの場所にいられるはずもなかったな。奴らにとっても魔族の匂いは異臭に等しい、この場に居合わせれば耐えきれるはずもない」
「……なんか釈然としねえ納得の仕方をされた気がするが、よくわかんねえ誤解が解けたなら何よりだよ」
と言いつつもウェインはルキフェルを睨んでいるが、きっと彼らは馬が合わないというやつなのだろう。
聖奈は困ったように眉を下げながら笑って、それならばウェインをじっと見ると感じる違和感にも似た感覚は何なのだろうという疑問を抱いたが、そんなことよりもと思い浮かんだ事を口に出してみた。
「ねえ、ウェイン。ウェインは何処から来たの? 聖都が此処の近くにあるとか?」
そう問い掛けるとウェインはきょとんとした顔で聖奈を見て、目を瞬かせながら緩く顔を横に振る。
「まさか。聖都は此処からかなり遠いから直でなんて来られねえよ。此処にはエルリフって農村に立ち寄ってから来たんだ」
「その村って近い?」
「んあ? そんなに近くもねえけど遠くもねえな。どんだけ長めに見積もっても一日とちょいあれば行けるくらい」
「そっか。なら、案内してもらえればちゃんと行けるね」
「は?」
この世界の地理なんてのはわからないが、数日もかからないのであればそこまで遠くもないのだろう。少なくとも、その程度なら聖奈にだって行けない距離ではないはず。少し不安はあるが、ウェインが口にした長めの見積もりはきっと自分基準のものではない筈だ。
うんうんと一人納得していると、ウェインの口から間の抜けた声が溢れ、すぐに訝しげに眉が寄せられる。
「エルリフに行くのか?」
「うん、行けなくはないでしょ?」
「そうだけど……此処の周りの森は入り組んでるし、その先だって真っ直ぐじゃないし、何より女の子ひとりじゃあぶねえぞ?」
「一人でなんて行かないよ。案内ができそうな人が目の前にいるし」
「へ?」
再度こぼれた間の抜けた声。聖奈は首を傾げながらウェインをじっと見詰め、はっきりと尋ねた。
「ねえ、ウェイン。その村まで案内してくれないかな?」
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