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17.夜更けと夜明けとお別れを
月明かりだけが差し込む、深夜の宿の一室。
眠る聖奈にナイフを突き立て殺そうとした侵入者に銃口を押し付けた体勢のまま、ウェイン・リベルタはもう一度問いかける。
「答えろ。誰の依頼だ?」
「……」
侵入者は答えない。黙秘でもするつもりなのか、一切口を閉ざしたまま。ウェインは内心で舌打ちする。
この侵入者が暗殺者の類いであることは間違いない。遺跡を発った時からずっと、更に言うならば昨晩の野宿の際にはこちらの隙をずっと窺っていたのだから。
だが仕掛けてくる気配はなかった。警戒心が強いのか用心深いのか、その存在には気付けても尻尾は掴ませてくれなかった。
――だから、ウェインはあからさまな罠を仕掛けたのである。
わざと朝に宿ではしっかり眠るということを口にして、つけ狙う者の存在には気付いていないかのように振る舞い、部屋の鍵を開けておいた。
そのあからさまな罠に、まんまと乗ってくれた。
尻尾を見せ、標的が聖奈であることも教えてくれた。即ちまだ若輩でろくに情報は持っていないかもしれないが、それでも吐かせれば数ある裏組織からどれが有力であるかは大体絞れる。
単独の相手であれば遅れは取らない自信のあるウェインにとって、罠を仕掛けるにあたってのデメリットはなかった。
「……こんなの、聞いてない」
ぽつ、とこぼれた声は男のものだった。
だが男のものといっても幼い。体格も小柄であるし、おそらく少年だろう。歳は聖奈と同じか、あるいは彼女よりも幼くアリシアと近い可能性が高いか。
それにしても、聞いてないとはどういうことだ?
聖奈のそばにはアリシアとルキフェルが常にあった。にも関わらず聞いてないとは、十中八九ウェインのことか。
「聞いていたらこんなヘマはしなかったってか? 子供の使いじゃあるまいし、言い訳にもなんねえな」
「……」
「俺の問いに答えろ。誰に依頼された?」
沈黙。けれど今度はすぐにまた、侵入者――少年は口を開いた。
「答える義理はない」
「自分の置かれた状況を理解してるか?」
「してる。だからこそ――アンタは撃てない」
刹那、彼が動く。後頭部に押し付ける銃に構うことなく振り向き、握り締められたナイフが横薙ぎに振るわれる。
ウェインはすれすれで上体を引いて躱し、その時には既に鋭利な切っ先が肉薄していた。手にした銃の銃身で受け止める。
深く被られたフードの奥から覗く双眸が、ウェインを真っ直ぐに捉えていた。
「こんな場所でそんなうるさいもの、撃つわけない。考えるまでもない」
淡々とした声が紡ぐ。
確かに、この場所で銃は撃てない。静寂に包まれる村に響き渡る銃声は、この部屋でなおも眠る聖奈とアリシア、それにルキフェルだけではなく、村人すら起こしてしまうだろう。その上でこの少年に逃げられでもしてしまったら、ちょっとした事件扱いになりかねない。
なるほど、この少年は真正の馬鹿ではないらしい。
ウェインは口元に弧を描き、銃身に突き立てられるナイフごと少年を押し返し、
「――だから?」
と、ウェインは彼に投げかけた。
少年が驚愕しているらしいことが気配で分かる。ウェインは鼻で笑ってみせ、言葉を続けた。
「その推測は別に間違っちゃいない、それこそ事実だと言っていい。けど、だからどうした?」
「……っ」
少年が何かを察知して、大きく離れる。
並んで置かれたベッドから離れ、ソファとテーブルの置かれる広いスペースへ。警戒しきった様子でナイフを構え直す彼に、迷わず踏み込んだ。
眠る少女たちから離れてくれるのであれば、ウェインにとっても好都合だった。
「常識語られて動揺するほど、甘くねえんだよ」
握り締める銃を振り抜く。打ち据えるのは本来の用途ではないが、銃身は鈍器として充分の強度と硬度を誇る。まともに当たれば骨くらいはもってけるだろう。
少年は振るわれた銃をナイフで受け流し、素早く突き出――すより先にウェインは空いた手で隠し持つ片刃の短剣を逆手で引き抜き、振り抜いていた。
目を見開いた少年が突き出そうとしていたナイフを引き、ウェインの短剣を刀身で受け止める。と同時に、彼の片手が動いた。
腰の辺りに伸びた手を見て咄嗟に後方に飛ぶと、ついさっきまでウェインが立っていた場所が風切り音を奏でて剣閃が浮かんだ。
後方に働く勢いに逆らうように屈伸運動で強引に突っ込もうとした視界で、少年の手が動いていることを捉えた。微塵の無駄もなく、流れるような動作で何かを引き抜き、投げつけられる。
それはウェインに向けて放たれたものではなく、投擲の先は少女たちの方向。
「……っつぅ!」
気づくやいなやウェインは銃を床に放ち、投擲されたモノを掴んだ。目で追うのがやっとのそれの正体を掴んでやっと理解する――投げナイフだ。
握ってしまった刃が手のひらに食い込み、皮と肉が切れる。熱と共に鮮血が滲んで滴るのがわかった。
忌々しげに舌打ちした時には、少年は背を向け走り出していた。窓へと突っ込んでいくその背に、銃口を向けて放つのは間に合わない。
「あー、くっそ!」
掴んだナイフを手放して口にした声をかき消すかのように、鳴り響く窓ガラスの割れる騒音。
「!?」
「ひえっ!?」
「なっ! なにっ、何の音!?」
そこでようやく飛び起きた少女たちとぬいぐるみに、ウェインは盛大な溜息をついて振り返った。警戒心が本当に薄すぎるのも問題である。
「おはよ、セナちゃんもアリシアちゃんも。いま暗殺者が来てました」
「おはよってまだ夜中だし! しかも暗殺者って……、待ってウェインどうしたのその手!?」
あたふたと忙しない聖奈に苦笑をしつつ、ウェインは短剣を収め床に落ちたままの銃を拾い上げる。その傍にベッドから這い出てきた聖奈がやって来た。
「ほ、ほんとにどうしたのよそれ」
「ナイフの刃を手掴みで掴んだからなー」
「何がどうして!?」
へらりと笑って見せると彼女は怒ったような、慌てたような悲しんでいるような、なんともいえない表情で怒鳴る。
自分の手が血まみれになるのも構わず、おずおずとウェインの手をそっと添えるように掴む聖奈は、まるで自分が怪我をしたかのように痛そうに顔を歪めていて。
なんで聖奈がそんな顔をするのか。ウェインは理解出来ず、首を傾げた。
「ど、どうしよう、包帯!? 救急箱! ああ、借りてこなきゃか……!」
「セナ様、わたしが治します! これくらいなら問題ありませんから!」
「ふむ……見た目は酷いがそこまで深くもない。これなら治療をせずとも、」
「るーきーふぇーるー!? あなたは何を言ってるの! ごめん、アリシアちゃん、お願い出来る?」
「はい!」
ルキフェルの頭を片手で掴んで眉をつり上げる聖奈にかわり、アリシアが血まみれの手を見詰める。
彼女もまた辛そうに表情を歪めていた。普段はあれだけ人間を毛嫌いしていながら、何故迷うことなく治癒の魔法を使うと魔族の少女が言い出したのか、考えてもウェインにはわからなかった。
アリシアが行使する治癒魔法による暖かな光に片手が包まれるのを感じながら、あの投げナイフに遅効性の毒とか塗ってなきゃいいんだけど、とぼんやりと考える。さすがにそれはないと思うけれど、もしそうだったらどうしたものか。
小さく嘆息しながら見遣った先では、聖奈がルキフェル相手に口喧嘩のようなことをしていて。そんな姿を見ると、不思議と笑みが溢れる。
その後店主が駆けつけるまで二人のやりとりは続き、割れた窓ガラスから吹き込む風でカーテンが大きく揺れ続けていた。
* * *
昨晩、誰もが寝静まる頃に聖奈たちが宿泊していた部屋に暗殺者らしき少年が侵入したらしい。
ウェイン曰く、その少年はずっと聖奈たちに気付かれぬようについてきていたようで、聖奈やアリシア、ルキフェルには何も言わずにおびき出してみたらしい。
それが昨夜のウェインの怪我と、割れた窓ガラスの理由だった。
「それにしても、暗殺者って……」
チェックアウト前の宿の一室で呆然と聖奈は呟く。
あのあと騒ぎを聞きつけてやってきた宿屋の店主には、強盗の類いの襲撃を受けたとウェインの機転で説明された。事実をそのまま伝えれば、厄介なことになるとわかっていたからだ。
その嘘を疑われることはなかった。聞けば最近はそうしたゴロツキの数が増えてるらしく、周辺に住み処があると言われていたようなのだ。
真偽のほどはわからないが、彼らは首都のほうから流れてきているとの噂らしい。
もっとも、ウェインはそれをありえないと一蹴していたのだが。
「確定ではないけど、そういう類いだとは思うぜ。少なくとも、依頼主はいるはずだ」
まあ結局聞き出せなかったけどな、とウェインが肩を竦める。
その手には傷跡はない。アリシアの魔法により、彼の手の怪我は昨夜の内に完治していた。
「で、小僧。そやつの狙いは誰だったのだ? 貴様の様子では、貴様自身が狙われていたわけではなかろう?」
「一応言っておくが、テメエでもないからな、ぬいぐるみ」
「こらこら、なんでそこでそんな雰囲気になるのよ」
にらみ合い始めたウェインとルキフェルを溜息混じりに制して、聖奈はウェインに先を促す。
するとウェインは何故か眉を顰め、それからややあってから、
「――セナちゃんだよ」
と、静かな声でそう言った。聖奈は一瞬、理解が出来なかった。
「え……?」
目を見開きウェインを見詰める。ウェインは聖奈を見つめ返しながら、もう一度繰り返した。
「だから、セナちゃんだよ、狙われてたの。迷うことなく殺そうとしてたからな、間違いなく狙われてたのはあんただ」
狙われてた? 私が? どうして?
己の内で自分自身に問いかける。その答えはすぐに見付かった。凍りついたアリシアとルキフェルの顔が、その答えに真実味を帯びさせていた。
――聖奈が狙われたのは、聖奈が〈魔王〉だからだ。
どこからどう割れたのかはわからない。〈勇者〉の口から語られたにしてはおかしい気はするが、それでも狙われた理由はそれ以外に考えられなかった。
「……そう」
聖奈は顔を伏せる。つまるところ、巻き込んでしまったのだ。ウェインのことを聖奈が〈魔王〉であるがゆえの問題に。
彼はあの遺跡に居合わせただけの人間だ。聖奈の事情や旅の目的とは無関係で、此処にいるのも案内を頼んだからに過ぎない。
そんな青年を、聖奈はあの時以上の危険に巻き込んでしまった。
甘く見ていた。どういう経緯で暗殺者に依頼がいったのかなんてのは考えてもわからない。いずれは人間や神族が動くであろうとは考えていても、予想よりあまりにも早すぎるなんて言い訳は出来るはずもない。自責に強く唇を噛み締める。
けれど、いつまでもそうしてはいられなかった。
「それなら、すぐに此処を発たないとね」
聖奈は深く息を吐きながら言って荷物を手に取る。それからアリシアとルキフェルに声をかけて促すと、くるりとウェインに振り向いた。
「今までありがとうね、ウェイン。でもこれ以上は関わらないほうがいいと思う」
「はあ? ちょっと待て、それはあまりに勝手すぎやしねえか?」
憤然とした表情で立ち上がったウェインが、聖奈へと一歩踏み込んでくる。納得がいかない、そう視線で訴えてくる。
しかしこれ以上、彼を深入りさせてはいけないから。
「勝手でもなんでも、エルリフまでの案内が約束だったわけだし、ちょうど良いでしょう?」
「ちょうど良いって、それで勝手に終わらせるな。これからどうするつもりなんだ? 次も誰かがあんたを殺しに来るかもしれないんだぞ?」
「……」
確かにウェインの言う通りだ。きっと今後もこういう事態に見舞われることだろう。聖奈は〈魔王〉で、〈勇者〉を退けてしまったことは事実なのだから。
だがそれでもウェインは無関係な人間だ。
〈魔王〉である聖奈の事情に巻き込まれる必要はないし、それによって危険になるだなんてあってはいけない。
この世界にやってきて、突然〈魔王〉だとか言われて。目の前で起きる魔族への仕打ちに、我慢がならなくて自ら〈魔王〉と名乗った。その事に後悔は微塵もない。
けれど誰ひとりとして聖奈を知る者はいないこの世界で、魔族の中に人間が自分ひとりきりというという状況は思うよりずっと不安で、だからこそ人間であるウェインの存在に救われていたのかもしれないと思う。
彼もまた見知らぬ人間だけれど、クロードや彼の連れていた兵士たちとは違う。聖奈やアリシアたちに一切危害を加えようとすることもなく、友好的だったから。なんてことのない話しをしたり、ルキフェルたちと騒ぐ姿に安心感を抱けたのだろう。
だからこそ、優しい彼の事をこれ以上巻き込むわけにはいかない。
「セナ様……」
アリシアが気遣わしげな視線を寄越してくる。大丈夫かと言いたげな視線に、そんな顔をしていたかなと笑いながらも大丈夫だよ、と告げた。
聖奈は言葉をじっと待つウェインを見据える。彼を真っ直ぐに見詰めて、告げた。
「そうだね、きっとこれからはもっと危なくなっていくんだろうね。でも、だから此処でお別れ。貴方はただの人間、〈魔王〉なんかと一緒にいる必要はないんだよ」
「そんなこと……」
「助けてくれたこと、本当に感謝してる。けど、感謝してるからこそ、ウェインに怪我をさせるような事はもう二度とあってはいけないと思うの」
「俺は……」
「此処まで案内してくれて、ありがとう。一緒にいれてとっても楽しかったけど、危ない目に遭わせてごめんね。もうこれ以上、迷惑を掛けないし無理なお願いはしないから……元気でね」
必死に言葉を探して、けれども続かない声を遮るように聖奈は言い切って、顔を伏せたウェインを見詰める。
視線が交わることは決してなく、言葉がはっきりと紡がれる事もない。
聖奈は微笑み、何か言いたげながらも口を閉ざしたままのルキフェルを抱えてアリシアを促すとドアノブを捻り、押し開く。二人と共に廊下に出て、後ろ手で扉を閉じればもうウェインの姿は見えない。
「……良かったのか、セナ?」
「よかったも何も、最初からエルリフまでの案内のことしか言ってなかったんだから、おかしなお別れではないでしょう?」
「ですが、セナ様。その、本当は、もっとあの方と……」
「気付かなかったからって、怪我をさせてしまった事実は変わらないもの。これ以上そんな目には遭わせるわけにはいかない。ウェインは私が無理を言って此処まで一緒にいてくれただけの、ただの人間なんだもの」
心配そうに問いかけてくるルキフェルとアリシアに答えて、聖奈は笑う。
フロントに降りる頃には、もう二人は何も言わなかった。
挨拶と共に声をかけてくれた店主からウェインがいない事を不思議がられたが、元々道案内を頼んだだけだからと告げると、彼はそうですか、と納得してくれた。
今回の一件は聖奈たちに非があるわけではない、とのことで窓ガラスの修復の費用は要らないとも言ってもらえた。実際は聖奈が狙われてのことなのだから非はこちらにあるのだけれど、申し訳なくも事実を告げられない以上、彼のご厚意に甘えるしかない。
代わりに深々と頭を下げて、聖奈たちは宿を後にした。
「快晴快晴! さあ、元気に〈ルイゼン〉まで行こうか。歩きだと何日くらいかかるんだっけ?」
体をぐうっと伸ばしながら問いかけると、アリシアは心配そうな表情をかき消すように微笑んだ。
「そうですね、歩き詰めで三日ほどでしょうか。休憩も挟むことを考えると、四日はかかると思った方がいいかもしれません」
「四日かあ……そういえば魔物も出るんだよね」
げんなりと項垂れると、腕の中のルキフェルがちらりと聖奈を見上げた。
「道中の魔物相手で鍛えるぞ。貴様は我が想像するより遥かに弱いからな」
「わざわざ言わなくても弱いってことは自分でもわかってるよ! あ、そのことで聞きたかったんだった。私に凄い力とかってないの? 〈魔王〉の力、みたいなの」
「……あるにはある。が、今の貴様では暴走して自滅し、命を落としかねん。一朝一夕で強くなれると思わない方が身のためだ」
「あはは……だよねえ」
ふんぞり返るルキフェルに、聖奈は肩を落とす。それでも頑張れば強くなれるであろうことは分かったのだ、最弱のままでは終われない。
多くは望まないが、せめて世界最弱の魔物に余裕で勝てるくらいにはならなくては。でなければ、アリシアのことすら守れないし、理想なんて叶えられないどころか、間違いなくあっさり死んでしまうから。
そんな切実な決意を新たに、エルリフの村の門を潜る。
聖奈は一度も振り返らなかった。
もちろんその背に声が掛かることもなく、それがほんの寂しかったが、その感情は決して口に出すことはなく飲み込むことにした。
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