2.出逢いまして唐突に

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2.出逢いまして唐突に

「ただいまー」  夕方。一人で家に帰宅した聖奈(せな)は、静まり返った家内に声を響かせた。もちろん返ってくる声などない。  平時なら既に明かりは灯り、夕飯の支度している母が暖かく迎えてくれるが、今日は聞いていた通り人の気配は一切無い。  うっすらと帳が落ちて薄暗い中、靴からスリッパへと履き替えた聖奈は廊下の電気を点け、リビングに入る。明かりを点けると、そこでテーブルの上に置き手紙があることに気付いた。  鞄をソファに置き放ち、手紙を手に取る。母からだ。 「あ、夕飯は用意して行ってくれたんだ。しかもカレー」  これじゃ明日の朝も作る必要がないかもしれない。流石にお弁当は作って詰めなきゃいけないけれど。  苦笑しながらキッチンに向かい、鍋に火をかけた直前のことだった。ゴロゴロ、と空が鳴る。 「うわ、雷?」  まるで地鳴りのような、低く唸るような音。一拍置いて、ぴしゃん、と鳴ったかと思えば、間髪要れずに雷が猛々しい音を立てながら落ちた。 「うひゃあっ!」  思わず口から零れた悲鳴。普段は雷に怯えるような性質(たち)ではないが、あまりの近さに驚きの入り交じった声が零れてしまった。  部屋の照明がちかちかと不穏に明滅する。停電をしなかったのは幸運だったようだ。  そうこうしている間に、降り出した雨。すっかり暗闇が落ちた外から届く、ざあざあと降りしきる雨音を聞きながら、聖奈は首を傾げた。  今朝、母が傘を持って行くようにとは一切言わなかったということは、雨が降る予報も確率も万が一にもなかったということだが。  と、そこまで考えて、聖奈はあることを思い出した。 「理緒(りお)、折りたたみ傘は持ち歩いてない!」  半ば叫ぶようにひとりごちて、リビングを飛び出す。  聖奈は携帯を制服のポケットから取り出し、双子の兄に電話を掛けようとした――直前。 「!」 「うっはあ、降られたー」  勢い良く開かれた玄関。滑り込んで来たのは理緒だった。  頭から足の先までびしょびしょに濡れた彼は、ブレザーを脱いだところで聖奈に気付き、首を傾げた。 「なにしてんだ?」 「兄さんに傘を届けようと思ってたんだけど……ごめん、遅かったみたいだね」 「謝んなって。丁度、帰る途中で降られたんだ。言い出しっぺが彼女とデートになったとかで、わりとすぐに解散になってさ」  ったく散々だ。と、愚痴りながら理緒はTシャツ姿になり脱いだワイシャツを絞り始める。  聖奈は理緒の脱ぎ捨てたブレザーを片手に風呂場に行き、風呂を沸かすと共に脱衣所からバスタオルとフェイスタオルを数枚持って来ると、玄関で絞り終えたワイシャツを投げて今度はTシャツを脱いで絞り始めた理緒の頭に呆れながらタオルを被せた。 「理緒、羞恥心」 「上半身裸の男を前に動じないお前もどうよ?」 「この家には風呂上がりに必ず上半身裸の人がいるからねぇ。慣れましたー」 「ほー、それはそれで兄としては心ぱ――、痛い痛い! 雑! 頭拭くの雑!!」  腹いせに濡れた髪を被せたタオルで乱暴に拭いてやると、理緒は情けないまでに悲鳴を上げた。聖奈は構わず満足するまで拭いてやって、ようやく離す。 「お風呂、いま急いでわかしてるから、着替えて来ちゃって」 「……へいへい」 「それと、濡れたものは全部乾燥機に入れておいて。ただし回すまではするけど干すのは理緒だからね」 「へーい。あ、飯は?」 「お母さんがカレーを用意して行ってくれたみたい。温めておくから、理緒は暖まるのが先」 「よっしゃ!」  途端に子供のように屈託なく笑い自室へと向かう理緒に、ほんの少し呆れて肩を竦めつつも聖奈はリビングに戻り、キッチンでカレーの入った鍋に火をかける。と、そこに階段を降りる足音と、カレーカレー、とご機嫌な鼻歌が聞こえてきた。理緒のである。  たいへんご機嫌な理緒()は脱衣所で濡れた服を乾燥機に入れてきたのか、時間を置いてから首にタオルをかけた新しいTシャツとジャージという寝間着姿でリビングへと入って来た。かと思えば何かを思い出したらしく、あ、と呆けた声を上げて、くるりと踵を返してしまう。  どうしたのかと首を傾げつつキッチンから離れると、相変わらず鼻歌混じりの理緒はずぶ濡れのスクールバッグの中から何かを引っ張り出すと、聖奈を呼んだ。 「なに?」 「ほい、戦利品」  言いながら理緒が差し出すものを、聖奈は両手で受けとる。  彼が寄越したのは、ぬいぐるみだった。  手触り滑らかな材質の、蝙蝠羽を背負った黒みを帯びた深い紫色のした猫の姿をしている。青い外套を纏い美しい水色の目をした不思議でいて可愛らしい猫のぬいぐるみを受け取って、聖奈は首を傾げる。 「くれるの?」 「おう。かわいいだろー? UFOキャッチャーの景品だったんだけどな、一発ゲットしてきた」 「なるほど、ありがとう」  どういたしまして、と理緒はふんにゃりと笑う。とても満足気だ。  カレーの入った鍋は見ておくから、と言う理緒に促されて聖奈は着替えをすべくぬいぐるみと、リビングのソファに置きっぱなしだったスクールバッグを手に階段を上がった。  静かな廊下を電気をつけながら抜けて、自室のドアを開き灯りを点けると、聖奈は真っ先にぬいぐるみをタンスの上に置く。そこには既に他にも複数のぬいぐるみが置かれ、中には有名キャラクターやアニメのマスコットもあった。大抵は理緒から貰ったものだ。  ことUFOキャッチャーが好きらしい理緒は、ゲームセンターに行く度に何かを取ってくる。ただし彼はあくまでも取ることが好きなようで、主な景品であるぬいぐるみは決まって聖奈に手渡される。おかげで聖奈の部屋は存外ファンシーだ。  今日の戦利品という猫のぬいぐるみを、聖奈は改めて見詰める。  とても可愛らしいと思う。悪魔を思わせる蝙蝠羽も不気味だなんてことはなく、猫好きなら欲しくなるような愛らしい形をしている。だが可愛らしいとは思うのだが、何故だろう? 他のぬいぐるみとは違う不思議な何かを感じるのは。  この猫の眼が、ぬいぐるみらしからぬ程に美しく透き通った水色をしているからだろうか。  聖奈はそんな事を考えながら机の椅子に置いたスクールバッグからノートや教科書を取り出すべく、ぬいぐるみの置かれたタンスに背を向け――、ぼと、と何かが背後で落ちた。  何があったのかと振り向こうとして、刹那、ゴロゴロと鳴り続けていた雷が、ぴしゃんと落ちた。つんざくような音は、やはり雷が近くに落ちたことを示している。  間髪容れずにちかちかと明滅する部屋の電灯。  もしかして、停電するのかな。ほんの少しだけ不安になる聖奈に、追い打ちをかけるような出来事が起こった。 「ふん、憑代としてはまずまずか……」  どこか偉そうな口調の声が聞こえてきたのだ。  しかし家には聖奈以外に理緒しかおらず、そもそも彼は一階のリビングにいるため、ここには自分一人だけのはず。  なら、いまの声の主は?  途端に沸き上がってきた恐怖を抱きつつ振り向くと、それはいた。 「貴様が我の力の継承者か。なるほど、愚鈍なだけあってそれらしい間抜けな顔をしているな」  黒を帯びた、滑らかな材質をした紫の体躯。煌めくような水色の瞳を勝ち気そうに揺らめかせ、背中の羽をパタパタと動かし仁王立ちをしているモノ。  それが、そこにいた。というか、浮いていた。  さらに言うなら、それは理緒から貰った猫のぬいぐるみが立っていた。その上でしゃべっていた。  ぬいぐるみが喋る。それは、本来あり得るはずもない、異常事態だ。  しかも口調は偉そうだ。物語の中に描かれるような貴族を思わせる尊大さは、愛くるしい姿とはミスマッチに思う。  ――いや、そうじゃない。  あまりに非現実的な事態に、逃避しかけていた思考を強引に引き戻し、 「~~~~~!?!?」  聖奈は声にならない悲鳴を上げた。  人間、本当に予想外な驚きを与えられると言葉にならないらしい。紡ごうにも見付からず、口をひたすらにパクパクと動かしていると、猫のぬいぐるみは怪訝そうに顔を歪める。  そこでようやく、聖奈は叫ぶことが出来たのであった。 「ぬ、ぬいぐるみがしゃべった!?」
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