3.誘いの先のまた出逢い

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3.誘いの先のまた出逢い

 指をさしながら叫んだ聖奈(せな)に、ぬいぐるみはといえばキッと双眸を鋭くさせ、 「指をさすでないわ、無礼者めが! 愚鈍な上に素養も欠いているなどもっての他、万死に値する行為だぞ、小娘!」 「ご、ごめんなさい!」  謝罪したのは半ば反射的な行動だった。  端から見ればぬいぐるみ相手に謝る人間というこの光景、実に滑稽であることは間違いないし自分でも何故謝っているのだろうと思うのだが。それでもそうしなければならないと思わせるほどの迫力があったのだ。  するとぬいぐるみはといえば謝罪を口にした聖奈に気を良くしたのか、満足げに口元に弧を描いた。なんだろう、この敗北感。 「素直なのは評価に値するぞ。それに免じて先の無礼を許さんでもない」 「は、はあ……」  うんうんと頷くぬいぐるみに、曖昧な返事をひとつ。それでも気分を損ねるのは本意ではない聖奈は、言葉を選びながら口を開いた。 「えーっと……、貴方は、誰、なんでしょう?」 「名を尋ねる時は自分からと習わなかったのか、小娘。誉めた矢先にこれとはな……まあいい、不服ではあるが名乗ってやろう。我の名はルキフェル、同胞たる魔族を率いる〈魔王〉だ。もっとも我は先代に当たるのだがな」  ぬいぐるみの答えは想像の斜め上を行っていた。  尊大な態度を崩さないルキフェルと名乗ったぬいぐるみを、聖奈はまじまじと見詰める。  このぬいぐるみ、〈魔王〉と言い出したぞ。ぬいぐるみが動いてしゃべるだけでも非現実的な事態だというのに、何なら実は自分はいま夢を見ているのではないかと疑っているのだが、魔王とまで自称するのか。 「……ぬいぐるみなのに?」 「これは我の体ではない! あくまでもこれは憑代(よりしろ)に過ぎぬのだ! 本来の肉体は朽ち果て、今の我には顕現すら出来ないが故の苦肉の策、そんなことすらわからんのか馬鹿者がっ!!」 「ごめんなさい、私が悪かったです!!」  瞬間、烈火の如く怒り出したルキフェルに、聖奈は余計な一言だったかと悟ると共にすかさず謝った。謝らない選択肢がなかった。  本日二度目のこの流れ。あまりの情けなさに、誰かに見られていようものなら穴にでも入りたい。むしろ埋まりたい。何なんだというのか。 「まったく……こんな礼儀のなってない小娘が次代を担い、慈しむべき同胞を救う者とは……運命とやらは残酷だな。それを壊すだけの力が今の我にないことも、屈辱きわまりない」  なんだかよくわからないが、散々な言われ様だ。それも〈魔王〉を自称する動いてしゃべるぬいぐるみにだ。ボロクソに言われている。夢なら覚めて欲しい。今すぐに。  だがどうにも夢などではないらしい。ふと思って頬をつねってみたものの痛みはあるし、外から響く雨音が絶えることもない。  一体何がどうなっていて、何故こんなことになっているのか。  ぐちぐちと続く説教のような何かを聞き流し、ぐるぐると止めど無く答えなど出ない事を考えながら腕組みしているルキフェルを見詰めていると、不意に彼――と呼んで正しいものか、聖奈には判断しかねるが――はぴたりと口を閉ざした。  刹那、落雷か落ちて轟音が響き渡る。チカチカと明滅していた電気が、ぶつんと消えた。  停電だ。一階から、理緒の叫びが聴こえて来る。 「ふむ、話し込んでいる余裕は無さそうだな。小娘、名を何と言う?」 「え、私? 聖奈、ですけど……ごめんなさい、何が何だか分からないけど、とりあえず理緒の所に行ってもいいですかね? 停電もしちゃったみたいだし……」 「セナ、か。すまぬが、それは出来ん。この好機を逃すわけにはいかぬのでな。リオとやらには悪いが、あちら側へと案内させて貰おう」  言いながら、ルキフェルは小さく短い両腕を前方へと突き出した。  すると、向き合うように立つ聖奈とルキフェルの間に、紫色の光を放つ魔法陣が描かれた。読むことが出来ぬ文字に彩られた複雑な模様の陣を前に、聖奈は思わず一歩後退る。 「な、なにっ? なにこれ!? 何が起きてるのっ!?」 「狼狽えるな。言ったはずだ、あちら側へと案内させて貰うと。……それに、この状態であればさしもの貴様にも聞こえるはずだ。呼び声がはっきりとな」 「えっ?」  首を傾げ、どういうことなのかと尋ねようと聖奈は口を開き――その時だ。それが聞こえたのは。 『〈魔王〉様。新たに誕生せし、先代の魂を継ぎし〈魔王〉様……』  優しく、鈴のような、か細い声。女の子のものだ。  消え入りそうなその声音は、聖奈の頭の中に直接聞こえているようだった。  状況を理解できず、益々混乱していると、ルキフェルはこちらを見上げ、ふむと呟いた。 「どうやら聞こえたようだな。まったく、三日三晩、欠かさず呼んでいたといのに……鈍いにも程があるぞ?」 「呼んでいたって、私を? なんで? それに、この声の女の子、〈魔王〉様って……!」 「ああ、そうだとも。娘は〈魔王〉を呼んでおる……紛れもなく貴様のことだ、セナ」  そうはっきりと言い切られて聖奈は息を飲む。ルキフェルは真っ直ぐにこちらを見たまま更に声を紡ぐ。 「我にも何が起きているのか、はっきりとはわからぬ。だが、捨て置けぬと思った。その理由は、声を聞けばわかるであろう? それとも、まだわからぬと愚かなことを抜かすか?」  鋭さの帯びたルキフェルの言葉に、聖奈は押し黙り、改めて声に耳を傾ける。未だ途切れはしないそれを、しっかりと聞いてみる。 『〈魔王〉様。我らが主様、お応えください。この地に降り立ち、我らを何卒お導きください』 「…………あ」  そして、気付いてしまった。  声には、切々な願いが込められていた。まるで懇願するような、すがるような、声。一縷の希望に懸けるかのような、追い詰められたような、声。  聖奈は理解してしまった。理解してしまったから、口を閉ざす。 「……そこまで愚かではないようだな。理解したのなら、行くぞ」 「え……? 行くって?」 「先ほど告げたばかりであろう。あちら側へとだ」 「へ、えっ、ちょっと、なに言って……!?」  戸惑う聖奈に構わず、ルキフェルはバサバサと羽を羽ばたかせて飛び上がる。そして背後に回り込むと、どん、と体当たりを叩き込んできた。 「は、え、ええっ!?!?!?」  強い衝撃を受け、体勢が崩れる。頭から床にぶつかっていくのを、スローモーションで感じていた。倒れる先は、光を放つ魔方陣の上。激突を避けるべく条件反射で伸ばした両手が床に触れ――ぐにゃりと沈んだ。  それはまるで、水の中に手を突っ込んだかのような感触。しかし冷たさはなく、生温い。  やがて、何もかも理解できぬまま、聖奈の身体は魔方陣の中に飲み込まれた。その瞬間だけが水に飛び込んだかのような感覚だった。  一瞬が過ぎると、今度は温もりに包まれた。  視界は真っ暗な闇で覆われたまま、ただただ沈んでいた。頭の中に聞こえる声は、少しずつ大きくなっていく。そうして。 「……!」  深い深い闇に、ぼんやりと人影が浮かんだことに聖奈は気付いた。顔どころか姿さえ曖昧であったが、背格好からして子供に見える。  と、その時、子供が顔を上げた。目が合う。涙に濡れた瞳が驚きに見開かれる。何を言うでもなく、無言のまま。  落ちるような、沈むような感覚は変わらない。  やがて、視界が歪んだ。子供の姿が滲む。見えなくなる。  ――なんで泣いてるのか、聞けなかったな。  折角気付いたのになにも出来なかったことを深く悔いて――声が耳をくすぐるかのように響き、届いた。 「〈魔王〉様。我らが主様、どうかこの声が届いているのなら、我らにお力をお貸しください」  柔らかで、美しい声音。それを耳ではっきりと聞いた、次の瞬間。  水の中を沈む感覚は消え、代わりに落下する独特な浮遊感に襲われたかと思うと、尻を強く打ち付けた。 「いっ、たぁ~……っ!」  不意打ちで走った痛みに、尻を擦りながら聖奈は反射的に瞑っていた目を開ける。  そこは、薄暗い部屋だった。煉瓦を積み重ねて造られた壁に床。灯りは壁につけられた幾つかの揺らめく蝋燭の火だけ。しかし視界は思うよりは悪くなかった。  すぐに少し離れた真正面の人影に気付けたからだ。  それは淡く薄い緑色の髪を二つに結わえた少女。柔らかな赤い双眸を見開いて膝立ちで祈るように両手を組む彼女は、とても整った顔立ちをしていた。  美人、というよりは可愛らしい顔立ちのその少女は聖奈を真っ直ぐに見詰めている。  逸らされる事は決してなくかち合った視線を外すことも出来ず言葉を探していると、少女の口からか細い声が零れた。 「……ぁ」  絞り出したような、そんな声だった。それを合図にするかのように、堰を切ったように少女の眼から涙が溢れて頬を伝った。  ぎょっとする聖奈の目の前で少女は止めどなく溢れる涙を必死に拭い、涙声でようやく言葉を紡いだ。 「よかった……本当に……!」 「あ、あの……?」  戸惑う聖奈に、少女は泣き顔を向けて言う。 「お待ちしていました……、新たなる〈魔王〉様……っ!」  あまりに嬉しそうな表情に、聖奈には違うとも何とも告げることが出来やしなかった。
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