8.勇者の男、魔王の少女

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8.勇者の男、魔王の少女

 広間にいる魔族たちが、数秒の静寂の後にどよめいた。  口々に終わりだ、死ぬしかない、と繰り返し始めた魔族たちに、聖奈(せな)は戸惑うことしか出来なかった。  〈勇者〉とやらの存在が、こんなにもあからさまに士気を下げるなんて。  見ればアリシアまでもが呆然としていて、聖奈はルキフェルを見やる。 「ルキフェル、〈勇者〉ってなに? まさか、魔族とか〈魔王〉を討伐するための人とか……?」  するとルキフェルは少し離れた場所にいる聖奈の元にすべるように飛んできて、がなるように吠えた。 「そんなはずなかろう! 〈勇者〉とは、称号だ! 〈魔王〉が魔族の王であることを意味するように、〈勇者〉は人間の中において最も優れた勇ましき者を指す称号、〈魔王〉を討つ者では決してない!」 「じゃあなんでみんな怯えてるの!?」 「我が知るはずもなかろう! 我の生きた時代よりどれだけ時が流れていると思う!」  怒鳴るようにして言いくくったルキフェルが広間を見渡した。  倣うように聖奈も一瞥していくが、相変わらず騒然としているこの場には先程までの生きようと必死だった者達はおらず、誰しもが絶望に飲まれているように見えた。 「我が眠りについていた間に、世界に何があったというのだ……」 「ルキフェル……」  何が何だかわからないのは聖奈だけではなく、ルキフェルも同じらしい。呆然と俯いた彼の姿に、聖奈は意を決してアリシアへと問い掛ける。 「アリシアちゃん。〈勇者〉ってなに? ルキフェルは魔族の敵じゃないって言ってるけど、今はどうなの!?」 「…………」 「アリシアちゃん!」  完全に下を向いてしまったアリシアが、一瞬だけ聖奈を見上げ、けれどすぐにまた顔を伏せる。そうしてそのまま押し黙ってしまって。じれったさにもう一度、尋ねるより早く。 「〈勇者〉は人間と神族……この場合は天使っていうべきかもしれないが、いわば連合軍と呼べる連中の旗印だ」  静かな声でウェインが言った。彼はきわめて険しい顔のまま、更に言葉を続ける。 「大昔には違ったとも聞くが、少なくとも今は魔族を掃討する兵士を率いてる。総大将ってやつだな」 「じゃあ、このままじゃ……」 「……おそらく、殲滅(せんめつ)させられるか、全員とっつかまるだろうな」  僅かに躊躇いながらもはっきりと返された言葉に、聖奈は息を飲む。  ウェインの言葉が正しいならもう、アリシアたち魔族にはこの場で死ぬか、奴隷として使われるかの未来しかないのだと理解してしまったからだ。  だが、そうだというのなら、きっと、きっと。 「……〈魔王〉様」  か細い声に、聖奈の肩が跳ねる。  視線の先のアリシアは顔を伏せたままだけれど、彼女が何を言いたいのかは既に察している。 「お願いです……わたしたちを助けて下さい……っ。もう、わたしたちには〈魔王〉様しかいないんです……!」 「……っ」  ――ほら、やっぱり。  予想通りの言葉に、聖奈は眉を寄せた。  分かっていた。何故なら彼女は救いを求めて〈魔王〉を呼び続けていたのだから。  切々な声は、聖奈も聞いた。アリシアや、この場所で生き延びていた魔族は新しい〈魔王〉の訪れを最後の希望としていたのだ。  正直のところ、未だに自分が〈魔王〉であることを受け入れたくはない。突拍子もないし、だいたいただの女子高生がいきなり〈魔王〉と呼ばれるなんて、常識的にどう考えてもおかしいだろう。  だから、聖奈には何も出来やしない。期待されているようなことは何一つ。だけど。でも。だとしても――! 「……アリシアちゃん」 「……!」  呼び掛けながら、聖奈は歩み寄ってアリシアの頭を撫でた。  ピクリと反応を示し、上げられた顔。紅い瞳はまた涙で濡れ、頬には涙の跡があった。  聖奈は彼女を真っ直ぐに見詰め、 「私、多分きっとアリシアちゃんが望むような〈魔王〉なんかじゃないよ。というか、やっぱり自分じゃただの人間としか思えないし、何の力も持ってないし、弱いと思うの……でもね、決めた」 「……なにを……?」 「嫌なんだ。誰にでもあるはずの幸せを、一方的に踏みにじられてるのを見るのは。だから、――行ってくる」  にっこりと笑って、アリシアから視線を外し、傍らのルキフェルを見遣る。  ぬいぐるみであるはずなのに、驚きで目を丸くしているルキフェルに、くすりと小さな笑みをひとつ。途端にルキフェルがぎっと睨み付けてきた。 「何がおかしい」 「ううん、別に。それより、聞いてたでしょ?」 「う、うむ……聞いてはいたが……」 「お、おい待て!」  と、そこで引き止める声があった。  見れば驚きと困惑が入り混じってなんとも形容し難い表情でウェインが聖奈を見上げていた。 「〈魔王〉ってどういうことだ……? それに、あんたどこに行こうとして……?」  その言葉に、少しだけくすぐったい気持ちになる。  彼には間違いなく聖奈はただの人間に見えているかのような物言いだから。だから、うれしい。だから、少しだけ心強い気がして。 「私、よくわからないし、自覚なんてないし、自分のことをそう思ってるわけじゃないけど……〈魔王〉なんだって」 「〈魔王〉? お前が?」 「――行こう、ルキフェル! グズグズしてたら手遅れになっちゃう!」  聖奈はウェインに答える事なくルキフェルに呼びかけると、迷わず駆け出す。一秒半ほど遅れて、後方から近付いて来た力強い羽ばたき音が駆ける聖奈の真横に並んだ。  外から戻る、傷付いた魔族たちと擦れ違い、何事かという表情を向けられたが、構いはしない。 「行くとは……セナ、貴様まさか……っ!」 「降伏はしないよ。まあ、話し合いでどうにかなったら一番いいんだけどね」 「……それが無理に終わったらどうする?」 「……どうしようね?」 「なっ! 貴様、考えなしか!!」  がなるルキフェルを片手で制しながら、聖奈は真っ直ぐに前を見詰めていた。  次第に増えた事切れてしまったらしい魔族の姿や、床や壁を濡らす真っ赤な血で彩られ、飾られた道を真っ直ぐに駆け抜ける。 「でも、知らんぷりは出来ないもの。出来ることはしないと」 「…………」 「私は〈魔王〉なんかじゃない。少なくとも、期待されているようなことなんて出来ないって思う。でも、アリシアちゃんの切々な声を聞いちゃったから、必死に生きようとしている人達を見ちゃったから。ならもう、逃げ出したりなんか出来ないよ」 「……ふん。確かに、おおよそ〈魔王〉らしくはないな」 「あははっ」  鼻で笑うルキフェルに、軽快に笑って返す。  耳に届く金属を打ち合う音と、爆発音が近付く。それから相も変わらず漂う血臭。  ああ、私は何をしようとしているんだろう? 不意に、頭の中でやけに冷静な自分が囁いた。  だってそうじゃないか。突然動き出したぬいぐるみに押し飛ばされる形で、よく分からない場所に飛ばされて、とんでもなく可愛らしい女の子に出会って、その美少女に〈魔王〉だとか有り得ない呼び方をされて、挙げ句そこは魔族の隠れ里とかで人間たち――〈勇者〉とやらにまで襲撃を受けていて。  有り得ないことばかり起きている。非現実的で、何かの物語の中のような出来事ばかり起きている。  そして今、聖奈の足は襲撃してきた〈勇者〉の元へ、――戦いのど真ん中へ向かっていた。  そこで何が起きているのかが分からない訳じゃない。あれだけの人達が傷を負い、これまでの道で戻ろうと必死に歩いて力尽きたらしい死体を見てきた。血痕も、気がおかしくなるくらいみてきた。  あっちでは、元いた世界では考えられない事態だ。普段、生活している中で見る流血など指を切ったとか、転んだとか、その程度。ここまで酷い惨状などテレビだって流したりしない。  怖くないわけじゃ、ない。現状に、恐怖を抱いていないわけじゃない。あのトレジャーハンターを自称する青年が思うとおり、聖奈は人間のはずなのだから。しかもきっと彼よりも遥かに弱い人間なのだ。  ――それでも、やっぱりダメだ。 『俺さー、目の前で誰かに泣かれんの苦手なんだよな』  いつだったか、双子の兄がそんなことを言っていたことがある。  確か、それは双子の兄――理緒(りお)が喧嘩して帰って来た時のことだ。その日は聖奈は友人と出掛ける予定があって一緒には帰らなかったのだが、理緒は出かけて戻った聖奈よりも遅くに切れた唇の端を僅かに血を滲ませた姿で帰宅したのだ。  驚き慌てながらも何があったのかを聞けば、上級生らしい柄の悪い男子生徒複数人にカツアゲをされる弱気な男子生徒の姿を見て、思わず割って入ってしまったらしい。  理緒らしい行動だと思ったのが四割、なんて危ないことをと呆れと心配が入り交じった思いが六割。それらを包み隠すことなく問って返ってきた言葉がそれだった。 『泣かれるのが嫌って、女の子の涙とか言われるならまだしも、それ同性の涙にも適用されるもの?』 『されるもんなの。案外嫌だぜ? まあ、厳つい奴に泣かれたところでドン引きだけど』 『……でも、理緒が助けた男の子、お礼も言わずに一目散に逃げ出したんでしょう?』 『別に、そんなのはいいさ。お礼が欲しくてやったことじゃないからな。そいつが無事なら無事でいいし、俺もけろっとしてんだからお前もんな顔しなくていーんだよ、聖奈』  伸ばされた少しだけ大きな理緒の手がくしゃくしゃと聖奈の頭を撫でる。振り払うことなくされるがままでいると、理緒は微笑んで言葉を付け足した。 『けど聖奈。お前はこういう無茶はすんなよ? 女の子なんだからな。そういうのを見たら一も二もなく俺に話すこと』 『……私は兄さんみたいに正義感とかないから』 『そんなもんは俺もない。正義感とか意味わからん。けど多分、お前も俺と同じだろうって兄ちゃんの勘だ。だから、一人で突っ走んなよ? いいな?』  あの時は同じだなんてそんなはずないと思っていた。単に理緒が世話焼きなだけだ、と。だが、違った。理緒の言う通りだった。  誰かの涙は、心を突き動かすには十分で、損得勘定などどうでもよくなった。  残念ながら今は理緒に頼ることは出来ず、約束を違い、一人で突っ走ることになってしまっているけれど。  それでも、後悔はなかった。  やがて見えた外。天井と壁が崩れた、遺跡の入り口のすぐ近く。陽光はほとんどが鬱蒼(うっそう)と生い茂る木々に遮られたその場所に立ち回る、鎧を着込んだ兵士らしき者たちと薄地の古びた鎧を着込んだ魔族の男たちがいた。  戦況は明らかな劣勢。それでも兵士たちをギリギリのところで食い止めていた。それこそ、死に物狂いで。  生きたいという執念を感じた。死にたくないという切望を見て取れた。そしてその望みを否定し、奪う権利は誰にもありはしない。 「……――!」  ギッと前を見据える。投げ放たれたままだった片手剣を拾い上げ、聖奈は強く地面を蹴り続けた。  握り締める剣はずっしりとした重みがあったが、立ち止まらない。立ち止まれない。 「だああああっ!!」 「っ!?」  いま正に兵士によって振り上げられた剣と、次の瞬間には斬られるという魔族の間に、聖奈は割って入った。  奇声にも似た大声を張り上げながら、握り締めた重い剣を横に振るう。半ば振り回されるように不恰好に振るわれた片手剣は、兵士の剣を弾き飛ばした。それが可能だった理由は、突然やってきた聖奈に驚き、困惑していたからだろうことはもちろんわかった。  弾き飛ばした剣が、音を立てて落下する。聖奈はくるりと肩越しに魔族を振り返った。 「奥に逃げてください!」 「は……、なにいって……? てか、あんたは……?」 「いいから! 他の魔族の方々もです、逃げてください!」  人間と神族の兵士と魔族の鍔迫り合いは止まっていた。  みな、聖奈を凝視していたからだ。  視線の中央にルキフェルを伴い立つ聖奈は、真っ直ぐに正面に立つ兵士を見据える。 「……〈勇者〉さまって、どなたですか?」 「なに……?」  困惑した様子の兵士に構うことなく、聖奈は握り締めていた剣を手放してもう一度口を開いた。  がらん、と地面とぶつかって片手剣が音を鳴らした。 「来ているんですよね、〈勇者〉さま。話をしたいんです」 「ふざけたことを……! よく見れば貴様、人間じゃないか! 人間がなぜ魔族なんかを庇うんだ!」 「ふざけているつもりはありません。それに、貴方と話すことはありません。もう一度聞きます、〈勇者〉はどなたなんです? この場にいないというのなら、呼んでください」  怯む必要はない。目の前のこの男と話すことがないのは事実なのだ。それに、目的は〈勇者〉とやらと話すこと、ただそれだけ。  殺し合いをしたいわけでも、騙したいわけでもなく、やましい気持ちは一切ないのだから、何を臆する必要があるだろう。  兵士はたじろいでいるようだった。ぐっ、と押し黙り、だがすぐにハッとした様子で声を荒らげた。 「会わせられる訳がないだろう! 死にたくなければそこを退け!」 「退きません、〈勇者〉に会って話すまでは。じゃなきゃ、あの子がちゃんと泣き止んでくれないもの」 「何を訳のわからないことを……。同族に手をかける趣味はない! そこを退くんだ!」  なんだそれは。なんなんだ、その考え方は。あまりにも独善的ではないか。  兵士の言葉に、溜息がこぼれた。 「……同族は見逃すくせに、ただ純粋に生きたいと思い抵抗する魔族には手をかけるんですね」 「神族にでも感化されたか? 貴様、人間らしからぬ傲慢(ごうまん)っぷりだぞ」 「なっ……! ぬいぐるみが、自我を持ってるだと……!? まさか使い魔か! だとすれば貴様、魔族に魂を売ったな!?」  もはや、会話にもならない。  魔族が悪であり、滅ぼさねばならないものだという覆ることのない認識のせいかもしれないが、それにしたって己の頭の中で導き出した答えを正解として曲げないつもりなのは如何なものか。 「……此奴(こやつ)め、アホだな」 「主人の魔力を喰らわねば存在できん使い魔ごときが……」 「フン。吠えたくば吠えていろ。救いようのない愚かな者に言われても何も思わん」 「くっ、言わせておけば頭に乗って……!」  鼻で笑うルキフェルに、兵士の怒りが頂点に達したようだった。  目に見える程の怒りのままに、彼は右手を振り上げ―― 「何事だ!」  厳格な大声が、一帯に響き渡った。  途端にピタリと動きを止めた兵士。近付く二人分の足音に、ひょっこりと兵士の後方を覗き込むと、そこに彼はいた。 「遺跡の内部への突入はどうし……、」 「…………」  不自然に途切れた言葉は、聖奈と彼の目が合ったせいだ。  ライトブラウンをした眼と髪を持った男性を伴い、奥から向かってきた若い男性。がっちりと鎧を着込むこともない、金髪碧眼のその人。  見知らぬ人物のはずなのに、聖奈は直感的に理解していた。 「……貴方が、〈勇者〉さま?」  男性が瞠目(どうもく)する。だがそれ以上の感情の動きはなく、けれども代わりに首肯する。 「ああ、いかにも。私が〈勇者〉と呼ばれる人間だよ、――〈魔王〉のお嬢さん」
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