雪降る夜の誘拐電話

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 深夜、電話の着信音で目が覚めた。  遠くキッチンにある電話機が鳴っている。こんな時間になんだよと、手探りで眼鏡を探し出して枕元の時計を見るとまだ夜中の2時である。隣のベッドでは妻も目を覚ました気配だが起きようとしない。  なかなか鳴りやまない電話に閉口して俺は寝室を出た。こんな時間だ。ひょっとして身内に何かあったのだろうかとも考えた。足早に入ったダイニングキッチンで、FAX電話機の着信音がやたらと大きく響いている。ひときわ明るく光るディスプレイには「非通知」の表示。俺は舌打ちした。 「はい、もしもし」  勢いよく受話器を掴むと俺は不機嫌さを露わにして乱暴にそう言った。非通知の表示に出ようかどうかためらったものの、この傍若無人な鳴らしっぷりに腹が立ってもいた。 「メリークリスマス。俺はサンタクロースだ」 「あ?」 「いいか。さっきついでにお前の子供を誘拐した」 「なんだと」 「誘拐だっての。子供を返してほしかったら、いちおく円用意しろ」  それだけ言って電話は切れた。若い男の声だ。酔ったような声で、最後の方では電話主の背後で忍び笑いも聞こえた。あきらかにイタズラ電話だ。ふざけるな、と低く呻いて俺は乱暴に受話器を戻した。  冷気にぶるっと震える。暗いキッチンを見渡しながらぶつけどころの無い怒りを鎮める。キッチンには料理やワインの匂いが微かに残っていて、そうか昨晩はクリスマスパーティーだったなと思い出す。  サンタクロースが誘拐を企んだ。くだらない冗談のつもりか。タチの悪い悪戯だ。SNSに上げる動画でも撮っていたのかもしれない。  寝室に戻ると妻は同じ体勢で布団に顔を埋めている。イタズラ電話だ、と俺はその後ろ姿に電話の内容を忌々しく報告した。妻は少しだけ顔を上げてから「ヒマ人がいるのね」とあっさり返した。ああ全くだよ畜生、俺もさっさと寝ようと布団にくるまり目を閉じる。  しかし、しばらくしてから今度は「いや、でもな」と不安になった。 「ミオはどうしてる」 「2階の自分の部屋で寝てるわよ」 「本当に?」  俺はまた上体を起こして枕もとのスタンドライトを点けた。  ちょっともう、と妻がこちらを向いて眩しそうに眉間に皺を寄せる。 「あなた、最後酔っぱらってソファで寝ちゃったでしょ。ミオはすぐ自分の部屋に行って寝たわよ。どうせ悪戯なんだから」  まあそうなんだが……。分かってはいるが少し胸騒ぎがしている。夜中に突然起こされたせいか、微かに不安感が居座っている。 「お前、ミオが寝るところ確認したのか」 「え、何」 「だから、ちゃんと寝ているところは確認したのかって」  あなたどうしたの、と妻も肘をついて上体を起こす。 「中学生よ。そんなの確認なんかしないでしょ。心配し過ぎよ」 「しかしあんな電話が来て、お前もちょっとは心配にならないのか」  妻が口を尖らす。 「だってさっきまで一緒だったし」  妻は直接あの誘拐電話の声を聞いていないから呑気に寝ぼけていられるのだ。悪戯とは思っても、誘拐したなどと言われたらやはり気になる。 「ちょっと様子を見てくるから、お前も一緒に来てくれ」と俺は言った。 「もういい加減にして。ふたり揃って何してんのって怒られるだけだから」 「薄情だな。いいよ俺ひとりで行くよ」  ぶっきらぼうにそう言う。もちろんひとりで行くことはやぶさかではないのだが、最近俺はミオと接するのに少し気を遣っている。今年から中学校に上がってどんどん大人びていくミオに喜びつつも、男親である俺との関係が微妙に変化しているのを感じていた。そして娘と接するのに気を遣っている自分がとても悲しかったりもする。 「今頃ぐっすり寝てるから、邪魔しない方がいいわよ」 「分かってるよ」  布団から出てスリッパを履いた。その時ふと思った。そういえばミオの部屋には子機電話がある。一瞬さきほどの電話のコールで起きてしまったのではないかと焦ったが、すぐにミオの部屋に設置した子機は「内線専用」であることを思い出す。中学に入ってまだ携帯を与えられていないミオは本当は外線がかけられる電話を欲しがったが妻にもう少し我慢してと言われて諦めていたのだ。内線用だから着信音は鳴らない。 「ちょっと内線で呼んでみようか」  そう口に出したら即刻却下された。何時だと思ってるのよ、ただでさえ毎日剣道部の朝練で起きるの早いのに。とぶつくさ言う。 「私もお弁当作らなきゃいけないのよう」  妻がいよいよ布団にもぐって目を閉じた。朝早いの、もう寝かせてちょうだい。 「分かった分かった」と言いながら仕方なく立ち上がって寝室の扉を開ける。 「行ってくる」  頑張ってね、とよく分からない声援をつぶやいて妻は寝返りを打った。
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