16人が本棚に入れています
本棚に追加
足音をたてないようにゆっくりと階段を上がった。すぐ手前がミオの部屋である。頭の中でイメージする。ぐっすり眠っていたらそっと寝顔に「おやすみ」と言って扉を閉めよう。幸せに包まれながら。だがもしミオの奴が夜更かししてまだ起きていたらどうしよう。夜中遅くに娘の部屋を覗きに来て、お父さん何してんのって言われたら俺なんて答えたらいいのだろうか。
そんなことを考えながら2階に上がると、ミオの部屋のドアが半開きになっている。え? と鼓動が大きくなって俺は思わず声を上げてしまった。
開いているドアの隙間は薄暗い。まさかと思って近づいて覗き込む。空になったベッドの布団がめくれている。ミオの姿がない。
部屋のどこにもミオはいなかった。心臓が締め付けられるような緊張が走って俺は廊下に出た。まさか本当に――。その時階下で低い物音がした。ミオか、と急いで階段を降りる。
廊下に漏れる黄色い照明と水を流す音。トイレからミオが出て来たのを見て、俺は心底ほっとした。もう、びっくりさせるなよ。
ロングの黒髪をぼさぼさにしたミオは、俺の顔をまじまじと見つめる。お父さんどうしたの? と言って目を丸くした。肩の力が抜けた。
「良かった、無事で」
「なんのこと?」
「いや何でもない、ちょっと嫌な夢を見てた」
「変なの」
ミオは眉を下げて笑い、自分の上半身を抱くように両手でさすってから、おもむろに傍に立てかけてあった竹刀を掴む。
「お前こそどうしたんだ、それ」
うんと頷いてミオが説明する。ついさっきベッドで眠っていたら部屋で何か物音がして目が覚めた。気のせいかと思ったが、閉めたはずのドアが少し開いている。これはサンタか泥棒のどちらかだと思って、手近の竹刀袋から1本引っ張り出して階下に降りて来たが誰もいない。忍び足で竹刀を構えながら廊下を行ったり来たりした後、結局何事もなくて拍子抜けした。ついでなのでそのままトイレに入ったのだという。さすが妻の娘だと思った。男勝りで怖いもの知らずなのだ。
「きっと気のせいだよ。ゆっくりおやすみなさい」
「うん、お父さんもね」
ミオは軽くあくびをして、竹刀を抱えて2階へ上がる。
俺は寝室に戻りながら、少し温かい気持ちになっていた。ささやかな会話だがこうしてミオと夜中に喋れたことが嬉しくて、まあイタズラ電話の野郎も許してやろうかと思った。
「ちゃんといたでしょ」
ベッドに戻って腰を下ろすと、妻は俺をちらりと見てそう言った。まあな、とわざと不機嫌そうに返してやった。でも良かった良かったと、手を伸ばしてスタンドライトを消した途端、
わああああ
というミオの悲鳴が遠く聞こえて来て、俺は驚いてベッドのへりから滑り落ち床に尻もちをついた。一体何事だとあわててドアへ向かう。妻も跳ね起きていた。
ふたりでバタバタと階段へ行き、競うようにして駆け上がった。
ミオの部屋に飛び込むと、眩しい明かりのついた部屋の真ん中でパジャマ姿のミオが興奮したようにはしゃいでいて、俺の顔を見るなり「もうびっくりしたあ」と言ってベッドの枕元を指さした。
「これ、お父さんでしょ」
よく見るとミオの目は笑っている。「でも嬉しーい。ありがとう」
俺は心臓が破裂するような緊張の中でそれを見て大いに驚いたものの、なんだか力がすっと抜けてよろけそうになった。隣で妻が「あら」と妙に明るい声を出す。
枕元に置いてあるミオの子機電話に、まるで寄り添うようにしてキッチンに置いてあったはずの白い親機のFAX電話が並んでいた。抜けたコードを引きずって、こいつここまで来たのかと妙に納得してそして笑いがこみあげた。
「そっかサンタさんのプレゼントってことね。嬉しい」
キラキラした声でそう言ってはしゃぐ娘の肩を久しぶりに抱いてあげながら、俺は隣の妻と照れたように顔を見合わせた。
そしてお互いの表情を窺いながら思わず苦笑いをしたのだった。
(了)
最初のコメントを投稿しよう!