第五章12

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第五章12

 朱鷺世は観覧の間のざわつきが止まないな、と舞台の立ち位置に移動しながら思った。  朱鷺世が舞台に進み出たところから、朱鷺世の舞は始まっている。  皆がまだ朱鷺世に注目できていないが、朱鷺世は気にしないようにと自分の気持ちに言い聞かせた。  皆の耳目、いや心を奪ってやる。これから始まる俺の舞で。  朱鷺世はすっと両手を横から頭上に上げた。  ドンッ!と鼉太鼓が打ち鳴らされると同時に手は大きく弧を描いて下におろされて再び上へと上げられた。そこから、手の動きを使った舞が始まる。  斜め前に伸ばした手から足まで体の線が一直線になって体の形が美しい。トンっと前に飛び出して手は逆回転させる。  体が柔らかくしなやかに動く朱鷺世は、手足を遠くに遠くに伸ばすので、動きが大きく迫力がある。まさしく昨年の朱鷺世の良さにより磨きをかけて見せる。  そして、これまでに多くの舞人たちによって作られてきた舞の型を忠実に舞った。  昨年の朱鷺世は、まだ型を舞うのに甘いところがあった。実津瀬と並んで舞うとなったら、この舞の型を正しく美しく舞わなければならない。だから、厳しい指導が何度もあった。そのたびに朱鷺世の体は傷ついた。  今は実津瀬と並んでも見劣りすることなく、同じ程度の高い技術を持っている。  右へ、左へと伸ばす手は体の回転しながら動きを変えていき、実津瀬の舞とは違って見えた。  音楽は実津瀬が舞ったものと同じなのに、見せられるものは全く違うものだから、音楽も違ったもののように感じる。  観客たちは、固唾を飲んで朱鷺世の姿を目で追った。  背中を逸らせて胸は天を、月を見上げた。観客が後ろに倒れてしまう!と思ったところで、朱鷺世は体を前に戻して、逆に広げた右足の上の体を倒して、また上体をあげた。  音楽に合わせて小気味よく、舞の型を次々と繰り出す。両手を上げてから、右腿を上げて一本足で立つ。そこから手の動きを加えていく。手が上から下に、そしてその逆を辿り、その途中で前に出し、手首の柔らかさて、手の平と甲を交互に見せる。その間も、朱鷺世の一本足で立っている体は揺れることなく、どっしりと立っている。 舞っている間の朱鷺世は、自分の舞に集中できた。  先に舞った岩城実津瀬の舞を後ろから見ていた時、確かに自分の舞う舞とは全く違っていて、その舞に驚き、瞬きもせず魅入った。  しかし、実津瀬が下がり、自分が舞台の前に進み出た時には、実津瀬の舞は頭の中から消えた。終わった余韻に浸る観客たちに、これから自分の舞を見せて、自分と同じようにあの男の舞を頭の中から追い出してやると思った。  約半年あまりの厳しい練習の日々。我慢、忍耐ばかりだった。そんな日々が今、報われるのだ。  人に言われたことを真似するだけの自分の舞を麻奈見と淡路が苦心して良いところを引き出してくれた。  そのよい部分を、全てを出し切らなくては。  しかし……我慢、忍耐といった日々全てが、辛かったわけではない。  朱鷺世の心に灯る明るい灯。それは、露だ。  露が自分の殺伐とした心を癒してくれた。  露の柔らかな体、甘い匂い、朱鷺世を心配する言葉。  露にこの舞を見せてやりたかった。  朱鷺世は観ている人の心に残る舞をしようと、丁寧に舞った。  その舞を観た人が観ていない人に思わず話して聞かせたくなるほどのものを舞いたい。そうすれば、露に見せることはできなかったが、人から俺の舞のことをきけるかもしれない。それを聞いて、想像してほしい。雅楽寮の朱鷺世の舞を。  両手を横に大きく広げて前後に揺するような動きは、鶴の羽ばたきを真似た動きだ。  実津瀬も舞の最初に取り入れたものを朱鷺世は最後の方に持って来た。体の柔らかさを存分に活かしてしなやかで美しい舞だ。そこから、細かな動きで横に前にと移動しながら、大きな手の動きを加えていく。  舞の最後は、笙のゆったりとした旋律に合わせて手を動かしていたが、琵琶や太鼓が加わって音楽は速くなって、それに合わせた歩武と手の動きで見せた。それに体のひねりの効いた動きが加わって舞を大きく大胆にみせた。  これは麻奈見、淡路のお墨付きをもらった部分である。右に左に動いた後くるっと回ってと、音とずれることなく実津瀬に引けを取らない同時性を見せた。  朱鷺世は、息の弾むのを抑えて足さばき、手の動き、そして音楽に集中し、最後は鼉太鼓の振動を全身に受けてぱたりと片膝をついて跪き、舞を終わらせた。  観客たちは鼉太鼓の音の衝撃と共に舞に圧倒された。  そこに高らかに拍手の音がした。  桂である。周りの者たちも追うように拍手をした。  しかし、その余韻に浸ることは許されず、舞台は最後の局面になる。  再び二人舞に戻る。  朱鷺世は立ち上がり、後ろに控えていた実津瀬は前に進み出て朱鷺世の隣に立った。  笙がゆっくりと粘りのある音色を鳴らす。  実津瀬と朱鷺世は正面を向いて、下ろしていた両手を左右に広げて留め、音楽に合わせて右手だけを上げた。頭の上まで上げると、次は左手を上げていく。左足を出して腰を落として、上げた手を前に後ろに回していく。  激しく舞った朱鷺世の息が整うのを待ってから、音楽は次第に速くなっていく。それに二人はぴったりと合わせる。隣に立つ者と音楽を奏でる者たちと、ただ、お互いの呼吸を感じ取る。指先までの小さな動きを感じ取る。  舞は前に後ろにと舞台に立つ位置を変えていく。二人の位置が次々に変わっていく中、右に左に旋回しながら手の動きが加わった。  篝火の火が爆ぜて、炎が上がる。二人の舞手の心が表れたようだった。  最後の一押しとばかりに音楽は速くなり、二人の舞は乱れることなく加速していく。  桂が用意した赤い上着は回転すると、裾が広がって舞の一部として華やかさが加わった。  二人は息が上がるのを隠して、最後の舞へと入った。  これで最後である。  二人は自分の体が表現する動きに全霊を注いだ。全ての動きを見ている人に見せつけたい。その目に焼き付けたい。  まともに口をきいたことがない二人であるが、二人で舞っている時は語らずとも同じ気持ちであった。この舞を成功させる。勝った、負けたではなく、よいものを見たと人々の記憶に残るものを作るとこと。  終わりを告げる鼉太鼓が鳴らされた。  どーんという音と共に、回転した二人は前を向いたらぴたりと止まった。  観覧の間には多くの人が欄干に手を置いて見ていたが、本当に舞が終わった時には、ことりとも音を立てる者はいなかった。  息を呑んで舞台の上の舞い終わった二人を見ていた。  そこで、拍手が起こった。  皆、誰が拍手をしているのか、と音の方を向いた。  観覧の間、正面で大王が手を叩かれていた。  それを見て、習うように皆が一斉に手を叩き始めた。  割れんばかりの拍手が二人の耳に響いて、痛いほどだった。  二人はお互いに、誰にも気づかれないように息をついた。  舞い切った、という安堵が広がった。
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