1.どうして出戻った?

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1.どうして出戻った?

『――……さよなら』  万感の想いを込めて、大切な者の名を心の中で呼ぶ。  床に描かれた銀色の輪の中に身を進めた。帰還術を生業とする魔術師の詠唱が部屋に満ちて、足元から白銀の光に包まれる。たくさんの思い出も、胸の中の想いも皆、元の世界に持っていく。ここには何も残さない。元々、自分に残せるようなものは何もないのだから。  体を銀の渦が取り巻き、周りの全てが見えなくなる。ほんの一瞬、自分の名が呼ばれたような気がしたけれど、あっという間に何もかもが光の中に飲み込まれた。  そして──。俺は元の世界に戻ったのだ。  ☆☆☆ 「貴紗(きさ)! この、大馬鹿野郎!」  それが、目を覚ました俺が一番先に聞いた言葉だ。俺が瞬きしているのを発見したのは、幼馴染の和也(かずや)だった。彼は即座にナースコールをして、男泣きに泣いた。大げさだなあと言おうとして初めて、俺は自分の体がたくさんの管に繋がれていることに気が付いた。 『大通りに迷い出た子猫が轢かれそうなのを見て、助けに飛び出した大学生』  この半年、俺はそう言われていたらしい。    大学四年で県の教員採用試験を受け終わった俺は、和也と夕食を一緒に食べる約束をしていた。確かに、待ち合わせた店の前の通りで茶トラの子猫を見た。でも、話がちょっと違う。俺は飛び出してなんかいない。通りを渡ろうとしたら、大きな地震があったんだ。びっくりするような揺れで、走ってきたトラックも揺れて、道路にいた猫がじっと俺を見ていた……。  あの後俺は、トラックに跳ねられたのか?  脳に損傷を受け、目覚める確率すら低いと判断されて専門病院に半年間入院していたらしい。回復が見込めないと言われていた俺を、家族と幼馴染は見捨てなかった。  半年ぶりに目覚めたものの、足の筋肉がすっかり衰えていて、リハビリしなきゃ使いものにならない。徐々に体調を戻した俺は、リハビリ中心の病院に転院した。二十代の若さの為か、思ったよりも体は早く回復し、二か月後に退院することが出来た。  家族にはとても話すことが出来なかったが、俺は半年間、ただ眠り続けていたわけではない。あの世……ではなく、全く違う異世界にいたのだ。
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