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なるほど、そのとおりである。富豪の娘が親の目の届かない場所――それも、舞游が云うところの〈吹雪の山荘〉に行くなんてことが許可されたのも、有寨さんの力によるものなのだろう。そこから彼がただの元家庭教師という枠に収まらないとは分かる。
「ですが有寨先生の捉え方として、それでも両親のそれは過小評価ですわ。私、その事実にほとほとうんざりしますの。そもそも有寨先生を俗人が下らぬ物差しで測ろうという行為自体、甚だ傲慢ではなくて? 有寨先生はあのとおり自分の能力をひけらかすような品のない真似はしない人ですから、その驕りを正すことも為さらないのですが、それが私には歯痒くて仕方ありません」
淡々と語る杏味ちゃんだが、僕は少し怖れを抱き始めていた。単なる尊敬と形容するには、彼女の様子はいささか異なる。まるで信者のような有様ではないか……。
その時、杏味ちゃんが一冊の本を手に取った。探していたものが見つかったようだ。彼女はその表紙を僕に向けて示した。
『ナグ・ハマディ写本』と、そう銘打たれている。聞いたこともない題名だ。
「グノーシス主義というものをご存知ですか」
「いや、知らないな」
杏味ちゃんはさして残念そうでもなく、視線を本に落とすとページをパラパラとめくった。
「唯物的なこの世界、さらにはそれを創造した神を悪と見なし、排撃する考え方を主として据えています」
「反宗教的な思想ということ?」
「いえ、グノーシス主義が宗教のいち形態ですのよ。主だったものはキリスト教を基にしていたり、そうではなくてグノーシス主義こそがキリスト教の基盤となったのだと主張されたりもしています。ですが造物神を蔑視するグノーシス主義を、キリスト教は異端思想として排斥しましたの」
「……でも神を否定するのに、宗教として成り立つの?」
突然キリスト教だのグノーシス主義だのと云われたところで僕は困るだけなのだが、黙っているのもまずいのでそう問うてみた。
「キリスト教正統派の教えでは、この世界を創造したのは旧約聖書の神です。グノーシス主義はこの神を否定しているに過ぎませんわ。彼らの信奉の対象は造物神とは別の、この世界の外、またはその上位世界であるプレーローマ、そしてそこにいる至高神なんですの」
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