一年前

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一年前

 新田は例の場所に行き、手を合わせる。  「美緒、お前もここで見てたろ? 奏介と久しぶりに会ったの。あいつ前を向いているって言ってたけどさ、どこか前を向けてなさそうなんだよ。俺が何としてもあいつをあの日から解放させてやりたい。何か俺にできることはないかな。」  新田はまるで誰かいるように話しかける。  「店長昨日どうしたの? 家に一旦帰るって言ったきり帰ってこなかったじゃない?」  「すいません、ちょっと色々ありまして。」  「もしかして彼女ーー?」  「いやいやそんなんじゃないですよ」  誠は昨日家にスマホを忘れて家に取りに行った。黒丸と会い、結局店に戻る気力がなくなり初めて仕事をサボってしまった。幸い同僚が地元のおばちゃんだったので怒られずに済んだ。  品出しをしているとポテトチップスが目に入る。そういえば里穂は妊娠中だった。昨日力いっぱい吹っ飛ばしてしまったが、大丈夫だったのだろうか。次会ったら謝らなくては。  「触らないで! なんなのよ……あなた」  里穂の言葉を思い出す。どうやら謝れる状況じゃなさそうだ。  誠は少し後悔をしながら仕事を再開する。  黒丸は昨日から二十年前のことを思い出す。妻の里穂とはあれ以降会話をしていない。しかしそのことにもまだ気づかずに黒丸は過去に思いを巡らしていた。  自分は誠の姉を殺したのだ。そんな自分を誠が……  黒丸は自分の欲望を押し殺し我に帰った。  里穂は黒丸の両親と出掛けることにした。隣町にある両親が営む田んぼに。里穂は前から黒丸の両親の働いている職場を見たがっていた。しかし今は黒丸と同じ空間にいたくなかったのが行きたい理由になっていた。  里穂は車に揺られながら黒丸の過去について考えていた。  黒丸の母が言うには誠の姉は自殺した。  誠が言うには誠の姉は黒丸に殺された。  そして黒丸の否定せずただ下を向く姿。  黒丸と誠の姉に何かあったのだろう。  自分のスマホで村の名前と自殺を検索ワードに入れて検索してみた。  一つの自殺記録が載っていた。  青原美緒と千川高貴。当時中学二年生。二人は当時建設中の大型ショッピングモールの屋上に侵入し屋上から飛び降り自殺。第一発見者は青原誠。青原美緒の実弟。現場の状況から見て青原と千川は二人で自殺を図ったと見られる。この事故を受け大型ショッピングモールの建設は中止。  黒丸奏介の名前が載っていなかった。しかし第一発見者として誠の名前が記載されていた。誠は一体現場で何を見たのだろうか。  「あのー青原さんのお姉さんって……」  「自殺した子?」  里穂は黒丸の母に探りを入れたらあっけなく返ってきた。  「奏介と同じクラスだったのよ。仲も良くてね、弟の誠くんと一度サッカーもしたことがあるのよ。」  「へぇーそうなんですか」  昨日の様子から見て仲が良さそうには見えなかった。  「確かもう一人一緒にサッカーした子いなかったっけ?」  黒丸の母は思い出したかのように運転中の黒丸の父に話しかける。  「あー新田悠くんだろ。」  「そうそう悠くん!」  里穂は新田悠の名前を検索ワードにいれ再度検索する。前では黒丸の両親が昔話に花を咲かせてる。どうやら里穂が会話から離脱したことに気がついていないようだ。  カタカナでアラタユウ。検索結果に里穂は驚いた。  新田悠 覚醒剤使用の罪で書類送検。  十七年前の記事であった。当時18歳の新田は高校在学中にクラスの友達と覚醒剤を乱用したと記載されていた。しかし新田は自首してきたらしい。薬物からの呪いを断とうとしたのだろうか。 新田の自首でクラスの友達も逮捕。全員高校を退学処分となった。クラスの友達の名前も顔写真付きで記載されていた。  自分の夫の過去の人物の悲惨な末路を見て里穂は黒丸への恐怖心が強まった。  自分の知っている黒丸ではない。黒丸は表情は顔に出さないが、弁護士という自分の責任をしっかりと理解している、犯罪とは遠く離れた人間であった。しかし黒丸の過去の周りの者は犯罪や自殺、そういった悪い塊を抱えていた。  誠の言葉が蘇る。  「お前があの時姉さんを殺した。」  自分の知る黒丸よりも誠の言う黒丸の方が正しいのかもしれない。黒丸への不信感は高まっていく。  前で話している黒丸の両親の会話が里穂の沈黙に響いた。  黒丸は実家で留守番をしていた。里穂の自分とは一緒にいたくないという気持ちは言葉を交わさずとも理解していた。それに外に出ると誠や新田に会うかもしれない。黒丸は無意識に誠と新田、そして里穂から逃げていた。  少しでも現実逃避をしようと点けていたテレビもなんにも話が入ってこない。ただテレビという板を見つめていた。  そんな時実家の玄関を叩く音が聴こえた。宅配便かと思ったが、もしかしたら新田や誠かもしれない。新田と誠への恐怖心が黒丸を支配していた。  そしてその恐怖のアンテナは正確だった。  ドアを開けると新田が立っていた。  「よっ、また会えたな」  黒丸は緊張感を表情に出してしまった。  「なんの用だ?」  新田が何を目的として自分の家に来たのか、黒丸は思考を巡らせる。  「別に用とかはないんだけどさ、ちょっとお前と話したくて」  黒丸はこの誘いに乗るのが嫌であった。しかし誘いに乗るしかなかった。新田に対する罪悪感が残っていたからだ。  二十年前美緒が死んだ時新田とは関わらなくなった。というのも黒丸が一方的に新田との間に壁を作ったのだ。新田もそれを察して黒丸に近づこうとはしなかった。  黒丸は二十年ぶりに自分に歩み寄ろうとする新田の姿を見て、自分も新田に歩み寄らなければと思ってしまった。    新田は黙々と進み続ける。黒丸は置いてかれないよう新田の後ろをついていく。そして誠に殴られた分かれ道に着き、歩みを止めず進む方向を見て黒丸は行くところに見当がついた。  今自分たちは事件の起きたショッピングモールの屋上に向かっている。  黒丸は不思議と落ち着いていた。  向かっている間、新田は黒丸を振り替えず、語りかけず、ただ進むことに徹していた。  二十年前と同じように階段を登る。二十年前は作業員が休みの日曜日を狙ってここに侵入していた。昔の階段と今の階段を見て状態が錆びていてるのを確認する。変化していないと思っていた場所はしっかりと歳をとっていた。  二十年前は作業員が本当にいないか怯えながら慣れない手つきで階段を登っていた新田だったが、黒丸から見て新田は慣れた手つきで、まるで自分の家かのように軽快に登って行った。新田はこの場所に何度も訪れていたようだ。  一風変わっていない屋上についた。空は暗く曇っていていつ雨が降ってもおかしくないような天気だった。風が強く吹き荒れる。  「お前さ、なんで弁護士になんてなってたの?」  新田は静寂を破り黒丸に問いかける。  「別に理由なんてないさ。ただ勉強していけるところいって上に上がっていっただけ」  「よく弁護士が主人公のドラマとかだと、人々に優しく寄り添うためになったって主人公とか言うじゃん。お前そういうのはないの?」  「別にない。」  「ふーん、現実見てんな」  新田は嫌味にもただの感想にも聞こえる言葉を言った。  「逆にお前はこの二十年何をしてきたんだ。」  黒丸は新田にずっと聞きたかったことを聞く。新田はしばらく黙った後答える。  「……なんだろ。強いて言うなら悪いことかな」  まるで中学生のヤンキーみたいなことを言われ、黒丸は思わず鼻で笑ってしまった。  「なんだよそれ」  「未成年なのに飲酒やタバコ、クスリもやった」  クスリという言葉を聞いて黒丸は新田を見る。  「一回逮捕されてさ、そっからクスリは辞めようって思ってたんだけど抜けきれねーもんだな」  新田はそう言い、上着の袖を捲った。露わになった右腕は青く腫れていた。  「今は一週間に一回。どうしても我慢できない時はタバコで紛らわせてる。」  黒丸は無言で見つめる。昨日の新田の話していることが急に一変したのはクスリのせいだろうかと思いを巡らす。  「そんなことよりお前本当に二十年前のこと引きずってねーのか?」  「なんだよ、前も言ったろ。もう前を向いてるって。」  面倒くさそうに黒丸は答える。黒丸は過去のことから目を背けたいのだ。過去から逃げたい。  「俺にはそうは見えない。」  新田は呟くようにしゃべる。黒丸からしたら自分のことなのになぜ新田が決めるのか疑問であり、また怒りを覚える。  「お前は過去のことを無かったことにしたいんだ。違うか?」  「ああそうだよ!過去を忘れるために勉強して働いて! それの何がいけない!」  黒丸は珍しく感情的になる。  「お前は逃げたいと頭の中で思ってても、結局は過去が忘れられず、いつまで経っても後悔している、反省している!」  「ああそうだよ! 俺はいつまでもあの事件を後悔している! 忘れたくても忘れられないんだ!」  「忘れたいのに忘れられない? ……違うだろ」  鼻で笑いながら、呆れながら新田は答える。  「忘れたいんだったらそもそもこの前ここに来てはいなかったんだ」  新田の言う通り黒丸は無意識にこの屋上に行ってしまった。そして新田と再会することになる。  「……お前はさ、なんのためにここに来たか分かるか?」  黒丸も薄々自分で気づいていた。何を求めてあの日屋上に来たのか。  「死にたいんだろ」  黒丸はそっと新田を見上げる。新田は満足げにこっちを見ていた。  「二十年前美緒がここで飛び降りたように、自分もここで死にたかった。そうなんだろ?」  黒丸は黙っている。  「明日ここに来いよ。俺がお前を殺してやるよ。ここでな。」  黒丸は無意識に頷いた。ずっとこれを待ち望んでいたのだ。この二十年間ずっと死ぬことを。  「明日の朝ここに来い。俺は待ってる。」  そう言い残し新田は去って行った。  嵐が通ったかのような時間だった。嵐のように黒丸は心を掻き乱され、止んだかのように眩しい光が現れる。  この光を黒丸は待っていた。二十年自分の気持ちに雲を覆わせ、そして今新田が雲をかき払ってくれた。  「俺は明日解放される。」  黒丸はしばらく立ち尽くしていた。
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