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二十一年前
木曜日。雨が勢いよく降り続けている。たまに雷が落ちるほどの荒れようである。
あの日から木村は学校に来ていない。当分来ないことは中学生ながらクラス全員理解していた。代理として学年主任の健彦先生が担任をしてくれることになった。
千川も学校に来ていない。千川が去った後、健彦先生がクラスに来てクラス全体を激しく怒った。
「お前たちの授業態度が悪い」
しかし実際授業態度が一番悪いのは千川であった。千川のいないクラスに激しい怒りをぶつける健彦先生に理不尽さを黒丸は感じた。健彦先生も担任を早退させるようなクラスに学年主任として注意せざるを得ない立場であることは分かる。しかし主犯の千川がいない以上怒っても無駄だろう。
だが、あの日以来美緒も来ていなかった。美緒も保健室に行ったきりクラスに戻ることはなかった。
美緒をグループに入れてくれていた女子グループはまるで初めから美緒がいなかったかのように日常的に過ごしていた。いや、初めから美緒はいなかった。
美緒は女子グループと壁がまだあり、その壁を溶かすまでの時間をまだ過ごしていなかったのだ。
黒丸と新田は保健室から戻らない美緒を心配していた。そして学校に来ない美緒にも心配していた。
その日は前と同じように黒丸と新田は陸上部の練習に出た。大会も近いので先輩たちは気合がいつもより入っていた。大会は来週の土日。黒丸と新田は練習について行くのがやっとだった。
練習終わり、黒丸は部室で着替えていると、新田が話しかけてきた。
「今週の土曜日練習午前までじゃんか。美緒の家に行こうぜ。見舞いしに行こう」
「いいけどお前家知ってんのか?」
「ここの村小さいだろ、クラス全員の家は把握しちまった」
自慢げに語る新田に冷たい視線を送る。黒丸はもちろんクラス全員の家など知らない。新田の方がおかしい。
しかし黒丸自信も美緒のことが心配だった。美緒は千川にいじめられていても決して学校を休まなかった。休まずにいられたのは美緒の心が強いからだと思っていた。
「分かった。土曜の練習終わりな」
部室の外はまだ雨が降り続けている。
土曜日。黒丸と新田は学校に来て陸上部の練習に参加する。参加するといっても三年生中心の練習メニューだった。走るとしたらリレーの練習だけであった。しかし不満ではなかった。三年生の気合の入れ様を見て一つの節目が来ようとしているのを実感する。また、来年は自分達がここまで頑張らなければならないことに危機感を持ち出していた。
練習終わりはさほど汗をかいていなく、一応の水分補給と着替えを済ませたら、黒丸と新田は部活を後にした。
新田の言われるがままに黒丸は道をついて行った。誠と遊んだ公園を横目に道を進んでいく。
新田が立ち止まるとそこには裕福ではなさそうな、少し貧しそうな家があった。
「ここか?」
「ああ」
新田は息を飲み込む。何気に女子の家など行ったことがなかった。躊躇いながらも勇気を出して家のインターフォンを鳴らす。
美緒の親が出てきたらなんて説明をしよう。美緒が心配でお見舞いに来ました。これが無難なのではと言葉を決めた。
幸い出てきたのは美緒だった。美緒は誠と遊んだ時と比べると動きやすさを重視したような軽めの服を着ていた。おしゃれではなかった。
「どうしたの、二人とも」
「いや美緒が学校に来なくて心配でさ」
「なんかあったのか?」
美緒は下を向きながら問いの返事をせず、しばらく黙った。
「場所変えない?」
美緒は黙った後場所を移すことを提案した。家族に聞かれたらまずいことがあるのか、黒丸は思考を巡らす。
「じゃあ前行った公園に行こう」
新田の提案に美緒は頷く。
道を突き進む新田の隣を維持するように黒丸は歩く。そんな二人に美緒はついて行く。その間三人は無言だった。黒丸と新田は気まずさを感じていた。
公園に着くと前座っていたベンチに美緒は颯爽と座った。二人分のベンチだったので黒丸と新田は立つことにした。
「結局何かあったの?」
黒丸は美緒に問う。美緒は言いづらそうに木曜日に起きたことを語る。
健彦先生から美緒が早退した理由を大まかに説明されて、美緒の親はしばらく美緒を学校に行かせないことにした。なので美緒は何もせず家にいる時間に耐えかね、美緒の親に外に出させて欲しいと言う。学校に行かせたくない親は外に無闇に出ないことと引き換えに、誠のサッカー部の迎えを美緒に頼むことにした。
美緒は水曜日に誠の迎えをしに行った。誠は姉が来たことにサッカー部の仲間に茶化され、恥ずかしそうに照れていた。そんな誠をまだまだ子供だなと微笑ましく感じた。
木曜日。美緒は誠に今日も雨が降ることを告げ、誠は傘を持って行くことにした。
そして自分は学校に行かず、やることもないのでだいぶ先の期末テストの勉強を行うことにした。
勉強に飽きた美緒は誠の練習時間表を確認する。誠の練習終了予定は午後六時。雨が降っているので充分暗くなる時間帯だった。
美緒は勉強を終わらせ、午後六時まで小説を読んだりテレビを見たりして退屈を凌ぐ。痺れを切らし午後五時半に誠を迎えに小学校に向かった。
学校まで歩く時間を考慮すると妥当な時間だった。
よくある青色の傘を差し小学校に向かう。予定の十五分前に着いてしまった。また暇な時間を過ごしていると、ミーティングも終わった誠が帰ってきた。
誠と二人で夜道を歩く。誠が朝持っていった黒色の傘と美緒の青色の傘が景色を一層暗くする。
公園を通りかかった時、街灯に照らされている影が見えた。その影が美緒に話しかける。
「おい」
この声は千川の声だった。
「待てよ、少し話そうぜ。」
千川がこっちに向かって歩き出す。次第に千川の姿が見えるようになる。千川は包丁らしき刃物を握っていた。
「誠! 行くよ!」
刃物を確認した美緒は誠の手を握って懸命に走り出した。傘を持った状態で走るのは辛かったが、自分が傘を持ってることに気が付かなかった。
千川は追ってくる。千川の速さだったらすぐに追いつかれるだろう。
「誠! 家に帰ってて!」
美緒は誠に指示を出す。追いつかれることを予期した美緒は、誠を巻き込みたくないので家に帰らせようとした。
「私に何か用?」
美緒は逃げずに堂々と立ち止まる。しかし千川は走るのを止めなかった。
千川は誠に向かって走っていった。美緒を追い越し誠を追いかける。
その時美緒は初めて自分が目的じゃないことを理解した。遅かった。
誠は恐怖から足を躓かせ、転んでしまった。うつ伏せになって倒れる。千川は誠の足を掴んだ。
「やめて! やめて!」
走りながら叫ぶ美緒の声など千川は聞いていなかった。
千川は刃物を誠の足に高く振り上げ刺す。
「うわぁぁぁぁぁぁぁ!」
うめき声が聞こえる。千川は一回指してから刃物と一緒に逃げていった。
雨のせいで血が激しく流れる。美緒は誠の元に駆け寄り、救急車に連絡する。
「あの! 今柳沢公園にいるんですけど! 弟が包丁で足を刺されて! 至急救急車を呼んでください! 早く!」
勢いよく電話を切って足を手で塞ぐ。誠の意識はもうなかった。
「誠! 誠!」
美緒の叫びすらも雨が邪魔する。
青と黒の傘が道路に投げ捨てられていた。
病院に運ばれて手術をした誠は命に別状はなく、意識が戻るまで入院することになった。両親も病院に来た。医者が言うにはしばらくはリハビリをするため通院してもらうらしい。また、傷は一生残ってしまう。しばらくの間は足を無理させないでとのことだった。
警察が来て美緒に話を聞くことにした。美緒は千川の名前を出すことにした。しかし警察が千川を捕まえたところで、千川はまだ十四歳。少年法がまだ守ってくれる。大きな罪にはならないだろう。
金曜日。雨は一向に止む気配を見せない。昼頃に誠が目を覚ました。両親が涙を浮かべながら誠の手を握る。
「よかった。よかったねぇ、誠!」
「俺なんかあったのか?」
誠は記憶が曖昧であった。
家族全員で感動の雰囲気に包まれている中、警察が誠に事情聴取をしに病室に入ってきた。
誠は曖昧な記憶で昨夜あったことを警察に話した。その後誠は医者に色々と説明され、リハビリに向かった。
美緒は誠のリハビリに付き添うことにした。
上手く足を動かせない誠を見て自分の胸を苦しめる。動かす度痛みを感じているようだった。この様子では誠は小学生最後のサッカーの試合に出られないだろう。
美緒は誠の苦しそうな姿を見て自分を責める。
自分がいなければこんなことにはならなかった。
自分があの時千川を止めていたら。
自分があの時あの道を通らなければ。
自分が誠を守れていたら。
リハビリが終わり、美緒は家に帰った。布団の上に寝ると、疲れが一気に込み上げ、昨日から一睡もしていないことに気がつく。美緒はそのまま着替えずに寝てしまった。
土曜日。朝目覚めて、入れなかったお風呂に入り、髪を整え、朝ごはんを食べる。向かいには松葉杖を横に従えている誠の姿があった。
その姿を見て思った。
千川がいなかったら。
一通り話し終えた美緒はどこかスッキリしていた。新田と黒丸は言葉が出なかった。美緒になんて声をかけたらいいのか分からなかった。
「やだな二人とも、私は元気だよ」
それが空元気だと言うことも分かる。
まさか千川が誠を狙ってくるとは思わなかった。
「これからどうするの?」
「どうするって?」
「何をする気なの?」
黒丸は美緒がまだ告げていないことがあるに勘づいていた。
「明日千川と会う」
躊躇いながらも美緒は正直に話した。
「千川と会うって、千川の居場所が分かるのか?」
「なんとなく分かる」
「どこだよ」
「前千川が建設中のショッピングモールに入って行くところを見たの。警察もそんなところに隠れるとは思ってないだろうし、警察が行かなそうなところってそこかなって」
美緒の発言には苦しさがあった。警察がまだ捕まえていないから家にはいないことは分かるが、一度見たからといって居場所を一つに絞るのは無理がある。
「朝行って千川を見つける。朝早く行けば千川は眠ってると思うの。眠っている間に警察を呼んで逮捕してもらう」
あまりにも単純な作戦に黒丸と新田は呆れてしまった。
「やめようよ、警察に任せた方がいいよ。」
「無理だよ! だって私のせいで誠が刺されたの! このまま私が何もしないわけにはいかないの!」
美緒はそう吐き捨て、勢いよくベンチから立ち上がり、大股で公園から出ていった。美緒は一度も振り返らず公園を後にする。
「どう思う?」
「確かに辛いだろうけど、ここはやっぱり警察に頼った方がいいだろ。一人で千川の所に行くのは危険すぎる。」
だが新田は提案する。
「明日俺たちも行こう。」
新田の意味不明な提案に黒丸は困惑する。
「明日? 明日は部活もあるし、第一危ないだろ」
「日曜日は作業員たちも休みらしいし、部活だって朝行く分には支障をきたさないだろ。このまま美緒一人だけ行かすのは危険だろ。美緒と千川の様子を見て、何かあったら俺らが出ていく。これだと美緒が安全じゃないか。」
新田の意見は正しいように思えた。一つの問題を除いては。
「俺らが行くって言ったら美緒は俺らを行かせないようになんかすんだろ。」
美緒はあくまで一人で実行するつもりなのだ。黒丸と新田を巻き込んだりはしないはず。
「バカ、美緒には内緒にすんだよ。これは俺とお前との二人だけの秘密だ。」
黒丸は渋々この作戦に乗ることにした。明日の朝三時から新田と一緒にショッピングモールに侵入する。
そして次の日になった。
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