二十一年前

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二十一年前

 朝の三時になる前。雨は止んだが、夜だからなのか雲が覆っているのか、光は差し込んでいなかった。  目覚まし時計が無音の家に響く。黒丸はその音で目覚め、家族が起きない内に音を止めた。家族は音で目覚めることなく眠っているようだった。  黒丸は足音をたてずにそっと台所に向かう。冷蔵庫を開けてお茶をグラスに注ぎ、一気に飲み干した。  電気をつけないまま玄関に向かい靴を履く。そして玄関の鍵を開け、音を出さないように気をつけてドアを開く。そして音を出さずに締めて鍵を閉めた。  そこから黒丸は新田との集合場所に向かって走り出した。歩いても予定の時刻には間に合うが、目が完全に起きていないので、走って眠気を吹っ切ろうとした。  集合場所に到着し、新田が来るのを待つ。しばらくして予定より五分遅れて新田はやってきた。  「ごめん、顔洗ったりしてたら遅れちゃった」  「いいよ五分くらい。それより早く行こう。」  朝の三時に集合したが、もし美緒が三時になる前に千川と会っていたら、自分達は何もすることができない。黒丸は走っている時自分達の計画の甘さに気づいた。  「新田、走ろう」  「え、まじかよ……寝起きだぜ」  危機感を持った黒丸は焦っていた。急かされた新田は乗り気ではなかったが、遅刻をした今従うこと以外に選択肢はなかった。  黒丸と新田は陸上部として基本毎日走っている。日頃の練習の成果か、体感だとすごい早くショッピングモールに着いた気がする。  作業員の影がなく、音もしない。本当に今日は作業員達は休みだったらしい。  新田と黒丸はショッピングモールに入れる道はないか探した。暗闇のせいで時間はかかったが、黒丸が階段を見つけた。立ち入り禁止のロープがぶら下がっていたが、黒丸と新田は暗闇のせいで文字が見えなかった。見えていたとしても入っていたのだが。  音を出さずに気をつけても、金属特有の音がショッピングモールに響いてしまった。しかし気にしてられず階段を登っていく。  階段の終わりが見えて屋上に辿り着いた。  雲から段々と光が差し込み、空に青色が見え隠れしている。  差し込まれた光が屋上を照らす。  そこには千川と美緒がいた。  黒丸と新田は慌てて物陰に隠れる。  朝の二時になる前。誠は物音で目を覚ます。なんの音か不安になり、そっと自分の部屋から出る。玄関の方に光がついていた。足の傷が痛み、不自由だが、なんとかして玄関に向かった。  美緒の後ろ姿が見えた。玄関で何をしているんだろう。そんな疑問を思い浮かべると、千川のことを思い出した。もしかして姉さんは千川のところに行くんじゃないか。  心配をしている内に玄関の灯りが消え、美緒の姿はドアを開ける音と共に消えていた。  不安を隠しきれない誠は足を踏ん張らせ、美緒を追いかけることにした。  外に出るとまだ美緒の姿が見えていた。美緒が歩いているのを見て安堵した。しかし安心している内にどんどんと美緒との差が大きくなっていく。やはり足が言うことをきかない。  しばらく歩いた。なんとかしがみつこうとしたが、結局美緒の姿が見えなくなってしまった。足の不自由さが憎い。  誠はどこに行ったのか不明だったが、なんとかして美緒を見つけ出そうとした。そんな時黒丸と新田の姿が見えた。  確かこの前サッカーした二人だよな。そう思っていたが、黒丸と新田は走っている。  医者に今は走るなと厳しく言われているが、美緒の身に何かあってからでは遅いと思い、不格好ながら走り出した。  傷が痛む。走っている時間に比例して痛さが増す。すると黒丸と新田はショッピングモールの周辺をウロチョロしている。ここに何かがあるのだろうか。誠は走るのをやめ、そっと近づいていく。  少し時間が経つと黒丸と新田は入口らしきところに入って行った。美緒の居場所の見当がつかない今、ここに賭けるしかない。  誠は立ち入り禁止のロープをくぐる。  終わりの見えない階段が目の前に聳え立つ。  医者に無理をするなと言われているが、誠は階段を登ることにした。いつもよりかなり登りにくい。誠はゆっくりと一段一段慎重に登っていく。  美緒はショッピングモールを一階や二階、三階をくまなく探し、千川の姿がないことを確認すると、四階に足を進めた。  四階に入ると寝息が聴こえる。寝息を辿っていくと、コンクリートの上で大胆に千川は眠っていた。  美緒はポケットからカッターを取り出す。  躊躇うことはなかった。相手は自分の弟を包丁で刺したのだから。  美緒はカッターの刃を限界まで出し、千川の胸を刺す。しかし女の力では服の下まで切り付けることは出来なかった。  切り付けられた衝撃で千川は目を覚ます。自分のすぐ側にいた女を無意識のうちに殴り飛ばす。 暗闇のせいで誰か分からなかったが、殴り飛ばした女の顔を近くで見て美緒だと分かる。  「お前……何しにきた?」  美緒は怯えながらもカッターの刃をこちらに向けて睨みつけている。  千川は動じずにカッターを持っている手を掴み、強引にカッターを奪い取った。  「屋上に行こうぜ。」  美緒にカッターを向けながら、気持ち悪い笑みを浮かべて脅す。  美緒が立とうとせずにいたので、頭を掴み引きずりながら階段に連れて行く。  美緒を強引に立ち上がらせ、美緒の背にカッターを向けながら、階段を上がるように指示する。  美緒は仕方なく階段を上がる。鼻水の啜る音が聴こえた。  「おら早く行け。」  美緒と千川は階段を登り屋上に着いた。  「お前寝ている俺を殺そうとするなんていい度胸だな」  美緒にカッターを向けながら千川は喋る。  「俺を殺したいか」  「うるさい」  「お前の弟の足の様子はどうだ?」  「黙れ!」  カッターを向けているのに怯むことなく、怒りを露わにしている美緒に千川はこれ以上挑発することも無駄だと思った。  「お前には人の心はないのか?」  「ねぇよそんなもん。」  千川は自分のことをお前と言ってくる美緒に驚いた。こんな感情的な美緒を見たことがない。  「お前はあの時、私を不審者から守った。あの時のお前には良心があったはずだろ!」  「その人の心、良心をお前があの時奪ったんだろ!」  あの事件のことを思い出して千川は感情的になる。  黒丸と新田は耳を澄ませる。美緒と千川の感情的な声が聞こえてくる。  「私は悪くない。そして誠も悪くない! 悪いのは不審者だ。それで私達に暴力を振るうのはただの八つ当たりだろ!」  千川は八つ当たりという言葉を聞いて、自分の今までを全否定されたような気がした。  「……お前、もういいわ。そこから飛び降りろ。」  千川はカッターを床に投げつけ、美緒の首を掴み押し倒す。美緒は苦しみもがく。  「殺す、殺す!」  千川は力を加えていった。  黒丸は恐怖で体が動かなかった。だが新田は違った。  新田は千川に思いっきりぶつかり千川をふっ飛ばす。美緒は急いで息をする。  千川は急いで起き上がり、新田に殴りかかる。  「邪魔してんじゃねぇよ!」  千川の方がすぐに優勢になり、新田を殴る。  美緒は屋上を見回す。するとおそらく作業員が置き忘れたであろうトンカチがあった。美緒は急いでトンカチを拾い、新田を殴っている千川に力いっぱいトンカチを振った。  千川は頭から血を流し吹っ飛ばされた。千川は素早く頭を起き上がらせる。美緒がトンカチを持ってこちらに向かってくる。頭を手で押さえながら千川は後ろに後ずさる。  「待ってくれ! 待て待て! 待てって! トンカチはずるいだろ! 工具を使うのはずるいだろ!」  千川はこの痛みを経験したことがある。不審者に刺された時だ。その痛みを知っている千川に、その痛みが自分からサッカーを奪った恐怖を思い出させる。その恐怖が千川にとってトラウマとなっており、体が後ろに下がって行く。  屋上の端に追い込まれ、後ろに下がれなくなった千川はとうとう命乞いをする。  「ごめん青原! 俺が悪かった! お前の弟にも謝るからさ、俺どうしようもないやつだからさ、こんな酷いことしちゃったけど、警察にもいって罪を償うからさ! だから助けて!」  そんな今更な命乞いも虚しく、美緒はトンカチを千川の頭に横に振った。気を失った千川はその衝撃で屋上から落ちていった。千川の身体が屋上から地面に落下する。頭が地面につき、血が噴き出す。鈍い音が聴こえた。千川の金色の頭は赤色に染まっていた。    「二人ともなんでここにいるの?」  返り血を浴びた美緒は黒丸と新田に話しかける。物陰に隠れていた黒丸にも気づいていたようだ。黒丸は物陰から姿を現す。  新田は顔が腫れていたが、意識はあるようだった。  「美緒、どうして……」  黒丸は美緒に問いかける。  「あいつは死んで当たり前だよ」  人を殺した美緒はどこか満足気だった。そして美緒は屋上の端に足を進めた。  「美緒!」  新田が叫ぶ。  「……お前飛び降りるつもりか?」  新田は恐る恐る尋ねる。  「うん、そうだよ。だって私人を殺したんだもん。」  「だめだ死ぬなよ! 罪を償って、俺達と一緒に生きようよ!」  「ううん。もう楽にさせて。お願い。」  美緒はまるで幼稚園児に絵本の読み聞かせをしているような優しい口調だった。  「千川もいなくなったんだし、美緒を苦しめるものは何もないんだよ! だからさ、死んだらだめだ!」  「お願いもう死なせて!」  優しい口調から急に怒声に一変した。  「二人とも知ってるだろうけど、私いじめられてたんだよ! でもクラスの人は誰も助けてくれなかった。最近仲良くしてくれたクラスの女の子達も結局は見て見ぬフリをしていた人達なんだよ! それを本当の友達って言えるの?」  誠は苦労しながら、足を頑張らせようやく屋上に着いた。そこには美緒と黒丸と新田の三人が話している。三人とも端の方にいるので会話が聞こえない。誠は物陰に隠れて様子を伺った。  「でも誠さえ居てくれてれば私はよかったの! 私には誠しか居ないから! でもその誠が刺されたの! 誠の好きなサッカーが出来なくなったの! それもいじめられてた私が悪いからなの!」  「そんなことないよ! いじめられているのは悪いんじゃない! いじめている方が悪いんだ! 自分を責めるなよ!」  「もういいのほっといて! 私は人を殺した。人を殺したから家族にも誠にも迷惑がかかる! そんなの耐えられない! だから楽にさせて! もう死なせてよ!」  美緒はそう言い、屋上から飛び降りた。だが、黒丸も咄嗟に手を伸ばし、美緒の腕を掴む。新田もなんとかして美緒の腕を掴む。誠は美緒が飛び降りたことに驚きを隠せない。だが、力を振り絞って美緒の方へ向かう。足の痛みなど気にしていられなかった。  「死なせてたまるか!」  黒丸は美緒の腕を強く引っ張る。だが美緒は泣きながら、口を開いた。  「お願い……楽にさせて……」  美緒のその優しい口調と、優しい笑顔を見て黒丸は手を離してしまった。美緒を楽にさせてあげたかった。  黒丸が手を離した瞬間に美緒の体重が一気に新田にかかり、新田は手を離してしまった。新田は咄嗟にもう片方の手を伸ばし、美緒の腕を掴もうとしたが、間に合わなかった。  美緒は笑顔のままこちらを見続け地面に落ちていった。すぐに鈍い音が聴こえ、地面の下には血だらけの美緒が倒れていた。  黒丸はすぐに我に帰り、自分の過ちに気づいた。あの時美緒の願いを無視して、なんとしてでも腕を離さなかったら、美緒は助かっていた。美緒は自分が殺してしまったのだ。  その罪の重さを理解した黒丸は急いで立ち上がり、屋上から逃げようとした。すると後ろには誠が立ち尽くしていた。誠は黙って黒丸を見つめている。黒丸はすぐに下を向き、そのまま屋上から走って逃げていった。  新田も黒丸を追って走って行く。あの時、少しでも早く手を伸ばせていたら。  誠は二人が消えた後屋上から下を見下ろした。そこには原型を留めていない姉の遺体があった。  「あっ……ああっ……あああああ!」  誠は泣き叫んだ。サッカーを失うよりも姉を失ったことの方が辛かった。  誠はしばらく泣いた。泣き止んで誠は警察に連絡した。  警察がショッピングモールに来てから遺体を調べている時、誠は去っていった二人を思い出す。あの二人が姉さんを殺した。あの二人を決して許さない。  警察の事情聴取で誠は黒丸と新田の名前を出した。しかし当時小学校六年生の誠の証言よりも警察は処理が楽な自殺にして話を終わらせようとした。警察は姉を失った悲しみで誠の精神が不安定であることから誠の証言を重要視しなかった。  トンカチで殴られた千川の頭の傷は、幸いにも千川の頭が地面に落ちた衝撃により、頭を激しく損傷しており、傷を上書きしていた。  誠の両親は美緒の死に深く悲しんでいた。美緒が自殺と聞いて、いじめられていた美緒にとって納得のいく死因であった。  黒丸はその日は部活を休んだ。新田が自分の家にまで追ってきたが、会おうとは思わなかった。 というか、もう二度と会いたくなかった。  月曜日は学校を休み、火曜日に部活を辞めた。大会を前にしての退部で、先輩達は心配していたが、黒丸はそれどころではなかった。  自分が美緒を殺した。手を離して。風呂に入ってどんなに温度調整をしても一向に熱くならない。ご飯も味がしなかった。  警察にそのうち自分が殺したことがバレるのだろうか。黒丸は恐怖に支配され続けていた。  大会が終わった月曜日から、黒丸は学校に行った。新田は学校には居たが話しかけには行かなかった。新田も黒丸に話しかけようとはしなかった。噂だと新田も部活を辞めたそうだ。  黒丸は恐怖から逃げるために今まで以上に勉強に力を入れた。新田も黒丸とつるむのは辞め、別の友達とつるむようになった。  新田が友達と話している中、黒丸は一人で勉強をしていた。  そして中学を卒業し、新田とは別の高校に行くことになった。しかし二人は会話を交わすことなく卒業した。  高校に入ってからは新田がどうなったのか分からなくなった。黒丸は高校でも勉強に励んでいた。  だが、いつまで経ってもあの時の美緒の腕を掴んだ感触が忘れられない。  罪を償わずに逃げてしまった。裁かれたくても裁かれることもなく、黒丸は罪を残して大人になった「残悪」なのだから。
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