現在

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 成田事務所にいつものように黒丸は出勤していた。いつものように自分の席につき、仕事に取り組む。一年前と何も変わらない様に見えるが、奏介には大きな変化があった。  過去から抜け出した奏介は新しい目標ができていた。それは自分の事務所を創ること。それに向けて日々勉強に励んでいる。  机の上には娘の産まれたばかりの写真が立てられていた。娘の隣には笑顔の里穂が写っている。この写真は奏介が撮ったものだ。奏介は今幸せな日々を楽しんでいる。  仕事をしていると、机の上の携帯が鳴った。知らない番号だった。  奏介は席を立ち、同僚の迷惑にならない様に場所を移した。  「もしもし、黒丸ですが。」  「誠です。青原誠です。」  誠からだった。最後に会ったのは一年前だった。  「会って話せませんか?」  何の用かは分からなかったが、奏介は行くことにした。  指定された喫茶店に入ると誠が先に座って待っていた。  「誠さん? どうしたんですか?」  話しかけ、同じテーブルに座る。奏介は嫌な予感がしていた。誠になら突然殴られたり、刺されたりしてもおかしくない。  「奏介さん。久しぶりです。ご無沙汰してます。」  誠は礼儀正しく挨拶をしてきた。だが沈黙が続いた。  気まずさから奏介は話を振ることにした。一年前の奏介だったら、そんなMCみたいなことはしなかった。  「最近村はどう? なんか起きてない?」  誠は顔を下に向けたまま黙る。奏介は誠の反応がないので、別の話を振ろうとした。すると誠が急に声を出した。  「あそこのショッピングモール、取り壊しが決定したんです。」  奏介は言葉が出なかった。確かにいつ壊しても不思議ではなかった。二十一年も前からあのままだった。  「姉さんの墓はもともとあったんでいいんですけど、やっぱりなんか悲しくて。あそこで事件が起きたのに俺なんか親しみを感じてて……。おかしいっすよね。」  「おかしくなんかないよ。」  誠は顔を上げ、今日初めて奏介の顔を見る。  「俺も残念だな。」  「ははっ、なんすかそれ」  誠は思わず笑ってしまった。奏介もつられて笑う。笑い終わった後誠は奏介に本題を切り出した。  「俺あれから考えて、やっぱりあの時姉さんはあそこで死んだ方が良かったんじゃないかって。姉さんが死を望んだんなら、俺が何を言っても姉さんを生かす権利なんてないなって。」  奏介は真剣に誠を見つめる。  「だから俺、上からなんですけど、奏介さんと悠さんを許すことにしました。」  上からの物言いに奏介は笑ってしまった。  「なんだよその言い方」  「俺もあの日に取り残されてましたけど、前を向きます。でも、一応言いますけど、奏介さんを殴ったのは謝りませんからね」  奏介と誠は笑い合った。  「新田は最近どうしてる?」  「自首したのは聞きましたけど、出所したってのは聞いてないですね。」  新田はまだ罪を償っているようだ。  「もしできたらでいいんだけど、新田が出所したら誠さんの店で雇って欲しいんだ。」  ダメ元であった。許してもらえたからといって調子に乗ってしまったと奏介は言ってすぐに後悔した。  「分かりました。」  誠から意外な答えが返ってきて、奏介は驚いた。  「えっ、いいの?」  「約束です。これを俺の新しい人生の一歩にします。」  誠の優しさに触れ、美緒の優しさを思い出す。  美緒。貴方の弟は立派に成長しています。  その後は子供が産まれたことを誠に話し、誠は祝ってくれた。  そして喫茶店を出て、奏介は仕事に戻ることにした。誠は駅に向かい、村に戻るそうだ。  「次俺が実家に帰ったらさ、また会おうよ!」  「はい。約束ですよ」  誠の後ろ姿を見送る。足の不自由さを残していても誠の背中は不思議と頼もしいように感じた。  一年前の新田の言葉を思い出す。  「よく弁護士が主人公のドラマとかだと、人々に優しく寄り添うためになったって主人公とか言うじゃん。お前そういうのはないの?」  奏介が弁護士を志したのは新田の言う通りの理由だった。  自分みたいに過去から逃げれない人達の手助けをしたい。  そのことを一年前まで忘れていたようだ。  早く家に帰ろう。愛する妻と娘が待っている。  奏介の中にはずっと抱え込んでいた「悪」が消えていた。  月明かりが奏介を照らしていた。
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