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一年前
仕事が終わり家に着くと、里穂が珍しく玄関で出迎えていた。
「どうした? 出迎えるなんて珍しいけど」
黒丸が問いかけると、里穂から笑顔が溢れ出した。
「私妊娠したの。」
「え?」
あまり表情を顔に出さない黒丸も突然の報告に驚きが隠せなかった。
「今六週目らしい。生理が予定日なのに全然来なくて、最近ゴムなしですることもあったからもしかしたらって」
黒丸は衝撃が大きく思っていたことがこぼれ落ちる。
「産みたい?」
黒丸は自分でも何を言ってるのかがわからなかった。
「産んでいいの?」
里穂は自分のいいように解釈したらしい。黒丸は慌てて続いた。
「産んでいいよ。俺もっと頑張るから!」
「本当? 私産むからね」
里穂は嬉しそうに泣き、黒丸に抱きついた。
しかし黒丸は驚いていた。妊娠ではなく「産みたい?」という咄嗟に出た言葉に。
里穂は里穂の好きなようにしていいという意味で解釈してくれたが、黒丸はどっちでもいい、勝手にすればいい、そういう意味で言った言葉だった。
果たして自分に親になっていい権利があるのだろうか。
一週間後里穂と黒丸は黒丸の実家に帰省した。かなり田舎の村で何も景色が変わっていなかった。
慶に妊娠を報告したら一週間休みをくれた。本来ならば出産後に休暇を取るものなのだが、慶はすぐに休みをくれた。その一週間事務所にいても仕事がないし、黒丸自体いてもいなくても支障がないと判断したのだ。もちろん出産後も休みをくれると慶は言っていた。ブラック企業が多く、労働基準法を守ってる会社が少ない今、成田法律事務所は世にも珍しいホワイトすぎる職場だ。やりがいはないが、黒丸はやりがいを求めているわけではないので最適な職場だった。
久しぶりに実家に着き、里穂は黒丸の両親に妊娠を報告する。両親は最初は驚いていたが、すぐに祝ってくれた。里穂と両親は仲が良く、里穂と両親の三人で旅行に行くぐらいの仲だった。
里穂と両親が話している時、対して話すことのない黒丸は一人で村を散策することにした。
何も変わっていない景色に懐かしさを感じていた。田んぼや走り回っている子どもたち、スーパーより大きいパチンコ屋。黒丸は歩みを止めた。
パチンコ屋の入り口でタバコを吸っている男がいた。新田だった。二十年一度も会わなかったのに新田だとすぐにわかった。制服しか見たことがなかったが、今はチンピラみたいな格好をしている。髪色は黒でピアスを開けている。
黒丸の視線を感じ取ったのだろう。新田は黒丸を見返した。黒丸はすぐに足を動かし、新田を振り返らずその場から去った。
そこからしばらくは歩いた。気づいたら二十一年前から進んでいない工事中の建物に着いていた。
二十五年前地元の山の中に大型ショッピングモールを作ろうと地元とは関係のない大人が計画したが、四年後に工事が止まった。
理由は四階の当時完成途中だったショッピングモールの屋上から女子中学生と男子中学生が自殺したという事件が起き、工事中止となったからだ。
自殺した二人の中学生は美緒と千川だ。
黒丸は何も変わっていない建物に自然と足を踏み入れていた。二十一年前みたいに勝手に入り、勝手に屋上に行った。
事件の現場には花束が一束置いてあった。花束は腐ってなく割と最近置かれているものだった。
「誰が置いたんだろうな」
黒丸はすぐに振り返った。聞き慣れた声だった。振り返ると新田が立っていた。
「新田……?」
「久しぶりだな奏介」
二十年ぶりの会話だった。嬉しさ懐かしさより恐怖が大きかった。
「なんでここにいるんだ?」
「……今実家に帰っているんだ」
「違う、なんでこの屋上にいるんだ?」
黒丸は言葉を探した。自分でもここにいる理由は分からない。
「まぁいいさ。」
しばらくの沈黙の後新田は話題を移した。
「さっき俺と目あったよな、パチンコ屋で」
「あぁ」
「俺と会ってどう思った?」
「変わったなって……」
黒丸は頭をうまく動かせなかった。新田からの問いに正直に答えている。
「お前のほうが変わったと思うぜ。弁護士やってんだろ。」
新田は黒丸の胸に弁護士バッジがついているのを見ながら言った。
黒丸は弁護士バッジがついていると何かと便利なので常にスーツにバッジをつけて行動している。
「あのお前が人様を助ける弁護士とはな。俺なんて仕事も見つからずパチンコ、競馬、競艇で金繋いでんだよ」
黒丸は何も答えずただ聴いていた。
「お前は引きずってないのか」
新田の発言の意味がわからなかった。
「どうゆうことだ?」
「美緒の自殺を引きずってないのかって聴いてんだよ」
黒丸は驚いた。美緒の自殺はお互い触れずに二十年過ごしてきた。
「引きずるも何も過去のことだ。俺はもう前を向いているよ。」
「すげっ」
新田は鼻で笑った。
「俺たちの目の前で死んだんだぞ、人が。よく前を向けるよな。俺なんかそれ以降何にも自信が持てなくて、高校で友達も作れず大学でも馴染めず会社でも馴染めなかった。美緒が自殺した時俺何かできたんじゃないかって、自殺する前も何かできたんじゃないかって。」
新田は後悔しているように見えた。
「お前みたいに俺も前に進みたかったな」
新田は言い終わると黒丸に背を向け帰ろうとした。しかし足を止めて黒丸の方を振り返る。
「でも俺はこの長い年月を重ねて、過去のことは過去のことだと割り切れるようになったぜ。俺は俺なりに前を進んでんだよ。」
新田は言ってることが急に一変した。
「お前やっぱり何にも変わってないな。あの頃から。変わっているように見えて一番変わってない。過去から逃げているだけで、前に進めてないな。」
新田は真剣な眼差しで黒丸を見つめる。まるで黒丸の体を透かして骨を見ているように、黒丸の心に注意深く目を向ける。
「どういうことだ?」
「いやいいや。また近いうちに会おうぜ」
新田は意味深なことを言って黒丸に背を向けた。
新田の姿が見えなくなっても黒丸は屋上に立ち尽くしていた。
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