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「ようにいさん、明日で終いやな。色々世話になったな。一度も当たらなんだけどな」
柏木を贔屓にしているファンである。20年柏木の予想で買っているが一度も儲けた試しがない。
「惜しいけどなぁ、自分で言うのもなんやけどほんまに惜しいのんがいくつもあったど。お客さんは取り損なったけどなぁ。これ、最終は間違いあらへんわい。騙された思て買うてみぃ。有終の美を飾りましょう」
男は500円を渡して釣りは要らないと観客席に向かった。
「どないしたのお兄ちゃん、迷うたら穴やで、大穴やで。穴やったら柏木予想やで」
どう見ても未成年の男が柏木の前に立ってじっと見ている。どこかで見たことがあるが想い出せない。アナウンスがあり選手が脚見せに出て来た。ファンでもプロは脚見せを見逃さない。どんなラインを形成するか予想のしどころである。客が柏木からメモをサッと受け取る。
「はい、穴穴、大穴でっせ」
売れ行きは好調である。投票が締め切られた。柏木もレース観戦に行く。定位置のバックストレッチ側。さっきの若い男がいた。そのすぐ隣にあくどいコーチやの青木がいる。コーチやは競輪素人を見つけて巧みに声を掛けて自分の予想を買わせる。それが入ると払い戻し金を脅し取る。若い男は恰好の餌食に見える。レースがスタートした。展開は柏木の読み通りである。残り一周を知らせる打鐘が打ち鳴らされる。通称ジャンと言う。大した意味はない、ジャンジャンと音を示しただけである。これまで一列に並んでいた選手が動き出し牽制し合う。第三コーナーで大きく膨らんだ選手がいる。山降ろしである。
「ああ、こりゃ駄目や」
柏木の予想してる選手である。山降ろしは一か八かの策である。勝てないと踏んで山降ろしに掛けたのである。柏木はレースを最後まで観ずに帰り支度に入った。いつまでもいると客からクレームが来る。
「おいにいちゃん、なめんなや。誰のおかげで取ってん。わしの予想じゃあらへんか。車券を出しな」
コーチやの青木が若い男を恫喝している。いつもなら柏木は素通りする。予想屋もコーチやも同じ穴のムジナである。合法か違法かの違いはあるがコーチやも身体を張って商売している。だが今日は若い男が気になった。自分が鳴尾で初めて勢子になったのもこの年頃だったからかもしれない。
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