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泡月ちゃんは不服そうに唇を尖らせながら、自分の行灯を持ってとぼとぼと部屋を出て行った。花帯さんも「手拭いとお脱ぎになった衣服は、そこに置いたままで結構です」と述べながら立ち上がる。
俺は云われたとおりにして、彼女に続いて部屋を出た。泡月ちゃんが通ったのと同じ、俺が這入ってきたそれとは別の戸だ。玄関から伸びた廊下は突き当たりでT字になっており、囲炉裏の間は左側の角にあった。だから俺が出たのは丁度、廊下を左に曲がった地点であり、花帯さんはさらにそのまま奥へ進む。
しばらく行くと廊下は前方向と右方向とに分かれた。前方向はすぐに行き止まりとなっており、花帯さんは右方向に曲がった。左右に引き戸が等間隔で並んでいる廊下をさらに進み、やがて花帯さんが立ち止まったのはまた廊下が右に折れるそのすぐ手前だった。彼女は右側……つまり角に相当する部屋の戸を開いた。
「このお部屋で宜しいでしょうか」
空き部屋というのは本当で、物が少ないためにやけに広々とした八畳間だった。さらに敷居を挟んだ向こう側にも、もうひとつ八畳間が見えている。すなわち十六畳間ということで、充分すぎる広さだった。
「はい、ありがとうございます」
「只今、奥に布団をお敷きしますね」
花帯さんは押し入れから布団を引っ張り出し、てきぱきと敷いた後、枕元の有明行灯に火を灯してくれた。
「なにか足りないものはありませんか?」
「いえ、至れり尽くせりで感謝の言葉もないくらいですよ」
「それは良かったです」
花帯さんはうっすら微笑んだ。それがあまりに魅力的で、俺はにわかに緊張した。
「私の部屋は此処を出てすぐ右手の曲がり角を折れ、真っ直ぐ進んだ正面です。どんな些細なご用でも構いません、いつでもお申し付けください。それと厠ですが、此処を出て左に進んだ後、突き当たりを右に折れて一番奥の戸です」
「はい、分かりました」
「それではお休みなさいませ」
丁寧に頭を下げてから、花帯さんは踵を返して部屋を出て行った。俺はなんだか肩の力が抜けた。花帯さんの心配りは嬉しい反面、恐縮してしまうのもまた事実だった。
外から雷鳴が聞こえてくる。
とにかく今は寝ようと思い、布団に横になった。考えたい事柄は山ほどあるけれど、休まなければ頭が働きそうにない。なにはともあれ、命は助かったのだ。
これが吉と出るか凶と出るかは、神のみぞ知るところである。
あるいは仏……その白蓮という人の導きか?
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