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 この彼岸邸について、詳しく知る必要があるかも知れない……漠然とだが、俺はそう考えている。此処に来たときに覚えた、妙な既視感。まるで前にも訪れたことがあるかのような……。気のせいで済ますには、あのときに感じた衝撃は不思議な確信を伴っていた。  ともあれ。昨晩に花帯さんに案内された順路を逆に辿るかたちで突き当たりまで来て、そこで俺は左に曲がらず右に曲がった。花帯さんが説明していた厠の位置はそちらだったからだ。廊下の先は行き止まりになっていて、正面にある窓の外はすぐ森となっている。そこまで、右はずっと壁が続いているだけだが、左には引き戸が二つあった。花帯さんは奥と云っていたか……。  果たして奥の戸を開けると小さな厠となっていて、当然ながら和式便器だった。用を足して再び廊下に出た俺は、隣の戸も開けてみた。そこは脱衣所だった。奥が風呂場になっているらしい。位置的にこの左隣は台所のはずだから、この区画はこちらから見て右端から厠、脱衣所と風呂場、台所、囲炉裏の間……そして玄関に続く廊下となっている。  ――そのとき、ふと視線を感じた。  左を向くと、遠くに女性がひとり立ってこちらを見ていた。赤い帯で締めた白衣(びゃくえ)を着ている、髪の長い女性だ。どこか存在感が希薄であり、風景に溶け込んでしまっているかのよう……。俺ははっとした。その立ち姿に、どういうわけか、見覚えがあるのだ。俺のよく知っている人物……いや、よく知っている人物に似ているのだろう……だが、それが誰なのかが分からない。 「あ、あのっ!」  声を掛けようとしたところ、女性はふっと揺らめくように動き、曲がり角に消えてしまった。俺は慌てて、小走りで廊下を進んだ。玄関に続く廊下を横切り、曲がり角まで至って左に折れる。  回廊の右辺にあたる此処は、左手には中庭に面した硝子戸が続いていて、右手には引き戸が四つ並んでいた。奥はまた曲がり角になっているが、そこにも硝子戸があって、外の景色が覗いている。裏庭らしい。  しかし、あの女性の姿はなかった。  彼女がこちらに進んでから俺が此処に来るまで、時間はかからなかった。中庭にもいない……ならば、右手に並んでいる部屋のひとつに這入ったのだろうか? 「あら紅郎さん、おはようございます」
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