知床の夏

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珍しく星がきれいな夜だった。空を見上げてふと思った。 ずっと雨続きだったこともあり、星空を眺めるのは久しぶりな気がした。 あゆみと一緒に暮らすようになってから10年経つ。 帰宅するとあゆみは 「おかえりなさい。けっこう珍しい人からあなた宛にラブレターが届いているわよ。」 と私に1通の手紙を見せる。上野からだった。開封してみると、来年の3月に皆で福岡県に集合せよ、というものだった。 「一体なんだろう。」 と私が言うと、あゆみも不思議そうに首をかしげた。 「まぁ、こういうよく分からないとこあったからね、あの人。」 あゆみはおどけて言った。 「10年前もこんな感じで鹿児島に来いやって言ってきやがったんだぜ、アイツ。」 私が言うと、あゆみはゲラゲラ大笑いしている。 「でもさ、上野達と知り合って10年経つんだよ。早いよな。」 私は言いながら当時のことを思い出す。 10年前初めて訪れた知床の夏はやや肌寒かった。駅に降り立った私をユースホステルの車が迎えてくれる。 「お父さん、ただ今。」 私が言うと 「お!おかえり!」 と、こんな感じで車に乗ってきた主人が出迎えてくれる。当時の私は専ら旅行の時にはユースホステルを利用していた。ユースホステルとは若者向けの簡易宿泊施設である。朝夕の2食付きで5千円以内で宿泊出来る。大体が複数人用の相部屋であり、主に一人旅の連中が集う。ユースホステルに到着した私は早速受付を済ませて、部屋へと向かった。通されたのは8人部屋だ。既に先客もいた。軽く挨拶を交わした後部屋で寛ぐ間もなく大浴場へ向かう。入浴を済ませると、ほどなく下からお父さんの甲高い声が館内にこだまする。 「皆さん、夕食のご用意が出来ました。」 混雑を避けるように、やや遅れて夕食を取る。食事の最中に 「皆さん、20時からミーティングがありますので、ぜひご参加下さい。」 とお父さんから案内される。その案内に従って、食後20時にミーティング室へと向かう。先ほど夕食を取ったやや広めの会場だ。6人用のテーブルが4つある。だいぶ混んでおり、2席しか空いていなかった。若い男性5人が座っているテーブルと、同様に若い女性5人が座っているテーブルだ。どちらに座るか迷っていると、メンズのテーブルから声がかかった。 「ここ空いてますよ。」 「あ、ありがとうございます。」 と礼を言い、メンズテーブルの一角に腰を落ち着かせることにした。ミーティングといっても宿泊客が特に発言をする訳ではなく、主人であるお父さんが一方的に知床の地を案内するらしい。 「皆さん、ようこそ遠い知床の地にお越しいただき、誠にありがとうございます。」 こんな挨拶から始まった。知床は冬になると流氷が流れ着く。そしてこの流氷に乗ったり、スキーを楽しんだり出来る。よって冬になると、このユースホステルもより一層活気づくらしい。 「皆さんJRでいらっしゃった方は既に召し上がったかもしれませんが、駅の中に入っているラーメン屋。あそこのラーメンがこの辺りでは一番うまいんです。」 お父さんは髭をいじりながら、やや得意そうに言った。 「あ、私食べた。美味しかった。」 「明日行ってみよう。ラーメン大好き。」 こんな声が飛び交う。その後アイスクリーム争奪戦と題してUNO大会やら卓球大会やらが繰り広げられ、結局21時半頃お開きになった。私は部屋に戻ると翌日の旅立ちの準備の為、早めに就寝の準備を始めた。翌日からはより北を目指す予定である。行き先は稚内からフェリーを使って礼文島へ。どんなことが待ち構えているかワクワクしながら手洗い場で歯磨きをする。たった一日で知床の地から去ってしまうのはもったいない気がする。だが、北の離島に早く渡ってみたいという欲求が抑えきれなかった。私の利用するJRの北海道周遊券は期間内であれば道内を自由に乗車出来るものだ。また知床に来たくなったら戻って来れば良い。それだけのことだ。そのようなことを考えながら歯磨きを終え部屋に戻ろうとすると、私の隣で歯を磨いていた男性に声をかけられた。 「こんばんは。先ほどはどうも。」 人懐っこい笑顔を浮かべたその男性は、先ほどのミーティング室でメンズテーブルから声をかけてくれた男性だった。 「あ、こんばんは。先ほどはありがとうございました。」 私は改めて礼を言った。 「どちらからいらっしゃったのですか。」 その男性が尋ねてきたので私は 「福島です。東北地方の。」 と答えると、彼は笑みを絶やさずに 「あ、そうなんですね。僕らも福島通ってきました。あくまでも通過しただけなんですけどね。」 と言って笑った。 「もう寝るんですか?」 彼が聞いてきた。 「一応そのつもりで・・・。まだ寝られないかも、ですね。」 と私が答えると 「良かったら僕らの部屋に遊びに来ません?」 と彼が誘ってきた。僕ら、ということは友達と一緒なのかもしれない。私は興味を抱き、彼について行くことにした。 「お客さんを連れて来ました〜。」 部屋に入るなり彼がおどけて叫んだ。 「こんばんは。」 「ようこそ。」 歓迎ムードのこんな声が飛び交う。悪い連中ではなさそうだ。見ると先程ミーティング室にいたメンズテーブルの5人衆だ。 「僕、小田って言います。よろしくお願いします。」 先ほど声をかけて、この部屋に誘導してくれたメンズが自己紹介をしてくる。 「真田豊と言います。こちらこそよろしくお願いします。」 と私も自己紹介をした。 「この方が上野さんです。僕達の先輩なんですよ。」 と小田が言うと、小田の隣に座っている男性が 「上野です。よろしくお願いします。」 と独特な話し方で挨拶をしてきた。高圧的な言い方だ。私の好きなタイプの人間ではない。他の3人はそれぞれ佐藤、宮田、河合というらしい。5人とも出身は違えど同じ鹿児島の大学生らしい。鈍行漫遊会というサークルの仲間で、上野がリーダーとのことだ。 「真田さん、福島県出身なんですって。」 小田が上野に言う。 「へぇ、そうなんだ。俺達も今回通ってきたな。蕎麦食べたの、福島じゃなかったっけ?」 上野が言うと佐藤は腑に落ちない表情で言う。 「前回、福島に車で行きましたよね。」 「あそこは福岡だろ。」 即座に上野が突っ込む。 「あ、そうか。福島県に福岡県に福井県か。色々とややこしいですね。あ、大阪にも福島ってありましたよね、そういえば。ややこしい。」 佐藤が言うと小田が驚いたように言う。 「え、福岡?何の話ですか。俺、行ってないんだけど。」 「小田、お前は女と遊んでばかりいるからだろ。」 上野がまた突っ込んで、その部屋は笑いに包まれた。彼らは車で知床を回るらしい。私も誘われたが、別の目的地に早く辿り着きたかったので断ることにした。だが、彼らとの最初で最後の旅をもう少し楽しみたいとは思った。 福島のアパートに佐藤から封書が届いたのは北海道の旅から帰って1か月程経過した頃だった。私はというと、北国の余韻は消え失せ日常生活に戻っていた。封書の中には手紙のような物は入っておらず、切符が入っているだけだった。頃合いを見計らったかのように、久しぶりの電話の着信音が部屋に鳴り響く。声の主に聞き覚えがあった。 「もしもし。真田さん、覚えていますか。知床でお会いした佐藤です。」 「ああ、覚えていますよ。佐藤さん、元気ですか。」 私が言うと佐藤は 「元気ですよ。今上野さんに代わりますね。」 と言い、電話の声が変わった。 「もしもし、上野です。久しぶりです。その切符で鹿児島まで来て下さい。」 相変わらず高圧的な独特な声だ。私は1か月前のことを思い出す。北国で南国の人と盛り上がる、不思議な夜だった。あの知床の夜が面白すぎたせいか、上野のインパクトが強かったせいか、礼文島はそれほど印象には残らなかったのだ。 同封物は東京から鹿児島への切符であった。JRであれば何でも乗れるらしい。新幹線のグリーン車にも乗れるそうだ。福島から東京までと帰りの交通費がおそらく自腹らしいというのが気に食わなかったが、それでも面白そうだと思い出かけることにした。 東京までは鈍行でのらりくらりといつもの貧乏旅行を楽しみ、東京から本番が始まる。東京から名古屋まで新幹線のグリーン車を利用し、名古屋からは寝台特急に乗車し、博多から鹿児島までは九州新幹線の、これもグリーン車を利用した。これまでの中で最も快適で贅沢な旅が、旅先で偶然知り合った仲間によってもたらされた、不思議な経験である。 彼ら5人衆の最寄り駅は西鹿児島という駅のようだ。その西鹿児島駅で下りると見覚えのある顔があった。小田である。 「真田さん、お久しぶりです。お元気ですか。」 「小田さん、久しぶりです。」 私は言った。小田は 「すみません。自分、これから山口県の下関に帰郷しますので、これで失礼します。会えて嬉しかったです。」 と言うが早いが立ち去ってしまった。そしてこの一瞬が小田との最後の出会いとなった。改札口には上野、佐藤、宮田が待っていた。懐かしい面々である。さすがに鈍行漫遊会全員集合とはいかないようだった。 「真田さん、お久しぶりです。わざわざ来てくれてありがとうございます。」 佐藤が相変わらず礼儀正しく言う。 「お久しぶりです。切符ありがとうございました。なかなか快適な旅でした。」 と私は素直に答えた。そして彼らが寄りたいところがあると言って立ち寄ったのは、とあるケーキ屋だった。どうやらケーキをプレゼントしてくれるらしい。 「実は昨日上野さんの誕生日だったんですよ。だから真田さんも呼んで、盛大にやろうかな、と。小田と河合には逃げられましたけど。」 佐藤が説明してくれた。ケーキ屋には店員の若い女性1人だけしかいなかった。 「いらっしゃいませ。あ、佐藤くん。」 どうやら佐藤とその店員は知り合いらしい。 「あっ、もしかしたら、そちらの方が真田さんですか?福島の方?」 女店員の言葉に真田は驚く。 「え?なんで僕のことを知っているんですか?」 真田の言葉に女性は笑った。 「ふふふ。有名ですよ。真田さん。初めまして。松井あゆみといいます。私も真田さんと同じで福島出身なんですよ。」 佐藤が付け足すように言う。 「あゆみちゃん、同じ大学なんですよ。真田さんのことは勿論話してますよ。彼女、小田と付き合っているんです。」 私はあゆみに 「へえ、福島ですか?あゆみさんも鈍行漫遊会の方なんですか。」 と尋ねると 「うーん、準会員ってとこかな。小田と一緒にたまにご一緒させていただいてます。」 と笑いながら答えた。 その夜は佐藤のアパートで宮田、河合と共に上野の誕生日を祝った。 「小田も冷たいよな。せっかく真田さんがわざわざ来て下さったのに帰郷なんて・・・。絶対バチが当たるぞ。彼女と別れるとか。」 宮田が悪態をついたが、残念ながら現実のことになろうとは予想だにしなかった。 「でも良かったですよ。駅で彼と会えたし。ほんの一瞬でしたけど。」 と私は小田をフォローした。 鹿児島から帰ってきて3か月ほど過ぎたある夜のことであった。珍しく我が家の呼び出し音が鳴った。 (こんな時間に誰だろう。新聞か何かの勧誘か。でも時間が遅すぎる。) と思いながら、恐る恐るドアを開ける。目の前にいるのはどこかで見たことのある女性であった。 「こんばんは。ご無沙汰しております。私のこと、覚えてます?」 あの鹿児島のケーキ屋のあゆみだった。 「え、ど、どうして?」 あまりにも突然の予期せぬ訪問者に、私は挨拶も忘れしどろもどろになった。 「遊びに来ました。中に入れていただいてもよろしいでしょうか。」 あゆみはそう言うと勝手に家の中に入ってきた。状況が全く飲み込めず呆然と立ち尽くす私をすり抜けて、あゆみは部屋の中に入っていく。 「意外と綺麗にされているんですね。男の人なのに。小田とは違うわ。小田の部屋は汚かったの。」 汚かった?なんで過去形になっているんだろう。 「あゆみさん、どうして・・・。」 私が言いかけた瞬間、部屋にけたたましく着信音が鳴り響く。 「真田さん、電話よ。」 と、あゆみが言う。私が受話器を取ると佐藤からだった。 「もしもし。真田さんですか。実は大事なお知らせがありまして・・。その・・小田って覚えてますか?アイツが死んだんです。」 「小田さんが・・死んだ?」 私の頭はすっかり混乱していた。佐藤は続ける。 「ええ、死んだんです。交通事故で。彼女とのドライブ中です。今日お通夜だったんですよ。真田さんにも知らせた方がいいと思いまして。」 「彼女ってあゆみさんのことだよね?」 私は部屋の中で寛ぐあゆみを眺めながら聞いた。 「そうです。ケーキ屋にいたあゆみさんです。二人とも即死だったようです。」 佐藤は今にも泣き出しそうな悲しい声で言うと 「ではまた。夜分に失礼しました。」 と言い残して電話が切れた。私はというと、あゆみは今自分の部屋にいるとは言えなかった。 「私、幽霊なんだ。幽霊になっちゃったの。」 あゆみはそう言ったが、俄かには信じられなかった。 「まぁ、こうしている分には普通の女の子だもんね。信じられないでしょうね。」 あゆみは続けて言った。 「一緒に実家に来てくれない?お線香あげに。そうすれば私が幽霊ってことも納得出来るでしょ?」 そして週末にあゆみの実家に一緒に行くことになったのであった。あゆみの実家ではあゆみの遺影が飾られていた。事前にあゆみと打ち合わせした通り、小田とあゆみと同じ大学の友人だ、と言うと快く対応してくれた。 「私の妹よ。」 あゆみが私の隣で呟くように言った。妹にはあゆみの姿は見えないようだ。 「初めまして。松井さやかと申します。生前は姉のあゆみが本当にお世話になり、ありがとうございました。」 さやかは続けた。 「私、実はいい人が出来まして、結婚を前提にお付き合いをすることになったのですが、姉に報告しようと思った矢先にこんなことになってしまって・・・。」 帰宅後あゆみは笑顔で言った。 「真田さん、お線香をあげに来てくれてありがとう。それにしても妹にいい人が出来たなんてね。良かったわ。これで思い残すことはないわ。なるべく早くあなたのもとから消えるわね。彼女とデートの時、私がいたら邪魔だもんね。」 私も少しだけ心の余裕が出来たせいか笑顔で答える。 「いや、別に彼女なんかいないから・・。俺もあゆみさんに世話をしてほしいくらいですよ。」 するとあゆみは考えこむように言った。 「え?そうなんだ。彼女いないの?フリーなんだね・・。分かった。実家に来てくれたお礼に私が世話してあげる。妹に彼氏が出来ていなかったら妹を紹介するのに。ああ!最悪だわ。」 と言ったので私は 「いやいや、めでたいことだよ。最悪!はないでしょ。」 と言い、笑いあった。 「真田さんに彼女が出来るまで、私が真田さんの彼女になってあげる。まぁ、彼女が幽霊というのも嫌でしょうけど。」 とあゆみが言い、また二人で笑いあった。笑いながら、幽霊と笑いあう自分というのも奇妙で面白いと思った。それに、一緒に笑いあえる女の子がいる、というのは楽しいものだ。たとえそれがこの世に存在しない、幽霊であっても。 ある時あゆみが言った。 「小田とドライブしていた時ね、喧嘩しちゃったのよ。ほんの些細なことで・・・。まぁ、喧嘩なんてきっかけは大したことないもんよね。彼ったら機嫌が悪くなって、すごいスピード出して・・・車がスリップして一貫の終わり・・・。」 淋しそうに事件当時を語るあゆみを、私は思いきり抱きしめた。普通の女性と変わらぬ温かい、柔らかい身体だった。 「私ね。本当は小田くんに嫌われていたんじゃないかと思うの。皆と一緒に北海道にも行きたかったのに拒否られたし、今回も一緒に小田くんの実家に行きたかったけど拒否られて・・。で、ヤケになってバイト入れまくったの。まぁ、店長からは感謝されたけどね。」 あゆみは私と抱き合いながら言った。 「いや、小田氏はあゆみのことが好きだったんじゃないかな。北海道には二人っきりで行きたかったんだよ、きっと。実家に連れて行くのも恥ずかしかったんだろうね。」 私が言うと 「あなたもイヤがる?彼女があなたの実家に行きたいって言ったら。」 とあゆみが聞いてきた。 「うーん・・経験がないから分からないけど。きっと恥ずかしいからって断るだろうね。」 私が言うとあゆみは不思議そうな顔をした。男の人ってそんなもんなの、つまんない、とでも言いたげな顔だ。 「それはそうと。」 私は話題を変える。 「ケーキ屋ってどのくらいバイトしているの?」 「大学に入った時からずっとだから、1年半ほどね。私2年生だから。」 あゆみは答えた。 「面白かった?」 私が尋ねると 「うん、面白かったよ。店長はいい人だったし、ケーキ作りも覚えられたし。今度作ってあげようか。誕生日にでも。」 上野からの突然の招集命令は10年前の記憶を呼び起こさせた。 「今は学生じゃないから勝手が違うんだよな。会ってみたい気もするけど、止めにしておくわ。」 行ってきたら、と軽いノリで言うあゆみにイラつきながら私は言った。社会人になって九州が遠くなった気がしていた。鹿児島も福岡も今の私には気が遠くなるほど異世界に感じられた。 「もしもし、上野ですけど。真田氏、久しぶり。」 相変わらずの独特な口調で電話がかかってきたのはその3日後のことだった。何年経っても声の調子はそう簡単には変わらないものだ。 「おう、上野。久しぶり。手紙ありがとう。あのさ、俺行けないわ。ムリだよ。」 この頃には上野とは敬語を使わない、いわゆるタメ口で話すようになっていた。この私に対する上野の返答は意外といえば意外なものだった。 「そうなんだ?じゃあ仕方あんめえな。いや実はさ、俺結婚するのよ。で、結婚式に出席してほしい、と思ってたんだよね。」 「はあ?あのさ、そういう肝心なことはきちんと手紙に書けよ。そういう事情なら行くよ。出席させていただきます。」 傍で受話器に耳を傾けていたあゆみが、電話が切れた後大爆笑して言う。 「いやぁ、上野さんって相変わらずだよね。変わった人だよね。ウケるわぁ。ホント、貴重な人材よ。」 翌年3月に私とあゆみは九州の福岡にいた。一緒に上野の結婚式に出席し、一緒に2次会にも出た。勿論、周囲の人にはあゆみは見えていないが、あゆみはあゆみで楽しんでいるようだった。久しぶりに会った上野は、やっぱり相変わらず、あの知床で出会った時の上野だった。それが私とあゆみを安心させた。上野は言った。 「俺さ、彼女と会うの3回目なんだよね。知り合いに紹介されたんだけど、1回目の時も2回目の時もその知り合いの人と4人で食事して、で、そのまま別れて。で、今日を迎えたわけよ。」 「え、じゃあさ。花嫁さんと2人っきりで会うのって今日が初めてなの?」 「まぁ、そういうことになるわな。二人っきりのデートなんかしたことねえし。まぁ、今日もこんなに人がいて二人っきりって感じじゃないけどね。結婚式が終わって2次会もお開きになったら、ようやく二人っきりにならなきゃいかんわけで。」 上野の話を一緒に聞いていたあゆみが傍でクスクス笑っている。その場には宮田や河合もいた。ただ佐藤はいなかった。おそらく仕事で忙しいのだろう。宮田や河合は不平をもらす。 「上野さん、結婚式のこと、もう少し早く教えて下さいよ。おかげで今夜俺達ネカフェですよ。」 福岡ではサミット会議なるものが開催されているらしく、市内のホテルはどこもかしこも軒並み満室になっているらしい。しかも結婚式の参加者の大半は結婚式のことを直前に聞かされたらしく、ホテルの予約が取れずネットカフェに宿泊することになったらしい。私はホテルが予約出来てラッキーだったという訳だ。どうやら私に一番早く知らせてくれたらしい。悪くない気分だ。一方であゆみは終始笑い転げている。 「上野さん、おかしすぎて死にそう・・・。」 「いや、もう死んでるし。」 「上野も結婚することだし、俺達も結婚するか。」 「私はあなたの仮の恋人。仮よ仮。人間は人間同士、幽霊は幽霊同士が一番よ。」 上野の結婚式に出席してから、このままあゆみと結婚してずっと一緒にいたい、という思いが強くなっていった。いや、法律上死人とは結婚出来ないかもしれないが、このまま永遠に一緒にいられるに違いない。それが運命なのだ。なぜかそう思い込むようになっていた。 あゆみの妹が離婚したことを知らされたのは、半年ほど経ったある夜のことだった。 「ずっと前にあなたに言ったこと覚えてる?」 あゆみが切り出す。 「私、あなたに妹を紹介したかった、というようなこと言ったわよね。さやかと付き合ってみない?バツイチで申し訳ないんだけど。」 「そんなこと・・・。」 ふいに突拍子もないことを言われ、私は面食らった。 「無理に、とは言わないし言えないけど、気にいると思うんだよね。お似合いだとも思うし。で、気に入らなければ付き合いを解消すればいいし。ね?」 あとから思えばこれはあゆみにとって最大の賭けだったのであろう。さやかは私にとって最高の相手だ、というようにあゆみはずっと思い巡らしていたに違いない。私に紹介しようとしていた矢先に他の男性に取られて悔しい、という思いもあったのかもしれない。又、さやかが一度結婚生活に失敗しているという現実を鑑みると、引け目を感じているのであろう。しかし、何より私がさやかと結ばれれば、あゆみは安心して昇天出来るのだろう。今や私自身があゆみの心配の種であり、この世に未練を残している原因なのだということに気づいた。 あゆみはいつになく積極的だった。 「来週松井家に一緒に行きましょう。そしてあなたに大切なお願いがあるの。」 翌週私はあゆみと一緒に松井家のチャイムを鳴らした。中から出てきたのは今やすっかり大人の女性になったさやかだった。 「こんにちは。お久しぶりです。」 さやかはあの日と同じように、我々を居間に通した。するとその時だった。あゆみが突然声を上げた。 「さやか!私の声が聞こえる?」 私の隣であゆみが問いかけると、さやかは違和感を感じたように周囲をキョロキョロ見回す。まるで誰かの視線を感じているかのように。 「あなた、お願い。」 その瞬間、私は意識を失った。 1週間前、松井家への二度目の訪問が決まった時、あゆみは私に切実な表情である頼みごとをしてきた。 「ねえ、お願い。あなたの身体を借りていい?」 「え?どういうこと?」 「多分私、このままだとさやかと会話出来ないと思うの。誰かの身体に乗り移らない限りは。」 「俺の身体に乗り移るってこと?」 「そうよ。私さやかと直に会話したいの。最後の会話よ。あなたにももう二度とこんなお願いしないわ。最後のお願い。」 あゆみの言葉に私の動揺は隠せなかった。最後のお願い、というのが気になったが、あまりにも緊迫感のある申し出に断れなかった。 「本当にお姉ちゃんなの?」 さやかは信じられない、というように目を真ん丸にした。 「そうよ。私ね、小田くんとドライブしていた時、真田さんのことを話したのよ。妹と付き合わせたいんだけどどう思う?って。なんなら私が付き合ってもいいくらい良い人だよね、って。そうしたら小田くん怒っちゃって、乱暴な運転するからあんなことになって・・・。ごめんね、さやか。」 「お姉ちゃん、バカじゃない?彼氏とのデートの時くらい妹のことなんか忘れなさいよ。お姉ちゃんがいなくなったせいで、どんなに私が淋しい思いをしたか・・・。」 さやかの目から大粒の涙が流れた。 「ごめんね。ごめんね。」 私の身体を使ったあゆみがさやかを抱き寄せる。 「私が真田さんの家に行ったのは、実はさやかに真田さんを会わせたかったからなの。だって、既にさやかに相手がいるとは思わなかったんだもん。」 「・・・」 「真田さんね、すごくいい人よ。多分さやかの結婚相手にふさわしいと思う。それは私が保証するわ。私も何やかやで10年、真田さんと一緒に過ごしたからね。」 「分かったわ。お姉ちゃん。私真田さんと結婚を前提にお付き合いするわ。真田さん次第だけど、私努力するから。お姉ちゃんも安心して成仏してね。」 「やっぱり人間は人間同士。幽霊は幽霊同士が一番よ。」 まるでさやかはあゆみの生き写しだった。あゆみと過ごした時間と同様に、さやかと過ごす時間も私にとってかけがえのない幸福感をもたらしてくれるものとなったのだ。その後私とさやかは結婚した。結婚式会場の隅には小田とあゆみの姿が確かにあった。二人ともお祝いに駆けつけてくれたのだ。小田もあゆみも笑顔に満ち溢れていた。小田の笑顔は、あの夏の知床の夜を思い出させるものだった。懐かしい二度と来ない貴重な夜だった。あゆみの笑顔は素敵だった。今まで見た中で一番美しい笑顔だった。その夜あゆみは 「二人とも幸せになってね。」 と言った。そして私の方を向き、こう言った。 「ありがとう。今まで本当に楽しかったわ。まさか死んで良かったと思えるなんてね。私の分まで幸せになってね。」 私が 「ありがとう」 と言うと、後ろには小田の姿があった。 「やっと一緒になれたね。」 私が言うと、あゆみの目から涙がこぼれた。 あゆみと小田の身体が美しく光り出し、やがて天へと舞い上がった。私達は黙ってそれを見届けた。満天の星空だった。
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