連還する記憶 ⑥

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ヒトの生存も、まさに多軸構造にできています。二人の殺し合いは二軸ですが、止めに入れば三軸になり、さらになだめ、すかし、怒り、諭し…無数の軸が、殺人行為に介入します。そのおかげで、ヒトは自滅しなくてすんできたのです。 ヒトが形成する共同体も、この有機的な構造に仕上がってさえいれば、多軸構造の自由な知性の働きによって、存続を維持し多種多様な発展を獲得することができるはずなのです。 しかし、です。 近世になって、そうなるとは限らない事態が頻発しています。理想の誕生と理念の構築に、ヒトの心や感情、感覚、感性、有機体のもつありとあらゆる特性の自由なアクセスが、キャンセルされるという事態が、そこここで発生しているのです。 <唯物論の単軸性> 物を精神の上位に置くという考え方は、すでに古代ギリシャから受け継いだ、わたしたちの記憶遺産です。 すべての物は、ヒトの魂も含め、原子により構築されているという考えは、やがて、すべての物は科学で解決できるという考えにつながり、魂と同様に、ヒトの心や感覚、感情、ありとあらゆる有機体の特性も、科学の領域で取り扱えるという考えに辿りつきました。 この、すべての現象の解明に科学的根拠を与えることをよしとする理想は、やがて、物の側からしか現象を観ない、短軸思考による硬直した理念を構築せざるをえなくなっていきます。
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