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「そろそろ時間だから、みんな教室出てー」
その人物は、図書委員に入るよう勧誘してきた生徒——確か先生は絹沢と呼んでいた——だろう。髪型と声が似ている。
絹沢の指示を受けて、クラスメイトたちは億劫そうに、体育館用のシューズの用意を始めた。
僕ものろのろと席を立つ。
その時、
「あ」
と、思わず声が漏れた。シューズを持ってきていないことを今思い出したのだ。
ないことを知ったうえで、念のためバッグの中を探してみるが、入れた覚えがないのだから、あるわけがなかった。
「はぁ……」
今日で一番深い溜め息だった。
——しょうがない。
このまま行こう。
一学年全員が参加する集会だ。上履きを履いていない生徒が一人や二人いたくらいでは、誰も気には止めないだろう。
席を立ち、何食わぬ顔で教室を出る。
「ちょっとキミ!」
廊下まであと一歩のところ。背後から僕を呼び止めたのは、黒板横でクラスメイトに指示を出す女子生徒——絹沢何某だった。
「……何」
「何じゃないよ。上履き、忘れたの?」
絹沢は、例によって役を演じているかのように大仰に首を傾げた。
「あー、いや、その……はい。持ってきてないデス」
「体育館は原則上履き禁止だから、靴下で入ってね。次回までにはちゃんと持ってくるように。あと、シューズがない人は隅でまとまって参加だから」
「え、何それ」
「ペナルティ」
当たり前でしょとでも言いたげに、絹沢は眉を上げた。
「ほら、教室から出て。あたしたちが最後だよ」
「え?」
間の抜けた声を発して振り返ると、確かに教室には僕と絹沢以外は誰もいなかった。
「あ、やっぱちょっと待って」
絹沢は再び僕を引き止めると、「危ない危ない」と独語しながら横を抜けた。
「戸締りするから。手伝ってよ」
「……僕が?」
「そ」
絹沢は首肯して窓の錠に手を伸ばす。
無視して行ってしまおうとも考えたけれど、直接頼まれた身としては、それは気分が良くない。
悪人になりきれない自分に、つい溜め息が漏れる。
わざわざ窓から教室に入って物を盗む人なんていないだろうに。気乗りしないながらも、黒板側の窓へ向かった彼女とは反対に、後ろの窓の施錠を始めた。
「何かね、去年、今日みたいな集会の時間に窓から侵入して、窃盗した生徒がいたんだって。それ以来、生徒がいなくなる時は窓も施錠する決まりになったらしいよ」
僕の態度から思考を読み取ったらしい絹沢が説明をした。
「ふーん」
まるで忍者のような生徒の素行に呆れていると、「ちょっと意外」と、笑いを含んだ声がした。
「何が?」
声変わりが始まったばかりのやや低い声が教室に響く。
残りの窓が閉められていることを確認し、声の主——絹沢の方を見た。
「こう言っちゃ何だけど、無視して先に行くかと思ったから」
そう言って絹沢は笑顔を向けた。多分嫌味のつもりなのだと思う。
「そんなことないよ」
絹沢の笑顔から逃げるように、袖を直す仕草をする。露骨だけれど、気持ちの悪い引きつった愛想笑いを見せるよりはマシまだ。
それに、彼女から滲み出る一抹の不気味さも、忌避させる要因だった。普通、初対面の相手にこんな笑顔を向けられるだろうか。僕の理解の範疇を超える行動をとる彼女が、別の生き物のように見える。
無言で踵を返し、廊下へと向かう。遅れて絹沢も歩きだす。
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