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「ありがとね。何だか悪いね、色々と。委員会も入ってくれたし。キミ、本当は良い人?」
絹沢が指先をこちらへ向ける。
「違うから」
鬱陶しそうに手を払う仕草をした。
——良い人なんかじゃない。
委員会の件は、ただ迷惑がられるのが嫌だっただけだ。今のこれも、ぞんざいな対応をすれば相応の対応が返ってくるだけだと考えたからだ。
優しいわけでも、良い人なわけでも、だからないのだ。
ただの打算。損得勘定。全て自分のため。自分さえ良ければ良い。そういう人間だ、僕は。
二人で教室を出て、絹沢は扉に鍵をかけた。それを確認して、僕は生徒が疎らに歩く廊下を歩き始める。自殺場所探しのお蔭で、これから向かう体育館までのルートは知っている。
パタパタと、上靴がリノリウムの床を叩く音が響く。
校舎の匂い。廊下の曲がり角。階段の手摺り。慣れない学校を歩くのは、まるで異世界の迷宮のようで新鮮だ。一目では全体像が掴めない校舎の構造が、そんなロマンをかきたてる。
——そういえば……。
ふと、今の状態と中学生の頃との違いに気が付く。
中学の時は、こういった移動の時には、廊下で整列してから学級委員の先導で一斉に移動した。ところが今ここには、整列した生徒たちの行進はなく、生徒は談笑しながら好き好きに歩いている。
それが高校と中学の違いなのか、それともこの高校だけがそうなのかは判らないけれど、こっちの方が自由に歩けて良いと思った。
体育館は離島になっていて、教室のある棟とは渡り廊下で繋がっている。誰もいない柔剣道場を通り過ぎ、多目的フロアのある二階へと上る。
「待機場所はね」
階段を上り切ったところで、絹沢はすらりと長い腕を伸ばし、体育館の壁際を指差した。
「あそこ——あの、紺色のジャージ着た女の先生の横の辺り。人が集まってるのがそう」
判るかなと尋かれて、僕はうんとだけ返した。絹沢が示した方には、確かに腕を組んだジャージ姿の教員が見える。
「あそこへは、体育館のなるべく隅の方を通って行ってね」
絹沢と別れて、説明された場所に向かった。
目印としての役割を果たすジャージを着た若い女教師。その横には三人の生徒。彼ら彼女らの足に体育館用の靴はない。僕と同じ境遇のお仲間ということだ。
「シューズ忘れた生徒?」
生徒の小集団を窺って立っていると、横の教師が声をかけてきた。
「あ……はい」
「じゃあこの辺りで集会の話を聞いて。体育館を出る時も隅を通ること」
「分かりました」
「友達と無駄話できないこの場所が嫌なら、次からはシューズを忘れないこと」
嫌味のような言いつけに、僕は覇気のない返事で応えた。同志たちに加わって、目立たないよう隅の方で腰を下ろし、集会が始まるのを待つ。
一人の教員が壇上に上がると、生徒たちのノイズがゆっくりと引いていく。
「ねえ」
すぐ横で女子の声がした。それは耳を澄まさないと聞こえないほどに小さく、見張り役の教師には聞こえていないようだった。
「ねえ、水無瀬くん——だよね」
「え?」
苗字が同じだけの別人を呼んだ可能性もあると気付いた時には、もう手遅れ。僕は声の主と向き合っていた。条件反射に近いかもしれない。
声の主は、ストレートボブの女子生徒。こちらをまっすぐ見ているから、幸か不幸か、呼びかけは僕に向けられたものだったらしい。
恥をかかずに済んだと安堵しつつも、不信感から眉を歪めた。
——何で僕?
名前を呼んだということは、不特定の誰かではなく、僕個人に用があるということだ。けれどもこの生徒の顔に見覚えはない。
——ということは……。
名前が判る何かを落としたのだろうかと、自分の制服のポケットを探った。
しんとした空間の中、壇上の教員が何やら喋りだすのが聞こえた。
「もしかして……忘れてる——のかな」
彼女はぼそっと言った。
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