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本当に間抜けな話だと思う。
教室へ向かう途中の静かな廊下で、僕——水無瀬透は小さな雲を見上げて溜め息をついた。
——死ねるはずだったのに……。
一昨日の入学式の後。僕の人生は終わるはず——終われるはずだったのだ。それが、一人の迷惑な女子生徒のお蔭で台無しだ。その女子生徒が邪魔しなければ、今頃、生きるしがらみから解放されていたというのに。
あの人の名前は何と言っただろうか。病室で名乗られたけれど、もう顔も覚えていない。いや、そんなことはどうでも良い。そもそも他人の顔なんて覚えられないのだし。
問題は、自殺に失敗したこと——ではない。
そんなものは、またやり直せば良い。問題は覚悟の方だ。死を受け入れて屋上から飛び降りたのに、あろうことか落下中に気を失っていた。
死にたがりが聞いて呆れる。結局、死のうとしていたのに、死ぬことが怖かったのだ。
「はぁ……」
思わずまた溜め息が漏れる。そこでふと、教室から賑やかな声が漏れ聞こえていることに気が付いた。
中学生の頃のような、走り回ったり奇声を発したりというのとは違う。話し声や笑い声はすれど、あくまで落ち着いた穏やかなノイズだ。
ここに至るまで静かだと錯覚してしまったのは、そのせいだろう。
さすがは高校生と言うべきかと、どうでも良いことに感心してみる。
——一年四組……。
頭上のクラスプレートを確認し、ドアの取手に手を掛ける。開けようと力を込めると、やたらと重く感じた。
そんな錯覚を起こしたのは、多分、教室に僕が入った時のクラスメイトの反応が予想できたからだろう。
気が重い。新品のネクタイを少し緩めて、改めて教室の戸を慎重に開ける。
一歩教室に踏み入ると、生徒たちの視線が僕に集中した。途端に、波が引くように、談笑がささやき声に変わる。
「あの人?」
「そう。飛び降りたんだって、屋上から」
「何か可哀想」
予想通りの反応だった。
上っ面の同情と奇異の目に晒されながら、自分の席へと向かう。
——ああ……。
死んでしまいたいと思った。
ただこれは、僕が常日頃から抱いている本当の「死にたい」という感情とは異質のもので、この場から立ち去りたいと同義の、逃避の意味での「死にたい」だ。
憐れむような、蔑むような視線。
ひそひそと嘲る声。
知らぬ振りをして、スクールバッグを机の横に掛ける。
——煩い。
じわりと手に汗が滲む。
死ね死ね死ねと、心を落ち着けるために、胸中で自分に呪詛の言葉を掛けた。
ますますあの女子生徒が憎い。あの女が余計なことをしなければ、こんな思いをすることはなかったのだ。
「はぁ……」
今日だけで何度目になるか判らない溜め息を、小さく吐き出した。
——落ち着け、僕。好きに言わせとけば良い。気にするな。
動じるなと言い聞かせる反面、本心ではやはり居心地の悪さを感じている。理想と現実は違うのだと、つくづく思い知らされる。
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