傾いていた者たち

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 綾斗は圭吾とも友人と言える距離の付き合いがあった人物だ。互いに真癒ほどではないがふたりで話すこともあったし、それなりの情がある。圭吾が失踪したことも知っていたし、脱け殻になった真癒を友人として放ってはおけず、今まで以上に話しかけるようにしていた。  それに、綾斗は圭吾が真癒に向ける少し歪みのある愛情も知っていた。自分に向けられた嫉妬の目も憎悪の目も、真癒に向けていた支配欲も所有欲も独占欲も、綾斗は全て一歩引いたところから見守っていた。だからだろうか、綾斗はどうしても圭吾が死んだとは思えなかった。  だが当の真癒は圭吾の生死については半々といった様子だ。基本的には「死体を見るまでは生きてると思うことにする」と言っているが、時折「もしかして」と呟いては仄暗い目をする。友人たちをロミオとジュリエットにはしたくない。真癒まで消えてしまわないように、綾斗は彼女をかなり気にかけていた。  「ねぇ、嫌じゃなければ俺と舞台観に行かない?たしか舞台好きだよね」  ある日、少しでも真癒を元気づけようと、綾斗はバイト代で舞台のチケットを買って彼女を誘った。ほとんどのことに興味をなくしてしまった様子の真癒だが、だからこそ「嫌じゃなければ」という誘いに弱かった。興味を失い過ぎてほとんどのことが嫌でもないからだ。真癒は差し出されたチケットと綾斗の顔を暫し見つめ、小さく頷いた。  観劇の当日、真癒は運命の出会いをする。隣の綾斗を含め、他の観客の存在を感じなくなる。舞台と自分だけの空間に思える。舞台上で生きるひとりの俳優に強烈な憧れを抱くと同時に、彼らの演技によって鈍くなっていた感情が涙になって一気に溢れ出た。それから相変わらず表情はあまり変わらないながらも目を輝かせる真癒に、綾斗は心底安堵していた。  「やりたいこと見つけた」  観劇を終えた帰り道、あのさ、と声をかけて立ち止まり、真癒が綾斗の目を真っすぐ見て言った。圭吾がいなくなる前の、元の真癒の目をしていた。意志の強さを感じる真癒のその眼差しが、綾斗は人として好きだった。  「あいつが何処にいても見えるところまで上がってやろうと思う」  真癒は口角を上げて駅前の巨大広告を見据えた。そこには先程の舞台の広告。誰もが知っている漫画が原作のそれの、主演の俳優の顔がでかでかと掲げられていた。その笑みと決意に、綾斗の胸の奥底で燻っていた思いに火が着く。その瞬間、本当にやりたかったことをハッキリと自覚した。  「俺もそれ、やろうかな」  「いいじゃん。何になるの」  ほとんど無意識に吐露した綾斗の言葉に、真癒がすぐに返した。"なりたいの"ではなく"なるの"と尋ねるのが真癒らしい。早くも自分らしさを取り戻しつつある真癒に、綾斗は足元から頭の天辺まで一気に高揚感が駆け抜けた心地だった。ニヤリと笑い、綾斗が宣言する。  「真癒の最高の1枚を撮る人になるよ」  綾斗の答えに、今度は真癒がニヤリと笑う。そしてどちらからともなく無言で片手を掲げ、ぱちん、と音を立てる。真癒と綾斗の、共犯者にも似た絆が生まれた瞬間だった。この時から、いつか圭吾が帰りたくなった時の目印になるための、ふたりの戦いが始まった。
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