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「あ」
「あっ」
次の週に参加した殺陣のワークショップで、真癒は先週のオーディションの卓也役と再会した。
「こんにちは。また会いましたね、浅香さん」
「……こんにちは。先日はありがとうございました」
オーディションという緊張する空間じゃないからか気さくに話しかけてくる彼に、真癒は小さく頭を下げた。そのまま会話を終えようとした真癒に臆さず、彼は手を差し出す。
「こちらこそ、こないだはありがとうございました。改めて……俺は東堂匠と言います。気軽に匠って呼んでください」
「……では私も真癒でいいです。よろしくお願いします、匠さん」
「よろしくお願いします」
これは主催者が来るまで会話して待つ流れか、と真癒が握手に応えると匠は嬉しそうに笑った。犬耳と尻尾が見えるようだ、なんて考えながら真癒は半歩だけ匠に距離を詰めて並ぶ。
「……すみませんでした。こないだ、たぶん俺、足引っ張りましたよね」
「?」
眩しいほどに明るい笑顔から一変、匠はしょんぼりと肩を落として地面を見つめながら謝罪した。真癒は首を傾げて匠を数秒見つめ、先日のオーディション時に真癒だけが審査員から言及されたことを思い出す。
「ああ……。審査員が私にだけ声をかけたからですか?」
「はい、そうです。俺じゃなければもっと真癒さんはすごかったかもって思って……。俺、ああいう時に声かけられたことなくて。きっと事務所のレッスンでは上手くなってるって言ってもらえてるけど、たぶんまだまだで……一流の役者なら、相手のポテンシャルを引き出せるはずで……」
視線を落としたままどんどん暗くなっていく匠に、真癒は目を瞬いた。明るい人かと思ったがなかなかに思い詰めているようだ。
「上手くなってるって言われてるなら、ただ本番に弱いだけかも知れませんよ。あと相手のポテンシャルを引き出せなかったのは私もです。最初から一流になるのは無理なので、私は今のところはそこは諦めてますけど」
真癒の言葉に顔を上げた匠は、瞳を潤ませた状態で真癒に抱きつく。身長差があるので"覆い被さった"という方がしっくりくるかも知れない。真癒は内心で「やっぱり大型犬だ」などと考えながら、しかし真癒の通う大学にはスキンシップの激しい人が多いために特に気にせず、その大きな背中をぽんぽんと叩いてやった。
「真癒さぁーーん!真癒さんって無表情なのに優しいんですね!もっと人に興味ない人だと思ってました!」
「いや失礼だな、おい」
慰められて喜んで抱きついたくせに何気に失礼な匠に、真癒は思わず敬語を忘れてツッコミを入れた。
そこへ他の参加者が数名やって来ては、何故かくっついているふたりを見て首を傾げる。
「何これ、どういう状況?イチャついてんの?」
皆が口にしなかった疑問を声に出したのは、これまたオーディション会場にいた女性――佐倉里奈だった。彼女は真癒がその技術を盗もうとじっと見つめていた、演技の初めの部分"入り"で空気を作っていた人だ。
里奈の言葉でぱっと身を離した匠が、へらりと笑って「慰めてもらって嬉しくて抱きついただけ」と弁明したので、真癒は静かに頷くだけに留めた。それからそっと里奈に近づき、手を差し出してみる。
「私、浅香真癒、21歳です。先週のオーディション会場であなたを見ました。入りの空気を作るのが上手いと思いました。尊敬します」
「えっ、あ、ありがとうございます……。私は佐倉里奈、20歳になったばかりです。里奈って呼んでください」
「里奈さん……よろしくお願いします」
「よろしくお願いします」
役者という同じ夢を追う者同士の、その全てが競争心の塊という訳ではない。真癒は元々あまり競争心というものを持ち合わせていないし、里奈は良くも悪くも平和主義だ。ギラついたものを纏わないふたりは、互いにそれがわかるのか、笑顔で握手を交わした。
そこへズルいズルいと騒ぎながら匠が加わり、3人で連絡先を交換する。ワークショップが終わったら帰りにまた話そうと約束し、主催者が現れたことでその場は解散した。
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