過剰な饗応

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過剰な饗応

 赤漆の膳には、天辺から時計周りに、御作り、寿()のもの、多喜(たき)あわせ、祝い肴、吸い物が沈む紅の椀、栗赤飯で一つの輪をなし、中央の家喜(やき)もので締められている。小ぶりではあるが、鯛だ。  しかもどれも、食べ過ぎないように、と念でも押されたような小盛りで揃えられている。  自身にはまるで覚えのない、過剰にもとれる慶事を示す(もてな)しに、舞衣子は答えを求めるように(みぎわ)を見た。  下座に戻った汀は、色彩のない瞳許を優美にほそめる。 「あら、当然よ。だって今日は、舞衣子さんを招待したんだもの。恥ずかしいけど、この家に人を招くことは、滅多にないの」  うふふ、と特に含羞のない微笑を漏らす汀に、何か付け加えようとしたところ、 「ほんに、汀さんが御客に膳を運ぶとは。何とも珍しい。のう、(さい)さん」 「ほんに、汀さんが御客に膳を運ぶとは。今宵はなんと、目出たきことか。のう、き()さん」  突如汀を挟むように坐る、二人の老婆、汀からは大叔母たちだと聞いていたが、おそらく右の木槿色を纏う方からだろう、互いへ向かい合い、機械仕掛けの人形のようにほぼ同じ文言を繰り返したので、 その面妖さ、"目出たさ"の余計な不明瞭さに面食らっていると、 「"兄さん"、」  これも卒然、木槿色の老婆の手前に居る、学生服の少年が、今まで一度たりとも視線を寄越さなかったのに、眼の前の対象物ではないを視ているような、その端正であるが故に魂を持たないつくりものめいた眼をおおきく瞠き、、平坦な声で確かにそう口にしていた。 「ええっ……!?」  思わず舞衣子が小さな当惑の叫びをあげると、汀は淑やかな笑いを鳴らし、同じ口調で言葉を挿した。 「失礼よ、極生(きわを)。こんな可愛らしいひとに。 御免なさいね。極生は、空想家なの。おとこの児って、そういったところがあるでしょう? でも学はあって、中等部の頃から皇都大のA’判定を頂いているのよ」  汀の手前、やむを得ずはあ……と納得させた返事を零す。  極生は、姉からの言葉に何か得心したのか、舞衣子に向けていた貌を、何の感情も見せぬまま再び正面へ向けた。目の前の膳には、手を付ける気配がない。 「ともかく、みんな舞衣子さんを歓迎しているのよ。何の気兼ねもせず、どうぞ召し上がって頂戴ね」  麗々しい汀の微笑に、不穏が解ける気がして、返事をして箸に手を添えようとするや否や、 「きゃははははっ!」  極生の向かい、肩までの垂髪の童女が、調子が狂い、捻れた玩具のような歓声を上げ、 「たのしいなあ。うれしいなあ。あ、おにくう」  吸い物から顔を出す鶏のつみれを、指で摘んで汁ごと嚥下し、手頸に伝ったそれも、赤い舌を丸ごと見せてべろおりと舐め上げた。  黙っていれば、こちらも昔噺に出てくる稚き姫さながらの可憐さだ。それが人間本来のむき出しの食欲を見せつけているようで、舞衣子はまたも呆気に取られる。  加えて、またしても彼方から、ごほ、ごほおと、哀切に満ちるような咳が伝わってきた。  ここに来るまでの舞衣子は、確かに『期待』に満ちていた。  美しい汀。彼女自ら招待してくれた生家。そしてそこで生まれるかも知れない、人には明かしがたい、特別な『なにか』——。  二人で揺られる単行列車。世俗を忘れる明媚な山村。豪壮な蔵に括り付けられた駕籠。そして厳粛に全容の知れない、横長の日本家屋。  だが、この屋敷に足を踏み入れ、その目に見えるだけでない闇の塊りに、徐々に身体を獲られていくようなうすら寒さを、舞衣子の躰は率直に感じていた。  鞄の中のスマートフォンは、圏外だと聞かされている。  救いを求めるように、汀を見た。  舞衣子が視線を向ける前から、汀は彼女に慈しみにも見える透明な微笑を浮かべているようだった。  舞衣子はそれを、信じようとした。
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