1人が本棚に入れています
本棚に追加
銀色の初恋
その日、女は整形外科を訪れた。
「ええと……どちらの施術をお望みなのでしょうか。」
院長は不思議そうに、看護師は少し顔を赤らめてその女を見た。女はまさに絶世の美女。整形外科を営む院長の目で見ても、それは確実だった。「こんな美女が何の御用だろう」という疑問を、全員隠せずにいた。
「どちらだと思われますか?」
女の逆質問に、更に戸惑う院長。看護師と顔を見合わせながら、「ええと、ええと……。」とうろたえている。
「アタシ、ぶっちゃけ自分の容姿は完璧だと思っているんです。」
「ええ、その通りですね……?」
「顔は生まれながらにして最高の顔面。ほら。このツリ目だって、女性的で愛らしいでしょう?」
「は、はあ……。」
「肌はスベスベ、それでいてモチモチ!ハリもあって、こんなに透明感がある奇跡的な肌。鼻も筋が通っていて、悪くない顔立ち。唇の長さや厚さ、鼻との距離感なんて、これほどまでにないくらい最高ですね。輪郭だってステキ。」
「え、ええ……はい……。」
「眉毛や髪型、服装、メイクなんかはあくまでプラスアルファ……基礎的な容姿のみをとっても至極の逸品。体型だって素晴らしいでしょう?肩幅、四肢の長さ、細さ、バランス、身長……アタシの容姿は本当に素晴らしいわ。」
「ええと……当院には、なぜいらっしゃったのでしょう?」
整形外科医から見ても自分は完璧なのか、確かめるためだろうか。そうだとすれば、面倒な客もいたものだな。と院長は心の中で呟く。
「……アタシ、フラれたんです。"ブス"だと言われて。」
「あちゃー……。」
「プライドは一ミリも傷付きませんでした。」
「そうでしょうね。自分で完璧だとおっしゃっていましたし。」
「でも、心はちょっと……傷付かなかった訳ではないんです。アタシ、ずっと自分は可愛くて美人だと思っていて……アタシほどの美女はまずいないと思っていたんです。だからこそ、アタシの何がダメなんだろう?と思いました。灯台もと暗し……アタシには全く見当もつかないのです。」
院長は、"ブス"とフラれてもなお、自分の容姿に絶対的な自信を持つ女に、呆れると同時に尊敬の念を抱き始めた。
「アタシのダメな箇所……お金はいくらでも払いますから、治療してください。」
「と、言われましても……。ワタシからしても、貴女の容姿は息を飲むほどに美しいです。寸分の隙もない……貴女の言うように、完璧な容姿だと感じます。」
「先生。アタシ、お世辞は嫌いです。」
「お世辞ではありませんよ。貴女がご自分を完璧だと思われるなら、それは完璧なのです。」
「あの人にフラれるような顔なのですから、きっと完璧ではありません。」
キリがない。顔の善し悪しとは単に、価値観の違いである。それ故に、この論争には正解がない。院長は、それを悟っていた。
「失礼ですが、フラれたというのは、いつ頃のことなのですか?」
「中学一年生の秋です。」
「古の記憶ではありませんか!!」
「古ですって!?アタシは今でもゾッコンです!」
「失礼しました。お相手は同い年ですか?」
「ええ、同級生です。一年B組でした。」
女は腕を組み、答えた。院長は、話を聞いて褒めてやれば、満足して帰ってくれるだろう……という魂胆を隠して、話を聞いた。
「それくらいの年頃でしたら、異性と話すというのは、変に意識してしまうものなのではないでしょうか。その人は、本当は貴女の容姿を完璧だと思っていながらも、そんなことを言ってしまったのかもしれません。」
「異性ではないのですが。」
「これは失礼。美男美女という四字熟語もありますから、勝手なイメージでお話してしまいました。……しかし、保健の教科書に載っているような"異性"とは、すなわち恋愛対象のことでしょう?」
「ええ、アタシもそう思います。」
「そうなると、やはり貴女への好意の裏返しで、そんなことを口走った可能性もあります。」
「あくまで、アタシの顔が悪い訳ではないと?」
「はい。いわゆる、女の子同士の嫉妬というものかも……。連絡先はお持ちなのでしょうか?成人式や、同窓会なんかでは会われましたか?今一度その方に本音を聞いてみれば、良い答えが返ってくるかもしれませんよ。」
「本当に?」
「いえ、保証は出来かねますが……。」
女は鞄からスマホと紙切れを取り出した。
「この日のために、人づてに聞いたんです。あの人の連絡先を。」
「この日のため?」
後押しされる日を待っていたというのか?そんな些細なことのために、ここを訪れたのか?性格はともかくこんな美女なら、友人だって多いはずだ。なぜわざわざ、この病院にしたんだ……。院長は眉をひそめた。
プルルルル……プルルルル……
白衣のポケットから来る振動に、院長は驚いた。看護師達も顔を見合せている。まさかのタイミングに、思わず画面を見た。携帯の番号が表示されている。几帳面である院長は、知り合いの番号は名前で登録しているために、またも驚いた。したり顔の女は、院長に言った。
「電話に出てくださいよ、院長。……いえ、ミホちゃん。」
「嘘でしょう!?確かに、名前は同じだったけど……ミレイちゃんなの!?」
院長は既に、患者のことすら頭になかった。記憶が蘇る。覚えてもいなかったが、中学校では一年B組。秋、十月七日……ミホの誕生日に、ミレイは告白したのだ。
「どーお?ビックリ?アタシも、ミホちゃんが更に更に可愛くなっててビックリしちゃった!」
「わざわざ来るなんて……し、仕返しでもする気?ワタシがフったからって……。」
「仕返し?まあ、これからじっくりしていきたいね。こんなに好きにさせた仕返しとして、アタシを好きになってもらうわ!!」
女は腰に手を当てて、ニカッと笑ってみせる。
「……もう。ミレイちゃんったら、相変わらずなんだから。」
院長はクスクスと笑った。
「「懐かしいね。」」
同時にそう言えば、二人で顔を見合わせて笑い合う。
「ミレイちゃん、ごめんね。ワタシ、あの時は本気だって思わなくて……それに元々、ミレイちゃんに……嫉妬してたの。大好きだったのに大嫌いで、あんなことを言っちゃった。」
お互い携帯を耳に当てたままで、ミホの話は続く。
「ワタシと違って、自信があってカッコ良くて、それなのに可愛くて……友達も沢山居たでしょ?ワタシはミレイちゃん以外居なかったのに、ミレイちゃんはワタシ以外とでも、あんなに楽しそうに笑えるんだなって。……ヤキモチ、妬いちゃった。いつの間にか卑屈になっちゃって、告白の言葉も嫌味に聞こえて、怖くなったの。」
涙が浮かぶその顔に、ミレイはそっと手を添えて、流れた涙を拭った。
「この仕事も、"美人でなきゃ美人に馬鹿にされる。馬鹿にされる気持ちがわかるワタシが、そんな可哀想な人を救わなきゃいけないんだ"……なんて、今思えば失礼だけど……本当に、そんな理由で始めたの。ミレイちゃんは本気で、ワタシを好きでいてくれたって、薄々わかってたけど……あんなこと言っちゃったし、もう顔向け出来ないなって……。」
ミホの鼻孔を、淡く甘い香水の匂いがくすぐった。ミレイに抱き締められたミホは、呼応するように抱き締め返す。
「ごめんなさい、ミレイちゃん。ワタシも……本当は、ミレイちゃんが大好き。」
「ミホちゃん……!!」
ミレイは三歩ほどミホから離れ、電話を切る。かと思うと、鞄から可愛らしい花束を取り出して跪いた。
「アタシもまだ……いいえ、これからもずっと、ミホちゃんのことが大好き。アタシと……付き合ってください!!」
「……ふふっ、喜んで!!」
二人は、花弁が輝くような笑顔を絶やさないまま、抱擁し合った。軽快な拍手と、金と銀の花束。
「幸せだね。」
口にせずとも、二人の声は揃っていた。
「ねえ、ミホちゃん。何か気付かない?」
業務時間終了後、二人は手を繋ぎながら歩いていた。
「え?うーんと……ヒントは?」
「もうっ、いつもヒントから聞くんだから!」
「だって、ミレイちゃんがいつも教えてくれるから……。あ!今日、ワタシが誕生日だから来てくれた?」
「それも正解!」
「それも?」
ミホは首を傾げる。ミレイはニヤッと笑い、「ヒントは、その花束!」と指さした。
「……あっ!金木犀と銀木犀……だよね?中学の時も、この花束を持って告白してくれた。」
「あったり!ご褒美に花言葉、教えてあげる!」
「ワタシ、覚えてるよ?」
「ほんとー?じゃあ、せーので言ってみる?」
「うん!」
二人は声を揃えた。
──「「 」」。
最初のコメントを投稿しよう!