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「そう。僕たちが生きる世界と、君がこれまで生きていた世界は、そもそも構成概念が違う……おっと、何故かは聞かないでくれよ。そういうものなんだから」
「そういうもの……」
アンジェリカは、この言葉が心底嫌いだった。
アンジェリカの人生も、想いも、アンジェリカ自身も、何度も「そういうもの」という言葉で否定され続けてきたから。
「怖い顔しないで、僕の……聖女」
「……聖女? 私が、あなたの?」
「そう。君は、僕の神力によって甦り、聖女になってもらわなくてはいけないからね」
聖女と言うのは、ルナ教の聖堂で働いている女性のことを意味しているのだろうと、アンジェリカは分かった。
神に一生を捧げると誓い、神と神を愛する人々のために愛と労働を捧げる女たち。
アンジェリカも、王家の奉仕活動の中で彼女たちと話したことはあった。
国民から天使と崇められているはちみつ色の悪魔よりずっと天使のような存在だと思った。
服も髪も地味を強要されているせいで、あの悪魔より目立つことがないからだろうが。
彼女たちに貴族のようなドレス……特にミルク色のシルクの服をまとわせたら、さぞ似合うのではないだろうかと考えたことすらあった。
(私なんかより、ずっと……美しいかもしれないわね)
なのに、この自称神は、その聖女になれと、アンジェリカに言ってくる。
アンジェリカの意思などは、聞かずに。
そう言うところは、アンジェリカが今この世で最も憎んでいる人間たちとそっくりだ、とアンジェリカは思い、嫌悪した。
「私は、あなたのものになった覚えもありませんし、聖女になる意味も分かりません」
「言っただろう。君は次の神の候補だった。でも自殺をしたせいで、資格を失ったどころかこのままだと怨霊化は間違いない。それを救いたくて僕は」
「かまいませんわ」
「…………何だって?」
「私の希望は、怨霊になることですの。だから、自殺を選んだのよ」
アンジェリカは、ピーナッツ色の髪の毛をかきあげながらさらに続けた。
「これ以上、誰かの思惑に振り回されるなんて、まっぴらよ。私は私の道を行くわ。そして今、私がしたいことはただ1つ。あの2人に最恐の呪いをかけられる怨霊になること。それ以外は断固拒否よ」
「ええ……と? 僕の聞き間違いかな? 怨霊になりたいって聞こえたような」
「一言一句間違えてないわ」
「念のために聞くけど……理由は?」
「決まっているでしょう。復讐をしたいの」
「ふ、復讐……」
「ええ。私の生物学上の父親と、私の名ばかりの夫」
名前すら、言いたくない。
彼らの何かしらを思い出すのを、アンジェリカは嫌悪していた。
「けれど、その2人以上に地獄に突き落としたいのは、あの女狐悪魔よ」
そうか。はちみつ色は、狐色でもあったな、と余計なことをアンジェリカは思い出してしまった。
(誰だ、あれをはちみつ色などという、可愛い表現で例えていたのは……そうだ。最初は父だったわね)
それも、アリエルという名の女狐悪魔に言っていたのではない。
悪魔をこの世に産み落とした、どこぞのケバい女への、気持ち悪い口説き文句の中に入っていたから、アンジェリカもそのまま使ってしまっていただけだ。
(ああ、何ということ……人間の思い込みとは、どこまでも愚かなの)
「復讐をしたいから、怨霊になりたい……と?」
自称神が、信じられないと言いたげな目でアンジェリカに尋ねる。
「あの人たちは、人間は誰でも思い通りになればいいと思っている。思い通りにならない人間は殺せば済むと思ってるから。ほら、私を見てちょうだい。こうしてちゃんと、あいつらの思い通りに殺されたんだから」
「最終的には君、自殺してるけどね」
余程、この自称神にとっては自殺か他殺かは重要事項らしい。
アンジェリカにとっては、誰かによって死へと導かれたという事実は、どちらでも変わらないというのに。
「自殺した魂は呪いの源となって、人間に取り憑くことができるんでしょう? 取り憑かれた人間には、次々と厄災が起きるって、本に書いてあったわ」
「それが具体的にどういうことか……君は分かってるのかな?」
そう聞かれて、アンジェリカは自分が持っている知識を1個ずつ丁寧に思い出してみた。
「元から明るい性格の人間が、陰気臭い性格に変わる」
「…………他には?」
「体調が悪くなる、とも書いてあったわ。頭が割れそうな頭痛に襲われるとか、いくら服を重ねても治らない寒気とか」
「…………結構、調べてるね」
「もちろんよ。取り憑かれた人は事故にも遭いやすいとか」
「そうだね。怨霊のマイナスエネルギーが、事故を呼ぶからね」
「ああ、そうそう。これなんか最高だと思うのよ。つい自殺したくなっちゃうようになることもあるみたいね。ふふふ」
「随分と……楽しそうに話すね」
「この世の全てを手に入れたって、全人類を馬鹿にしているようなあの三人がそんな風に、あいつらが馬鹿にしていた私のせいで人生を終わりにして、あの世に行けないって嘆き苦しむ。……想像するだけで、心が踊るわ」
「うーん……おかしいな……僕が見てきた君は、もっと清楚で勤勉、他人の幸せのことばかり考えている、まさに健気で気高い聖女を地で行ける子なはずだけど」
「その結果が、これよ。健気?清楚?勤勉? ……そんなものではもう、私の中に溜まった虚しさを解放することはできないのよ!」
そう、アンジェリカが叫んだ時だった。
「しまった……!!」
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