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ミシェルは、三日月のペンダントをアンジェリカに見せながらこう言った。
「このペンダントに、見覚えは?」
「あるわ」
それが、聖女として儀式を終えた証拠であり、聖女として生きる決意をした人間は肌身離さず持たなくてはいけないのだと、1回目の人生で元聖女だったコレットが教えてくれた。
青みがかった白い石は、清楚な美しさを持っている。しかし一方で壊れやすかったり、水に弱いという性質を持つことから、聖女たちは自分たちのペンダントの手入れも修行の1つにしているとも聞いた。
「であれば、このペンダントを身につける意味は、ご存知ですか?」
「ええ。聖女ですと周りに示すためのものよね」
そう言いながら、ミシェルはアンジェリカの背後に回る。
ペンダントを、アンジェリカの首にかけるために、チェーンを外しながら。
「このペンダントをアンジェリカ様が身につけた後に、僕が神に、あなたを聖女にする許しを得るための祈りを捧げます。そうすることで、あなたはもう、俗世の人間ではなくなり、神の所有となります」
「それが、聖女になるということ?」
「はい。聖なる女……文字通りですね。聖なる存在には、貴族の掟など一切通用しない。神と、神に仕える我々だけが、あなたに干渉することができるのです」
「貴族の掟が、通用しない?」
「ええ。例えば……あなたが王子との婚約を破棄することは、王ですらも咎めることができません」
「そう……」
「つまり、あなたの身も心も、聖女になることで守ることができるのです。それに……」
ミシェルは、整った口元をアンジェリカの耳元に近づけ、内緒の話をするように吐息だけでこう言った。
「元々自分の所有物だと思っていた物を、横から掻っ攫われたと知った人間は、あなたが思う以上に興味深い程の苦痛を味わうそうですよ」
「…………へえ」
その言葉は、聖女になることに積極的ではなかったアンジェリカの心を動かした。
早く、聖女になりたくてたまらない。
そして、あいつらが悔しがる顔が見たい。
それもまた、アンジェリカの本音だった。
ミシェルはその黒い本音を見なかったことにして、さらに話を続けた。
「どうせ、あなたは生まれ変わったのです。理由も過程も、この結果の為の道具に過ぎません。私は教皇として、アンジェリカ様……あなたの尊厳と名誉を神の代わりに守って差し上げましょう」
「それをすることで、私には失うものはあるの?」
「性的な行為は一切禁止とさせていただきます」
「大歓迎だわ」
獣のような体位を強制され、無理やり体内を暴かれる苦痛は、もう二度と味わいたくない。
「ルナ教徒のための活動に勤しんでもらいます」
「構わないわ」
王妃という立場は大嫌いだったけれど、王妃として国民に奉仕をする時間はアンジェリカの心を励ましてくれていた。
「この街を離れ、修道院に入っていただきます。俗世で得た物は、何も持ち込むことは許されません」
「そんなもの……私には必要ないわ」
アンジェリカが本当に欲しかったものなど、何も持っていなかったのだから。
「そうですか。であれば、問題はなさそうですね。……このネックレスを、つけさせていただいても?」
「これを身につけた瞬間から、私は聖女なのね」
「はい」
私は、目を瞑った。これまでの人生を思い出すために。
アンジェリカとして、貴族として生きてきた窮屈な人生に、さよならを告げるために。
「いいわ。やってちょうだい」
「後ろで留めるだけの、簡単な仕事ですけどね」
そう言いながら、ミシェルは流れるような手つきで三日月のペンダントを留めた。
アンジェリカは、自分の胸元で光り輝くようになったムーンストーンから、温かいエネルギーが体内に入り込むのを感じた。
「おや、ペンダントが喜んでいますね」
「喜ぶ?」
「ええ。あなたが、聖女としてふさわしいと、このムーンストーンが認めたのです」
「そう……嬉しいわ」
それは、アンジェリカの本心。
人でないものでも構わない。
自分が何者かに認められるという事実が、アンジェリカの背中を押した。
聖女として生きる、これからの人生を。
「では、アンジェリカ様。僕の方を見てください」
アンジェリカとミシェルが向き合う形になったところで、ミシェルは手を組んだ。
「神よ。この者は俗世を断ち切り、神の使いであり子、そして伴侶としての道を選ぶこととなりました」
(ん?)
伴侶とは、結婚相手のこと。
なぜ祈りの言葉にそのような言葉が入るのか、アンジェリカは違和感を覚えた。
「どうか、神のご加護と力を、聖女アンジェリカにお授け」
「待って」
アンジェリカはミシェルの祈りを止めた。
「どうしたのです?」
「アンジェリカって名前だけど……それも、捨てたいのだけれど」
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