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入部
この胸の高鳴りは何だろう。
薫は、高橋先輩のことを思い返すたびに胸がドキドキした。
待っていても始まらない。
薫は、思い切って野球部の門を叩いた。
「野球部、入らせて下さい」
顧問の太田先生に頭を下げる。
「いや、まあ、入ってくれるのは嬉しいんだけど、もう2年生だろ。俺は実力主義だ。はっきり言って、試合に出られるとは思わないで、」
「いいえ、マネージャーでいいんです」
薫は太田先生の言葉を遮って、希望を述べた。
「まぁそれなら」
と太田先生が鼻を掻く。
「マネージャーも、女子が3人いるから、先輩に気を遣う仕事になるぞ。野球のルールを知らないなら、多分雑用だけで終わる。それでもいいんだな?」
「構いません。お願いします」
薫は頭を下げた。
カン、とボールがバットに当たる気持ちのいい音が鳴る。薫はさっそく、ノックのボールを武田選手に渡した。
野球部に入る前はルールなど、テレビで見る程度だったが、そこはインドア派の図書委員。寝ずに本を読んで勉強した。
ざっ、と土が擦れる音がする。ボールが投げ返されてきた。武田選手は左手のミットでパシンと捕球する。
野球部では、なんでもない動作なのだろう。でも、まるで演劇のように完璧に振りつけられた動作は、感動すら覚える。皆、必死で上を目指すということは、こんなにかっこいいのか。
汗と土の臭いですら心地よい。
「薫、ここはいいから、早くドリンクの準備をして」
「はい。伊藤先輩」
伊藤先輩は3年の古参マネージャーだ。キビキビと的確な指示を出し、選手の信頼も厚い。チアリーディング部に欲しいと言われるほど容姿が良く、すらりと伸びた長身に、表情がころころ変わる顔が、ムードメーカーになっている。顔のパーツが整っていて、美人の偏差値があるとしたら、優に60は超えている。
薫は部員全員のボトルに、プロテイン飲料の準備をした。
思っていたほど、野球部はブラックな部活では無かった。多分昔のマンガなどで、悪いイメージが先に刷り込まれてしまっていたのだろう。
栄養はきっちりプロテインや、吸収の速いハチミツでとる。規定投球数以上は投げない。怒号や叱咤が飛ぶこともあるが、個人の人格を否定する言葉は一切使わない。
練習も、プロが行うようなことを真似た洗練されたものだった。
試合直前、薫は高橋先輩のピッチング練習をサポートする機会ができた。
マウンドに立った高橋さんが、思い切り玉を投げる。バシン、と音がしてキャッチャーミットに収まった。
その姿勢を、スローの動画で見るのだ。
「ダメだな。シュート回転してる」
高橋先輩がスロー再生を見ながら、残念そうにこぼした。
「シュートだと、何か不味いんですか?」
野球初心者の薫には、良く分からなかった。
「ストレートが変化するってのは、ダメなんだ。真っすぐ正確に投げるのは、ものすごく難しい」
高橋先輩が指を出した。全部で九本だ。
「ストレートは、9種類ある。内角高め、真ん中、低め。中央高め、真ん中、低め。外角高め、真ん中、低め。これを完璧にコントロールできたら、相手がメジャーリーグの選手でもない限り、三振を狙える」
ただ真っすぐ投げる球にも、これだけの技術が凝縮されているのか。
「西村は、できるよ」
高橋先輩がつぶやいた。
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