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「どう? ぜんぶ読んでくれた?」
授業中、いつもの桜の木の下で、佳乃先輩はわくわくと僕に感想を訊ねてくる。
「……先輩って、片親だったんすね」
「んふふっ。意外?」
いや、どうでもいいけど……とは口に出さなかった。けど、顔を見て指摘された。僕は本当に分かりやすいらしい。
日記には、佳乃先輩の境遇や心境が、これでもかというくらい細かに綴られていた。
春休みに発症した佳乃先輩は、なかなか現実が受け入れられず、毎晩飲み歩いている母親の真似をし、夜の街に出かけて遊び呆けていた。
そうすると、確かに辛さが紛れていった。母親も、佳乃先輩が病気に罹ってから、飲酒の量が増えた。親子って似るよね、と佳乃先輩は儚く笑う。
「遊んでいる男にも、病気の話したんすか」
「うん。……軽くね。みんな、憐れな目を向けてくるから、気持ちよかったぁ」
佳乃先輩は、ぽうっと頬を赤らめる。
確実な異常をあらわにしていた。
「どうせ死ぬなら、ちょっとでも人のココロに残りたいでしょ? みーんな、気分よく私の話に涙して、私のオネガイを聞いてくれるの」
あぁ、と僕は眉を顰めて遠くを見る。
この人のこと、やっぱり嫌いだ。
「……生憎、僕は涙が枯れているもので。すみません」
「んふふっ。秋くんはそれでいいんだよ!」
あどけなく笑う佳乃先輩の髪が小風に揺らされ、一瞬、桜そのものに見えた。
つくづく、不思議に思う。この人は、どうして僕に声をかけてきたのか? と。
「……佳乃先輩の周りにいる人は、クズばっかですね。ほんと、見る目がないっす」
「見る目があるから、選んでるんだよ」
佳乃先輩は、僕をまっすぐに見て言う。
「そうやって、私のことを可哀想に思って、存分に軽く扱ってくれたらいいの。あぁ、もう治せないんだねぇ、って。そしたら気が楽になる。死なんて、怖くなくなるんだよ」
澄んだ桜色の、光のない目を見続けていると、ふいっと逸らされた。桜色の睫毛が、頬に影を落とす。
あぁ、なるほどねぇ。と、僕は腑に落ちる。
この人は、もうとっくに壊れている。
死が怖くて、まっとうに生きるのも怖くなっているんだ。
やっぱり、僕とは正反対の人――だからこそ、僕に近づいてきたんだ。
僕にして欲しいことが、なんとなく分かった。
だけど、この予感が的中しているとしたら、それはもう面倒くさいことで……。
僕は、ため息を吐いて立ち上がる。
すると、佳乃先輩は僕の裾を掴んだ。
ただ黙って、寂しそうにこちらを見上げている。
捨て猫なんかに、同情したことはなかったけど。……そんな、余裕はなかったけど。
さすがに人間は、見捨てられないな。
「佳乃先輩」
「んー?」
「今度、二人でお出かけしませんか」
この時、僕は密かに、確かに誓ってしまっていた。
この人のこと――僕だけでも、大事にしよう、って。
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