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[木蔦]を懸命に追走し続ける陽の横を小さな黒い点が通り、即座に彼を抜き去ってく。
「っ!? なっ…」
リアクションを取る間も無く追い抜かれ、虚を突かれたサルファーは思わず空中で停止する。
呆けた面を晒す彼にその後ろ姿を見送られながら、黒い蝶は白い球体へみるみる迫り、その前方へ躍り出た。
[木蔦]の思念体は、眼前に立ち塞がった蝶――鱗を見、その気配をざわつかせた。
「! …貴様…」
「お前は『転異空間』で終わりだ」
「…ふん…[異形崩れ]が。意識体だけ痕された能無しのお前に何が出来る?」
小さなその躰を飲み込もうという気迫で凄む[木蔦]へ、鱗は感情を消し去った口調を返す。
「今はこの蝶の躰がある。何も無い素っ裸なお前よりましだ」
「…ならばその躰を奪って、お前を喰らってやるまで。[異界のもの]に魂を売っていながら、あろうことか『守護者』に肩入れして[俺]の行動を盗み見るとはな…半端者の分際で、小賢しい真似をしてくれたものよ。低俗なお前に相応しい最期をくれてやる」
「…やってみろ」
そう呟くと、鱗は小さな躰を震わせた。
直後、白い空間が刹那にして暗黒に変わる。
「……!!」
離れた地点に止まっていたサルファー、また地上から彼らの動向を追っていたセイバーたちの目が見開かれ、身体を硬直させたまま上空を凝視した。
突如空間一帯を闇に変えた影は、翅を広げた巨大な蝶だった。
『転異空間』の宙を覆い尽くす蝶は、暗がりの中に発光する[木蔦]の思念体を浮きあがらせる。
「喰らうのは、僕だ」
たなびく黒瑠璃の翅に、白金に輝く四つの蛇の目が開眼し、もはや極小の点となった[木蔦]を見下ろす。
ついで、翅をひと振りすると躰の前へ畳み、発光体を覆い尽くし、飲み込んでいく。
「…ア゛ア゛ァァァァ……」
[木蔦]の長い断末魔が少しずつか細くなっていき、気配と共に消滅した。
セイバーたちが見守る中、巨大な蝶は再び翅を広げる。
そして蛇の目を閉じて元の黒瑠璃へと戻ると、翅の先端から少しずつ霧に変えていく。
蝶はゆっくりと躰を空間に散らし、やがてその姿の全てを消し去っていった。
「……」
セイバーたちは無言のまま、その光景を最期まで見届けた。
『転異空間』のすべての[脅威]が消え去った。
蒼矢は強張った面持ちでオニキスへと振り向いた。
「……彼…は」
「あいつは、此処を最期と決めてたらしい。…俺と再会した時点で、消えかけてたんだ」
「……」
同じようにオニキスへ、烈と葉月が複雑な表情を向ける中、オニキスは彼らへにやりと笑い返した。
「気にすんな、あいつが出来る精一杯の罪滅ぼしだと思ってやればいい。別れ際は笑顔だった…悔いは無ぇだろうよ」
彼の言葉を受け、セイバーたちは再び宙を見上げる。
鱗の姿が消えて明るさを取り戻し、『転異空間』はその役目を終え、何事も無かったように『現実世界』へと溶けていく。
それぞれが無言のまま帰還を受け入れていく中、オニキスはひとり空間の上空を仰ぎ、小さく呟いた。
「……またな」
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