#7:可憐

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#7:可憐

 優がそんな大切な曲を自分の為に弾いてくれた事に、楓雅は初めて優に一目惚れした感覚が心に宿った。   (……また好きになってしまいました)  嬉しそうにその曲について語る優の姿があまりにも愛おしくなり、気付いた時には楓雅は優に抱きついていた。優は少し驚いたが、楓雅がふざけているのだろうと思い、呆れた顔をして、笑い返した。しかし、楓雅は真剣な顔をして、優の肩を持ち、真っ直ぐ見つめてきた。 「このタイミングで言うのは少し卑怯かもしれませんが、聞いてもらってもいいですか?」 「ん? うん、何?」 「僕は、ずっと前から朝比奈の事が好きなんです」 「えっ…………」 「あの時だって、僕が用事なんて放っておいて、朝比奈とずっと一緒にいれば、あんな事にならなかったって、ずっと後悔しています。朝比奈を守れなかった自分のせいだって……」 「そんな……あれは……」 「だから、悪さするような奴らから朝比奈を守りたい。朝比奈には幸せになって欲しいし、いっぱい笑っていて欲しい」 「楓雅君…………」  優は戸惑い、楓雅から視線を逸らし、身に着けていたペンダントを触った。楓雅は優の制服の襟元からちらりと見えるチェーンの存在に気付く。 「えっと、何と言うか……。あっ、別に嫌いとかそう言うんじゃなくて……。小さい頃によく遊んでた友達が忘れられなくてさ……。でも、いつ帰ってくるか分からないし、僕の事なんて忘れてるだろうし。忘れられてるのなら、それで良いんだけど、僕の方が未だに忘れられなくてさ」 「想い人がいるんですね。すみません……」 「諦めきれないとか……本当に馬鹿だよね」  優は身に着けていたペンダントを触りながら、苦笑いした。少し沈黙が続いたが、意を決して、楓雅が優に尋ねた。 「……僕がその人の代わりになるって言うのは……駄目ですか?」 「えっ……。でも、それだと楓雅君が……」 「その人が帰って来るまで、僕が朝比奈の事を守ります。それでは駄目ですか?」 「楓雅君は優しいし、女の子からもモテるし、嬉しいけど……僕には勿体ないし、楓雅君なら良い人見つけられるよ――」 「僕は朝比奈じゃないと嫌です! …………すみません、取り乱しました。今日はもう遅いので、帰ります。今日は素敵な曲を聴かせていただき、ありがとうございました」 「ま、待って! 楓雅君!」  いつも冷静な楓雅が興奮したように、声を荒げるのを見て、優は驚いた。そして、楓雅は小さな声で謝ると、足早に部屋を出て、階段を下りていった。優が楓雅を呼び止めるも、楓雅は振り向きもせずに、玄関を出ていった。  玄関のドアがバタンと閉まる音が心に強く突き刺さって来た。  ◆◇◆◇◆◇  楓雅を怒らせてしまったから、今日はいつもの待ち合わせ場所に居ないだろうと優は思った。どういう風に謝ったらいいか考えていたら、いつもの待ち合わせ場所が見えてきた。そこには、楓雅がこちらを見て、手を振っていた。優はぎこちない挨拶をすると、楓雅がまだ怒っていないか、様子を窺った。 「ん? どうかしましたか?」 「……ひゃぁ! 何でも無いよ!」 「ひゃぁ! って、朝比奈は可愛いですね」 「か、可愛くないよ! もうからかわないでよ!」 「ははっ、すみません。ほら、そんな離れると危ないですよ」  裏返った声で誤魔化す優を見て、楓雅は声を出して笑った。いつものように他愛もない話をしながら、二人は学校へ向かった。  楓雅の横顔、透き通った目、さりげない気遣い……。いつもと変わらないのに、優は楓雅の横顔を見ていると、なぜだか勝手に胸が高鳴った。優が俯き、制服の胸元を握り締めていると、心配した顔で楓雅が優の顔を覗き込んできた。 (なんで! なんで? なんでドキドキしちゃってるの? 落ち着け、自分!) 「朝比奈? 顔赤いですよ? 熱でもあるんですか?」 「ひぇっ? だ、大丈夫! 今日は暑いよね!」 「え? 今日はまだ寒いですよ。本当に大丈夫ですか?」 「そんな見なくていいから!」  顔の火照りを早く落ち着かせたい優は顔をパタパタと仰いだ。楓雅は優の顔を覗き込み、優の額に手を当てた。優は心臓がバクバクするのが分かり、楓雅と目が合わないように少し俯いた。楓雅は不適な笑みを浮かべると、優の耳元で囁いた。 「もしかして、僕の事を意識してくれてるんですか?」 「んにっ! 違うってば! ほんっとうに大丈夫! うーっ……、楓雅君の馬鹿ぁ!」 「ちょ、ちょっと朝比奈待ってください!」  優は急に学校へ続く上り坂を走り始めた。楓雅が呼び止めても、優は必死に走った。楓雅はまんざらでもない顔をし、優の後を追った。  その日以降、優は楓雅の事を考えるだけでドキドキして、まともに話せなかった。楓雅はそれに味を占めたのか、会う度に優へをし、自分の欲を満たした。
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