1人が本棚に入れています
本棚に追加
コドク
「なあ、寒くないの?」
初対面にしては、この言い方は馴れ馴れしすぎたかな?と自分で反省する。俺が声をかけたのは、中学生くらいの体格をした少年だ。彼は、バス停がある訳でもない信号機のそばに、いつもこの時間にいる。基本的に突っ立っていて、たまに三角座りをしたり、辺りを見渡すような仕草をすることもある。しかし、俺と目が合うことは一度もなかった。
時刻はまもなく深夜二時。そう、いつもこの時間だ。
「寒い。」
少年は俺の顔を見上げて、そう言った。声変わりもまだ、といった感じの声に、更に驚く。本当に、どうしてこの子はこんな時間に外を出歩いているんだ?
「はは、そうだよな。えーっと……急に話しかけて、ごめんな。心配でさ。」
「心配、ありがとう、お兄さん。お兄さん、寒い、違う?」
街頭に照らされる色から、黒髪で黒ずくめの少年だと思っていたばかりに、カタコトな口調にはなんだか妙な感じがした。
「お兄さんは大丈夫だよ。コート、貸そうか?」
「お気持ち、だけ。」
すっと手のひらを見せて、彼はそう断る。一瞬見えたその手のひらは、逆光で色はわからないものの、血の香りがした。
「そっか。どこか怪我してる?」
「満遍なく。」
「満遍なく?……大丈夫か?」
「……。」
少年は何も答えない。少し、いやかなり変わった子だ。満遍なく怪我を?……家で虐待をされているのか?だから、いつもこの時間は外に逃げているということか?一度、明るい場所で彼を観察したいけれど……家に連れていったら誘拐になるかな……?
「少し、お兄さんとお話しないか?立ちっぱなしは疲れるし……そうだ、公園にでも行こう。」
少年は黙って頷く。しばらくは川を跨いだ橋と、川に沿った道が続くため、俺は思考を巡らせて話をした。
「君、名前は?」
「忘れた。お兄さんは、何?」
「俺は悠陽。ちなみに、名字は河原。」
「……河、嫌い。ユウヒ。」
呼び名はユウヒで決まったようだ。それにしても、名前を忘れた?言いたくないのかもしれないから、追及はしないでおいた。
「河が嫌いなんだ。どうして?」
「言わない。内緒。」
「そうか……。ところで、なんて呼べばいいかな?」
「ユウヒ、決めて。」
「俺ぇ?」
ネーミングセンス、無いのになぁ……と頭を抱える。幼い頃からだ。犬の名前の候補を挙げれば、すぐさま両親に却下されたし、モンシロチョウの幼虫に「ミドリちゃん」と名前をつければ、結局白くなってしまった。その学びを活かしたつもりで、アゲハチョウの幼虫には「シロくん」と名前をつけてみれば、最終的には黒と黄色の鮮やかな色へと育ってしまったものだ。
「うーん……。じゃあ、ミカヅキ。」
「ミカヅキ?」
「今日は三日月が綺麗だからさ。どうかな?」
三歩後ろを歩く少年を振り返れば、「良い、凄く。」と答えられる。その時、ミカヅキの頬に、ガーゼが貼られていることに気が付いた。絆創膏も。満遍なく怪我をしているというのは、嘘ではないようだった。
「ミカヅキは何歳?」
「もう、数えてない。」
「何歳までは数えていたんだ?」
「十三歳。」
「今もそれくらいに見えるなぁ。」
「うん。」
「誕生日はいつ?」
「忘れた。」
「はは、忘れん坊さんか?何なら覚えてるかな。」
「後で、教える。かも。」
「本当に?そりゃ嬉しいな。」
少しぎこちないながらも、心を開き始めてくれた気がする。ミカヅキが聞かれて嫌なことを聞かないよう、気をつけないと。
「お腹は空いてないか?コンビニのおにぎりくらいならあるけど。」
「気持ちだけ、受け取る。ありがとう。」
「ま、見知らぬオッサンから食べ物なんて貰えないよなー。」
「お腹、空いてない、だけ。」
「そう?気は遣わなくていいからな。」
「気遣い、苦手。空気、読めないし。」
諦めたような、苦しそうな声に、俺は思わず振り返る。
「……ミカヅキが?」
「うん。」
「大丈夫だよ。子供なんて、馬鹿なことやってぐんぐん育つのが仕事なんだから。そういうことは、これから身についていくから大丈夫。」
「……これ、から……。」
とうとう公園に着いた。俺はベンチに座り、ミカヅキにも隣に座るよう促す。
「ユウヒ、幽霊、信じる?」
「幽霊?全く信じてないよ。ミカヅキは?」
「信じたくない。」
「家に怖いお化けでも出るのか?」
「お化けより、醜悪、居る。」
「……ゴキブリのこと?」
「ふふっ、違う。」
ミカヅキは、ふんわりとした笑顔を見せた。男の子だとばかり思っていたが、もしかして女の子か?と考え直してしまうくらい、可愛らしい笑顔だ。
「違うかぁ。俺の家にはね、ゴキブリはいないけどゲジが居る。俺からすれば、アイツこそお化けより怖いね。」
「益虫、良い子。」
「それも頭じゃわかってるんだけど、どうしても怖くならない?こうやって、ノソノソノソッ!ってさ。」
両手をワシャワシャと動かし、ちょっとした脅かしをする。ミカヅキは「ふふふ、そうだね。」と言って、また微笑む。俺はふと、ミカヅキの太ももから下が露出していることに気が付く。先程までは暗くて見えなかったが、今は公園の明かりが煌々と光っている。断られても心が痛いので、俺は何も言わず、ミカヅキの脚にコートをかけた。「わ。」と驚いた顔のミカヅキ。あどけないその声が、また可愛らしい。
「寒そうで、つい。」
「ありがとう、ユウヒ。」
ミカヅキは座ったまま、体を寄せてきた。誰かに見られたら大変そうだなと思いながらも、俺は肩に手を回した。
冷たい。
違和感が急激に高まった。その冷たさは、早春の深夜の寒さだけで出来るものではない。そう思うと同時に、本能的に感じてしまった。
ミカヅキはこの世の者ではない。
最初のコメントを投稿しよう!