魔王様と抱き枕

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魔王様と抱き枕

裏路地の占い師の探し物 外伝 魔王様とだきまくら ------------------------------ 魔王となってどれくらい経ったのか。あの争いからどれくらい経ったのか。ワシは城の暗くて狭い部屋の頑丈な壁に、持て余した大きな背を預けて、ゆっくりと瞼を閉じた。 黒い長い毛の隙間から温かい湯が浸み込んでくる感触を楽しむ。あの時はもう、こんな感触を楽しめないと思っていた。 幼い頃から共に育った最初の妻を亡くしたあの争いで、ワシの体は3階建ての家よりも大きくなってしまった。体の奥から聞こえる怨嗟の声はワシに戦えと命令する。もう、大切な者を失うのはコリゴリだというのに。 街にまで攻め込まれ多くの命が散った争いで、消えた命たちがワシの体に縋ったと人は言うが、定かではないが、心残りのようなものを感じる。 体が大きくなってしまったあの時は、1年以上も野晒のままに過ごした。自分の住んでいた城にさえ入れなかったのだ。 民が自分を慕ってくれていて本当に助かった。ワシが城に戻れなくなった事を知った領民たちが、争いで疲弊した自分達よりも優先して、新たに城を建て天露をしのげる場所を作ってくれたのだ。 自由の効かない狭さは感じるが、これ以上の贅沢な城は無い。 この体になってしまったのは、死の間際の領民の強い願いからかもしれないが、それならそれで享受して彼らの家族のために尽くそうと思う。いつか、彼らを安寧の『魔脈』に戻せる日が来るまで。 黒く艶やかな長い毛が湯を揺蕩う感覚が心地いい。 ワシと対となる黒い魔獣、カガラシィの毛並みは美しい。魔族は産まれると満月の晩に森の巨石の上に寝かされる。母親が目を離すのは数刻だが、お包みのままカゴに入れられた赤子をあやすために月の光は魔獣を連れて来る。 どこから来るのか解らない。カガラシィに聞いても気づいたらワシの隣にいたという。魔獣は泣く赤子をあやし寄り添う。しばらくいっしょに暮らしていると感覚を共にできるようになり、魔獣はその俊敏な脚と鋭利な感覚で魔族を助け、魔族は器用な手先で魔獣の世話をする。 自分達が死んだら戻るという『魔脈』を揺蕩う先祖の命が魔獣に姿を変えていると言う者がいる。多くの命を含んだ体になった今はそうかもしれないと感じる。体の中の声が多くの同胞を気にかけていた。 実証は何もなく考えても詮無いが、こうやって揺れる湯に身を預けている感覚を共有できるのはありがたい。 体が大きくなった時は、もう湯に浸かることなど諦めていた。 このバカでかい体を入れるには、湖でも湯に変えねば入りえぬ。しかし、塩の湖を湯にするわけにもいくまい。水は塩辛くて生きている物はいないように思えるのだが、それでも住んでいる生き物がいるのだ。 大きな体になったワシの太い指ではカガラシィの世話などできなかったから、アイツを湯に入れてやることもできなかった。 魔族はあまり自分の対以外の魔獣に触れない。対となっている魔獣には必ず共感している魔族がいるので、触れるだけで相手の尊厳を汚すことに繋がってしまう。なので、カガラシィが汚れていても、他の魔族は触れることができなかった。 カガラシィを湯につける事を提案してくれたのは、娘を生んでくれた2番目の妻だった。人間に育てられた彼女の感覚がズレていたからこそ、慣習に囚われずにカガラシィに触れられたのだろう。 あれは彼女がまだ城に来たばかりで再婚すら考えていなかった。生娘だった彼女の肌を私が見てしまう恐れがあったのに強引に黒い魔獣を連れて行き湯に浸けた。 彼女の亡きあとは、娘がカガラシィを湯に浸けている。 娘が入るのは女性用の女湯なので、瞳の共感覚は閉ざしている。体の弱かった2番目の妻が生んだ娘は、アルビノとして生まれた自分の白い肌を気にしているので他の客がいる時間を外しているが、気にしている肌をジロジロと見る物でもあるまい。 新しい妻を娶り、娘ができて、自分の代わりに対となる相棒の世話をしてもらい、湯にまで浸からせてもらった。体が大きくなってしまった時は、このようにゆったりと、よしなしごとに思いを馳せられる日が再び来るとは本当に思わなかった。 「やぁ、オンツアザケス。元気だったぁ?」 久しぶりに会った昔の知り合いが邪魔をして、せっかくの至福の時間を途絶えさせた。賢者が魔道具の魔獣と変えてしまったが、もともとは2番目の妻が彼の孫をあやすために作った人形だった。 彼の孫の成長に従い形を変えたが今もその面影が残っていて、のっぺりとした顔を見ると妻の優しい笑顔を思い出してしまう。 「鍵が掛かっていたはずだが?」 自分では狭い部屋の小さな鍵を掛ける事はできないほど不自由している身を慮って、ワシの至福の時間を邪魔しないよう部下の1人が鍵を掛けて行ってくれたのだ。 「天井の窓から失礼させて貰ったよぉ。」 「貴重な娘とのふれあいの時間だ邪魔するな。」 湯から上げられたカガラシィの体を娘が泡を立てて洗っている。自分の対になる白い魔獣も洗わなければならないので、他の魔族よりも倍の手間がかかるのだが、娘は文句も言わずに丁寧に洗う。 娘の白い指が毛を梳くたびに長い毛の間に溜まった汚れが泡と共にあふれていくのは、死んだ妻とはまた違った感触だ。 「ケチっ。せっかく訪ねてやったのにさぁ。」 「ふん。穴倉生活はもう仕舞か?」 「イジメてくるキミと違って、面白そうな人を見つけたからねぇ。」 「あのひょろひょろの占い師で良いのか?」 今日初めて城に来た人間の男は頼りになりそうもなく、自信も無さそうだった。しかし、『愚者の剣』をこの魔道具の魔獣が与えたからには何かしらの理由があったのだろう。でなければ、賢者が死んだ後もなお私の誘いを断ってまで独りで穴倉に残らなかったであろう。 「二人ともだよぉ。いっしょにいると楽しいよぉ。」 ワシは多くの命を吸って身に付けた『強すぎる共感する力』で占い師の記憶を覗いたから知っているが、あの占い師の手に持った木の枝は意志を持っている。原因は解らないが、私の体が大きくなった原因と同じように考えても詮無い。 ワシは考えるのを止めた。 きっとこの古い知り合いは、なにを聞いても答えないだろう。 「キミが幸せそうで何よりだよ。」 「ふん。ワシがお前の母を奪ったと泣いていたのは何処の誰だ?」 魔道具の魔獣の生みの母。つまり、私の2番目の妻だ。勇者が死ぬ前に妻を私に託しに来た時は不安しか無かったが、娘が生まれるまで尽くしてくれるとは思わなかった。 「泣いてないよぉ。喚いただけだよぉ。」 魔道具の魔獣は泣く振りをしながら、もこもこの白い体をワシの頬に当てて来る。賢者の孫が良く眠れるようにと妻が考えて作ったその体は障り心地が良く、寝心地も良いらしい。 ぽふぽふと柔らかい体を当ててくる魔道具の魔獣をからかって、対になる魔獣に感覚を寄せると、岩に登って体を冷ましていた。湯に火照った体に当たる夜風の心地よさをカガラシイも楽しんでいるのが伝わってくる。 魔獣の耳から聞こえる娘の言葉によると、今夜は満月だそうだ。 この狭い部屋では、月が満ちたのを知る事すら敵わない。 「きゃっ!」 娘の小さな悲鳴が聞こえたので、ワシは迷いながらも魔獣の瞳に共感させた。とたんに目の前に月夜が広がってカガラシィの見ている湯煙の向こうを感じられるようになる。 白い肌を無防備に晒した娘の前に人間の男がいる。 昼間に会った占い師だ。 ワシは産まれた時からの相棒に、占い師の男の喉に噛みつくよう注文した。 ------------------------------ 本編『裏路地占い師の探し物』もよろしくお願いします。
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