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 制服のズボンのポケットから、スマートフォンを取り出す。顔の高さに掲げた。盗みに正当なんかあるかよ。ため息混じりのつっ込みが入るも、鋭い双眸は発光する画面に向いている。まだ夕日が町をオレンジ色にし沈みきってはいなかったが、教室内は外部からの光を遮断され電気もついていないので、液晶画面はひどく明るい。よければデータを送るけど。教壇からの提案に、今度はロッカー側からうなずいた。  ぴこん、と軽快な音が鳴る。ロッカーに寄りかかったまま、制服のジャケットのポケットからスマートフォンを取り出す。届いたばかりのデータをチェックする。無料通話アプリ「らいんとーく」のメッセージ画面だった。「真のいつめん」とグループ名がつき、数が六になっている。次第に目が見開かれていった。しかし、画面から顔が上がったときには鋭さを取り戻していた。「寺島のことばかり話してるな。しかも扱いが友だちじゃない」 「彼女は、そのグループメッセージに参加していない。元から入っていないんだ」チョークを黒板に返し、両手を教卓に置く。たった一人の聴衆に目を合わせる。 「そのメッセージの中では、いじめられているはずの林藤はグループの一人として尊重されているけど、寺島に関してはメッセージ内の話し振りやそもそもグループにいれていないことからして、排除の対象にあたる。このとき考えられるのは彼らが行っているのは、通常のいじめとは逆のこと。閉鎖空間で自発的に起こすいじめ。仮にも『疑似いじめ』と呼んでおこう。」  疑似いじめ。繰り返して問う。 「まず、通常のいじめは集団全体を引き込み、伝染して発生するものだ。例えば、クラスで少し浮いている人に初めて嫌がらせをした、クラス内カーストで上位のグループがあるとしよう。彼らが継続して嫌がらせとか虫をしていたら、周りはどう行動する?」 「止める」  即答に苦笑する。それは俺らは止めるだろうけど。今までもそんなふうに生きてきて、カースト的にも下じゃないから。やんわりと否定した。 「だったらこうか? 見て見ぬ振りをする」 「おおかたそうだね。もしかしたら無視とか陰口だってたたくと思う。つまり本来のいじめは一つのグループ内でとどまらない。そのグループが所属するコミュニティーを巻き込んで開放的に行われるもの。大部分の無関係な人間をも目撃者にして、望まずとも受動的にいじめの登場人物に変えてしまう。この場合彼らは名のない役だろうけれど」 「じゃあ、普通は広がるはずのいじめが一つのところでとどまってるのが、疑似いじめってことなのか?」 「いいや、それなら疑似である必要はないよ」首を横に振っている。「疑似いじめというのは、簡単にいえば、思考実験だよ。グループ内で役割を決める。三つ。いじめる側、いじめられる側、そして最後は?」  黙り込んでいたが、結局は首を横に振った。実験と言われると、てんでだめなたちだった。 「最後はね、事情を知らない実験体だよ」  答えは場に、静けさを呼び込んだ。沈黙を埋めるかのように、グラウンドからかすかに部活動中の生徒の声が聞こえてくる。 実験体は、何をされているんだ。ぎこちなく、ロッカー側からの質問。 「昨日まで仲がよかったグループ内に突然いじめが起きたとき、どういう行動をとるか。よく知らないけど、行動心理学の実験みたいなものなんじゃないかな。まあ、俺は心理学なんて全然だけどね」 「プロファイルできるだろ」 「分析だよ。プロファイルじゃない」  突然、むきになる。何が違うんだよ。小声の愚痴はきちんと相手の耳に届いていた。俺がやっているのは事象を解析することで。説明が始まる。ああ、それはあとにしてくれ。しかしうんざりしたような喚き声が妨害した。二人は似たような話を十回以上している。  じゃあ話を戻すよ。八つあたりぎみだった。 「寺島はいわば実験用モルモットとして投入されて、結果的に林藤を積極的にいじめる側に回った。本人はそれを正当化しているか、そもそも善悪がわからないと思う。グループ内事態は通常のいじめと同じ環境だ。いじめが肯定されている世界。だから寺島は本来の立場も知らないままで、グループの役割にきちんと自分がはまり込んでいると思っているはず。国の法律とか校則なんかより、よっぽど拘束力がある」 「メッセージの履歴を見る限り、言い出したのは」データを見返している声が、微かに震えている。 「宇津美。だけど俺は、裏で糸を引いている人物がそのグループにはいると思っている。グループには常に、役割がついて回るからね」教壇から降り、カーテンをめくる。夕日が空いている机に注ぎ込む。 「これからどうするつもりだ」窓の外を眺める横顔に問う。  んー、とうなってから、明日、沖縄は台風だったよね。見当違いなことを言い出す。明日は秀栄高校二年生にとっては一大イベント、修学旅行を控えている。しかし連日、沖縄の天気予報はへそを曲げている。 「台風だったら、中止になってもいいよね」  外を見つめる人相の悪い顔にも、暖かな夕日があたっていた。はっきりと陰陽ができ、うっすらと笑ったとき、大部分が陰った。
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