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 午前の授業が終わり校舎を出る。正門に寄りかかって約束通り、一人の男が待っていた。綾部。漆間は手に持っていたスマートフォンをスリープ状態にしてから、その名を呼ぶ。肩越しに振り返り、指に挟んでいたたばこを携帯灰皿に押し込んだ。持ってるんだ。黒い携帯灰皿を指しながら、意外そうにつぶやく。うちの若手がうるさいんだよ。顔をしかめて、吐き捨てる。飲みの席で新しい相方が嫌煙者だと語っていたことを、漆間はぼんやりと思い出す。去年のことだ。  でもここ、高校の前だからね。釘を刺す。敷地外だ。正義の公務員らしからぬ反論を捨てて歩き出す。  二人は学校から十分とかからないところにあるファミリーレストランのテーブル席で、向かい合って座った。ドリンクバーを注文する。漆間は昼食としてスパゲティも頼んだ。 「早尾から本を返してもらうことになってたのか?」ドリンクバーから戻ってきた綾部が尋ねる。漆間の分も取ってきていた。どちらもアイスブラックコーヒーだ。  聞いたことのない名字に、漆間は礼も忘れて見返した。榎本だ。追加説明に、ようやくうなずく。 「その予定だったのだけど。そっか、榎本も結婚していたんだね」 「本当にお前は情報が遅いな。きてなかったのか、結婚式の招待状」コーヒーを飲む。  しばらくあさっての方向を見ていたが、片方の眉を下げて曖昧に笑う。「もらった気はするけど、あんまりにもきれいになっちゃった同級生を見るのがつらくてもう見えないところにしまい込んでしまったのだと思うな」 「もらってすぐに捨てたんだろ」  漆間は首を縮める。 「いつ貸したんだ」 「去年。えのも、ああっと、早尾だっけ」 「榎本でいい」ため息混じりだ。 「うん、じゃあ榎本」小さく笑う。「去年まで榎本は西影にいたんだ。あっちは数学教師だけどね。何かおすすめの本はないかって話になったのがきっかけだったかな。榎本が本を貸してほしいって言い出したんだ。以来一カ月に一回の貸し借りが始まって、転勤が決まったあとも郵送で貸してくれって言い出すから、貸していたんだ」  でも、とつなぐ。 「これって何か事件と関係があるの」  声音は平生通りの柔らかさを保っていたが、目は元来の鋭さをさらに研ぎ澄ましていた。二人の視線がかち合う。場の雰囲気がお待たせいたしました、スパゲティーミートソースです、と運んできた若い女性店員の声をしぼめさせた。注文主が目の色を変えて微笑みかける。ありがとうございます。ああ、すいません、雰囲気悪くて声かけづらかったですよね。素敵な笑顔が引きつっていますよ、お嬢さん。すらすらと言いのけた。店員がほのかに顔を赤らめる。目の前に置かれた。お前、生徒にもそういう対応してないだろうな。女性店員の背中を見送りながら、綾部が苦々しく問う。いつも思うんだけど、そういうってどういう。意味がわからないとでも続けたそうに、問いで返す。テーブルの壁際に追いやられているフォークを取る。漆間が高校の教師になって以来、同じような質問を旧友は度々していた。質問で返せば、ただ顔をゆがめるだけなのも同じ流れだ。  漆間は元の話を同じ疑問で蒸し返した。
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